Photo: Jim Mangum
アリゾナ州の化石の森国立公園内のブルー ・メサの見事な縞模様の紫色の砂岩層
私が小学校に上がった時、長姉は盛んに学生仲間で組んだ登山グループと共に親には内緒で谷川岳さえも克服したほどだった。 その姉がどこそこへの山へ週末行ってくる、などと聞くと、毎回必ず私は、「雲母(うんも)」か、「黄銅鉱」を拾ってきてね。」と頼んだものだった。 地学も鉱物学も知らなかったほんの子供が何故そのような鉱物の名前を知っていたのか今では甚だ見当がつかないのだが、その願いは叶えられた。
『雲母(うんも)は、ケイ酸塩鉱物のグループ名。 きらら、きらとも呼ばれる。 特に電気関係の用途では、英語に由来するマイカの名前で呼ばれる。 英語のmicaはラテン語でmicare(輝くの意)を由来としている。』(ウィキピディアより) 雲母はその耐熱性や絶縁性があるが、用途は電気関係にとどまらず、ガラスの代用品、農業にも使用される。 ランプ笠でもよく使われ、現に、我が家にはアメリカのミッション家具やアーツアンドクラフト的なものによく使用された復刻調のマイカ笠の付いたランプが二つある。 薄いマイカ(雲母)を通して見る電球の明かりは、秋の夜長の読書に実によく似合う。 姉の山お土産の小さな雲母は、小さな紙の空き箱に入れて、大事にしていたが、成長するにつれて、いつのまにか私の世界から消えてしまった。
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マイカのランプシェイドのいくつか
一方の黄銅鉱はチャルコパイライトと言われ、銅の硫化鉱物で、英語では、愚か者の黄金、とも呼ばれる。 黄銅といっても、これを精製して真鍮を作るわけではない。 どこぞの山から拾われてきた掌に収まる小さな黄銅鉱は、机上でいつも輝いていた。 留学渡米した折、弟に譲ったが、その弟は今は亡く、あの黄銅鉱はどこへ行ったのか、見当もつかない。
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黄銅鉱
何故鉱物に興味があったのか、朧にしか思い出せないが、今と変わらず幼少時にも古いものが好きだった、としか言えない。 鉱物は、一朝一夕でできあがりはせず、地球の始まりからいたのかもしれないし、恐竜だってそばを通りかかったかもしれない。 そうした記憶を内に秘めているかもしれない鉱物にそっと手を置いて目を瞑ると、太古の様子が目に浮かぶような気がしたのは確かだ。 今でもたとえば築100年以上経つ建物の壁や柱に触れて目を瞑ってみたい気持ちになる。
このところ鉄砲水や大洪水に襲われる南部や西部のニュースが続くが、深刻な旱魃は何一つ解消されてはいないのが現状である。 農作物や発電のことを考えると、やるせないが、そんな中、次のようなニュースもあった。それはテキサスの干上がった河川床に、ブラキオサウルスBrachiosaurusやディプロドーカス(Diplodocus)などの大型で首の長い恐竜の足跡が発見されたのだ。
この夏の過度の旱魃により、河川はほとんどの場所で完全に干上がり、テキサス州公園内でより多くの足跡が発見された。
ぬかるみの残る河川床では、考古学・古代生物学者たちが、なるたけ多くの恐竜の足跡のサンプルを集めるべく、石膏で型取りをしている。 恐竜の足跡は、アフリカ、中国、オーストラリア、そしてアメリカに多く見つかっているが、今回のテキサスと同様、アリゾナやユタでも見つかっている。そのニュースを明るいニュースと捉える私は、思い出した。アリゾナ州東北部にある化石の森のことを。
化石の森国立公園は、アリゾナ州北東部のナバホ郡とアパッチ郡にまたがってあり、文字通り化石化した太古の木々の大きな堆積物にちなんで名付けられた。 自然の侵食によって塗装されたような地形の多いその高地砂漠のごく一部に、崩れたような倒木の森が化石化されて保存されている国立公園である。
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2 億年以上前、かつての大きな針葉樹等は洪水によって根こそぎにされ、高地から洗い流されて砂に埋もれた。 そして木から染み出した水分が、腐敗した有機物質を細胞ごとに色とりどりのシリカ(二酸化ケイ素)に置き換え、硬い岩のようになった「元」樹木である。 土地は地質学的な隆起によって隆起し、浸食によって長い間埋もれていた石化した木材が露出して出来た。
夫の父親はニューメキシコ州境に近いアリゾナの町に生まれ、そこはブルー・メサに近く、つまり化石の森には、まだ国立公園指定(1962年)以前から、大きな街へ出たり、大学のある北部へ行く途中などでよく目にしていた所であった。彼がまだ少年期あるいは青年期には、その森沿いの道端では、そこらへんにたくさん転がっている石化木を輪切りにして売っている人々をよく見かけた。 その頃は二足三文の値段だったのだろう。 義父は、その輪切りを二つ懐が痛まない値段で買い、長い間自宅の書斎の床に置いていた。
夫と私が結婚後、しばしばアリゾナの義両親宅を訪問したが、最初の頃、その輪切りを見た私が、一体これは何なのかと尋ねると、義父は化石の森公園について語ってくれた。一輪切りはそれぞれ大変に重たいが、その切断面はとても美しく思えた。
やがて年を寄せた義父が亡くなるとしばらくして、義母が、私に、その化石木の輪切り一つを形見にとくれたのだった。いつか自分が化石の森へ行き、今ややたらに誰もが切り出せるわけではない化石木の輪切りを販売認可されているベンダーから買おうと思っていたので、私はとても嬉しかった。
この化石木の輪切りは、隕石や水晶などのような高価なものではなく、それでも私にとっては、黄銅鉱や雲母と同じほどの「宝物」なのである。 直径30+センチ、厚さ7センチほどの輪切りは、非常に重く、譲り受けてからいつも暖炉の前に鎮座している。 時々切断面を磨くというより、乾拭きしている。 そして例のごとく、この太古の木に手のひらを置いて、その冷たさからこの輪切りの経験してきた時間を思う。そして思えば、家族や私の所持しているもので、一番年をとっていて、2 ~3億歳なのだ。 大事にしたい。
我が家の長老:化石木の輪切り。