ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

嵐に

2021-09-07 | 家族

ハリケーン「アイダ」に吹き飛ばされた(ように遠出した)二人。

 

 

フロリダ州に住んでいた頃に、大きなハリケーンアーマがフロリダ周辺を今にも襲いかかるかと言う時、三男一家は、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館群を訪問することに決めた。

住居は丈夫なコンクリートの集合住宅の二階だったので、家に籠もって激しく吹き荒ぶだろう雨風を窓から恐る恐る眺めるよりも、恐竜や絵画などを眺めたいと思ったからだった。ワシントンD.C.は晴天で一家は各モニュメントも訪ね、思いがけないヴァケイションを過ごせた。

今回の、ルイジアナ州に多大な被害をもたらし、熱帯性低気圧となっても東部州に大雨・洪水を起こした猛烈アイダは息子たちの住む州を多少掠めていく気配があった。その週の金曜日から夫はWeather Channel(気象チャンネル)をしょっちゅう観ては、三男一家のことを心配していた。日曜日に心配して携帯電話に連絡をした夫に、「今アトランタから戻るところなんだ。」と三男は言う。5歳の息子が、サンフランシスコ・ジャイアンツ球団の大ファンで、近隣のアトランタで試合があるのを知り、行きたがっていたので、と言う。

二人は早朝5時間半運転してアトランタの球場に到着し、ジョージアにも少なからずハリケーンの影響があるので、人影まばらな切符売り場に並んでいると、ある紳士が近づいてきて、切符を差し上げましょう、と申し出たと言う。

訝かしげな顔をした息子に紳士は、「XXX航空の特別企画で親子でお越しの方々への招待券です。席も前から二番目でして、お好きなお飲み物やお食事もどうぞ。すべて弊社からのプレゼントです。どうぞお楽しみください。」と信じがたい申し出、そして席まで案内もしてくれたそうだ。

きちんとお礼を述べて親子は、ありがたく食事を楽しみ、特等席で試合を親子で楽しんだと言う。肝心のジャイアンツは、ブレイブスに9対0で負けてしまい、残念、でも5歳児はとても喜んで観戦したそうである。

試合後再び5時間半かけて元来た道を運転し, 5歳との父子対話を楽しみながら帰宅した。何よりも一家みな無事でよかった。

そしてこの日曜日、教会は閉鎖され、息子たち多くの会員は隣の州ルイジアナへ救援活動に参加するため赴いた。コロナが猛威を振るおうが、反ワクチン者やノーマスク者が騒ごうが、自然が狂おうが、地球はいまだ周り、人々の人生は移ろうのである。この世は試練の場。花も嵐も踏み越えてせっかく観戦しに行っても、あっさり負けちゃうサンフランシスコ・ジャイアンツとて、これも人生なのである。できる時にできることをして、良い思い出を作りたい。何故なら、この世で作る思い出だけがあちらの世へのお土産になるのだから。

 

ハリケーン・アイダでは、ママとお留守番だった長女と次男。あなたたちのパパはこの次のハリケーンでどこへ飛ばされるのでしょうね?

 

 

 

 


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6 コメント

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Unknown (tokinoneiro-orgel)
2021-09-07 05:36:02
色々なことに悩み迷い苦しく感じていましたが、この記事を読み何とも言えない気持ちになり、ふと肩の力が抜けました。ありがとうございます
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ままちゃんへ (くりまんじゅう)
2021-09-07 06:06:52
サンフランシスコ・ジャイアンツはナ・リーグ西地区で現在トップですね。
せっかく5時間半も運転して行ったのに負けましたか 残念。
でもすばらしい出会いがあり 思い出に残る野球観戦日になりましたね。

スミソニアン博物館へ3年前に行き リンドバーグが
大西洋を横断した一人乗り飛行機を見ました なつかしい。

そちらのハリケーンは想像できないほどの規模で大きな渦が
TVにも映ります。そして嵐のあとの被害状況が映ると
何もかもがなくなっている風景は怖ろしいです。

三男さんは高校の化学・科学の先生でしたね。私の息子も
こちら地元の中高一貫私立校で英語の教師をしています。
三男さんのようなイケメンではなく くたびれたおじさんです。

その母親の英語力は ジス イズ ア ペン の中一英語から
進化が止まっており 米国入国のとき長い列を作り
係官にも 列の皆さまにも迷惑を掛けました。

>できる時にできることをして、良い思い出を作りたい。
何故なら、この世で作る思い出だけがあちらの世への
お土産になるのだから。

まさにその通りですね 良い思い出を作りたいです。
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野球の招待券 (笑ばあちゃん)
2021-09-07 21:12:21
30年近く前のこと、
私たち夫婦は地元の子供たちのソフトチームのお世話をしていました。
応募した、プロ野球中日ドラゴンズの「子供チーム観戦ご招待」に当選したのです。
ナイターを初めて見る子たちと総勢20名でナゴヤ球場へ。
当時人気の立浪選手、川俣選手に出迎えられ大喜びのわがチーム。
あの感動の一夜は、今も子供たちの心に残っているでしょうね。
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tokinoneiro-orgel様 (ままちゃん)
2021-09-11 08:21:13
コメントをありがとうございました。

わたし自身が風に吹き飛ばされて、コメントをお返ししなかったようで、失礼致しました。

色々なことに悩み迷い苦しく」いらしたとは、たいへんでしたね。一応この三男も三男坊なりにそういう時はあるのでしょうが、結局悩んでいても仕方ない、と子供達と遊ぶようです。水平思考というのがかなり太古の昔にありましたが、そうした考え方も助けになるのやわかりません。
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くりまんじゅう様 (ままちゃん)
2021-09-11 08:27:07
コメントを感謝致しております。

くりまんじゅう様はWorld Trotterと言うか、世界をお駆けになるお方でいらっしゃいますから、たとえば、カッパドキア、などとお耳になさいますと、さっとああ、トルコ、とおなりでしょう?我が亡き母は、時間とお小遣いがたまると、誰にも言わずに、とんでもない遠く(海の彼方)へ旅をしていましたが、口癖は「冥途のお土産に、よ」でした。わたしは四国さえ訪れたことがなく恥ずかしい思いです。
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笑ばあちゃん様 (ままちゃん)
2021-09-11 08:34:21
コメントをありがとうございます。

まあ、それは楽しかったことでしょう。そう言えば、アリゾナ州の南西の端にある小都市に住んでいた折、毎年ヤクルト・スワローズ球団がスプリング・キャンプに訪れ、夫とまだ一歳くらいだった長女とで近くのグラウンドへ見に行ったものです。野球はまったく知識がなく、唯一、9人でゲームするのはおぼろげに覚えていて、コーチの方に、9人でいらしたのですか、などとお尋ねして恥をかきました。110名ですよ、とおっしゃり、料理人もいらしていたようでした。ああ、恥かしかった!
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