ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

小さなことの小さな話

2024-02-17 | 恋愛・結婚
ヴァレンタインズ・ディの朝長女が持ってきた薔薇。
「ダディがいたら絶対に忘れないわよね。」と。ありがとう。
末娘の夫は可愛いチューリップの花束をくれて、その心遣いに感謝。


夫がこの世という大役を無事終えて旅立ってすぐ、病院ベッドなどをホスピスに返却後、伽藍とした一階の寝室に、ポツンと置かれたリクライニング・チェアがいかにも寂しげで、ハイダベッドのカウチを新調した。スティーム洗浄でさほど汚れてもいないカーペットを洗浄し、リクライニング・チェアをカウチの横に置き直した。私はその部屋のその椅子に座り、一人見えない夫に話しかけたり、祈ったり、黙考に、祈りに使うことにした。泣く時も、そこで。

ある日、あれは夫の旅立ちからそう日が経っていない朝、いつものようにあの椅子に座ろうとした時、椅子の右前の足元になにかがきらりと光った。腰を屈めて窺うと、なんと20余年前にその椅子に座っていて落としてしまったチャームだった。そのくらい前に一時的に金相場が下がり、それで得た18金のインゴットタイプの物で、私でも入手できたのは、相場が下がっていたことと、大きさがたった15mmx 8mmという極小だったからだった。

注文して届いたその日、封を切った途端にスルリと私の指をすり抜けて、リクライニング・チェアの腕と座席の隙間に落ちてしまった。急いで、素手で、物差しで、隙間を探ってはみたが、まったく見つからず、椅子の底の薄い布を丁寧に剥がして、揺すったが、なにも出てこない。奮闘虚しく、もうどこかへ入りこんで見つからないとため息をついて椅子を元に戻した。夫にそんな顛末を話すと、「椅子に入りこんだのなら、いつか必ず見つかるよ。」と慰めてくれた。時折思い出しては、「あれは一体どこに消えてしまったのかしら」と未練がましい私だったが、夫はいつでも「そのうち出てくるから心配なしよ。」と言うのだった。

だから、それを夫の旅立ち後すぐに見つけて、それも見つけやすいように椅子の真下ではなく、少し離れてカーペットの上に光っていたので、私は思わず「あなたが見つけてくれてそこに置いてくれたの?」と声に出して訊ねた。子供たちに話すと、「それは絶対ダッドだ!偶然なんかじゃないよ。いつもお母さんのことを心配していたもの。」

私は婚約指輪・結婚指輪はあるが、イヤリングはしないし、ひとつも持っていない。あるのは母親からの真珠のネックレスと、家族ひとりひとりへの思いを込めたチャームブレスレットだけである。そのチャームブレスレットの初めのチャームは、まだデイトしていた時代に夫が贈ってくれた私の名前のアルファベットにスズメの涙より極小のダイアモンドが付いているものだ。それが始まりで、今ではそれぞれのチャームには夫や子供たちにちなんだ思い出がたくさん付着されている。教会へ行く時装着し、まだ幼かった子供たちがお行儀よくしている時、私の腕のブレスレットのチャームで静かに遊んでいたのだった。

見つかったインゴット型のチャームは、45年前出張先のサウジアラビアで、長姉の夫が、姉とお揃いで買ってくれたイタリアリリラのインゴットチャームと鎖のセットに付けることにした。思いがけず、そのペンダントは今は亡い二人の身内の再会を表している。非常に物質的なことだが、まつわる家族への思いがあり、それでも旅立ちには何も持っていく必要はないから、二人の娘たちが管理してくれることになっている。その時は、飛び立つ鳥のごとく、自由に行くつもり。







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質疑応答とヴァレンタインズ・デイ

2024-02-14 | 恋愛・結婚

「ホワイト・デイって聞いたことありますか?」と末娘の夫がまるで法廷審議さながらに口を開いた。「それは日本国においてのみ通じる言葉です。もっとも私が日本で若者をやっていた頃には今ほど浸透していなかったと思います。(あるいは私が鈍感だっただけ、という説もある。)」と答える私。「ご説明願います。」とムコ殿。「それはヴァレンタインズデイのひと月後に男性が女性にヴァレンタインズデイのチョコレートのお返しをする、という日です。つまりチョコレート会社がもうひと月儲けを出したい、と設けた完全な商業的目論見です。」

「日本では、女性が積極的に男性に対して求愛する、ということでしょうか。」
「そう思われても仕方ないかもしれません。」
「あなたは、そういう経験がおありですか?」
「。。。」
「もう一度お聞きします。あなたにはその経験がありますか?」
「私から口が避けても求愛など殿方に致したことはありません。」
「それは何故ですか?」
「友をえらばば 書をよみて六分の侠気 四分の熱、を座右の銘にしたいと常々思っていたからです。」
「異議あり!それを言うなら、妻をめとらば才たけて見目うるわしく なさけあり、を先に述べるべきです!」

なぁんて展開は一切なかったが、ムコ殿は、自分がインターネットで仕入れた「日本」について質問がたくさんあるのだ。ふむふむ。日本学101ね。まずはホワイトデイからね。

ところが、本当に私は日本であるいはアメリカで殿方にチョコレートをばら撒いたことはないし、ばら撒きどころか一枚のチョコレートさえ渡したこともない。

モロゾフという製菓会社が1950年代には提唱し始めた、と聞いたことがある。1976年にはすでに留学先の大学にいたし、やはり2000年代に「友チョコレート」なるものが流行り出したそうで、そうしたトレンドについてはあまり知らない。

女性から男性に求愛することも、少女漫画文化の多大な影響があるのかもしれない。つまり女性が好いた男性に「コクハク」するということだ。この現象を「女性から求愛しても構わない」という風潮に仕立て上げるのは、「え?それは、日本のことなの?本当に?」と日本学101クラスを取るようなアメリカ人の興味の対象にはなるようだ。

以前まだ高校生だった我子たちに聞いたことがある。「プロム(高校生の高校が主催する正式ダンス)には女の子から誘ってもいいじゃないの。」と言うと、「それは大抵セイディ・ホーキンス・ダンスだね。それは女子から男子を誘うのが定例だよ。」と息子たち。「セイディでも私は、自分から誘わないわよ。」と娘たち。「シニア(高校最後の)プロムには、やはり僕から誘いたい。ウィンタープロムなど他はどちらでもいいけれどね。」と息子たち。

女性権利の錦の旗の立つ国の生まれなのに、そういう考えが現代の高校生間にあると知り、意外だったが、でも息子たちも友人たちも実際、自分の高校のシニアプロムには気に入った女子に申し込んで、意気軒昂に出かけたものだ。「自分から女子に申し込むのはかっこいいけれど、女子から申し込まれると、その女の子に恥をかかせてはいけないから、行かざるをえないことが、好ましくない」と、封建時代の、例えば武士や騎士の面持ちさえしていた息子たち。事実他校の女子から申し込まれて、3つほどプロムを掛け持った息子もいる。

それはさておき、ヴァレンタインズ・デイは、男性がガールフレンド、婚約者、妻、母親、娘や姉妹に、つまり愛する女性に綺麗なカードと共に箱詰めチョコレートを贈るのが、アメリカではメインである。チョコレートだけでなく、花束や余裕のある人は宝石だのアクセサリーもある。多くの恋人たちは婚約者となる日でもある。(今日、トランスジェンダーの件もあり、ここに書くことは独自の持論にすぎないことはお断り致しておく。)

学生時代、あるヴァレンタインズ・デイに大学から帰宅すると、街のベイカリーからのハート型の可愛らしいBe Mine!とアイシングで書かれたケーキが私宛に送られていた。送り主はただハートのマークしか記していない。送り主のわからない物は怪しく、捨てようとしたら、3人のルームメイトたちが、「まあ、もったいないわ、あなたがいらないなら私たちがいただくわ」とその場でパーティになったことがある。「どなたからのかわからないから、おすすめしないけれど、自己責任で召し上がって。」私は言った。幸い誰も具合が悪くならずによかった。そのケーキの写真だけは撮っておいたのは、「事件」があれば、証拠写真になると思ったからである。1977年のことである。

 
このケーキパンで作ったら、もっと見栄えもよかろうが、実際は、ベイカーがフリーハンドでデコレイションしたらしい1977年のケーキであった。カンバセイション・ハーツのキャンディが二つ乗せてあるのが、愛嬌。私の元へ届いている間にかなり揺れていた様子のケーキ

クラスで夫と知り合ったばかりで、それでもヴァレンタインズ・デイを特別に扱う仲でもないと思っていた私は、長いこと一体どなたが贈ってくださったのだろうと不思議だった。結婚して数年経って、その話をすると、それはなんと夫だった。あはは、それでは食べておけばよかった。一応美味しいと評判のベイカリーだったのに残念だった。

その年以降ヴァレンタインズ・デイには、夫はバラの花束とカードと箱詰めチョコレートを贈ってくれた。See'sの混み合う店内に並んでも夫は毎年用意していた。

今年は初めての一人のヴァレンタインズ・デイ。墓前に花束をお供えしてこよう。そしてありがとうと言ってこよう。

ちなみに日本学101クラスのムコ殿は、夕食時に、「で、がちゃがちゃについてですが。」と訊いてきた。お、そう来ましたか、それは少々アドヴァンストですから、その講義はまた明日。


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しばしの別れ #1

2023-08-04 | 恋愛・結婚

planetnatural.com/Forget-Me-Not

 

夫の介護に専念したく、大学をついに引退した私は、週3日ホスピス看護師の訪問に助けられつつ、この7ヶ月余、つきっきりで毎日本当に楽しく過ごせた。5月に私自身の癌が見つかり、除去手術をしたが、その回復は早かった。一言も苦痛を訴えず、常に思いやりに溢れた夫の介護・看病は、決して辛いことはなく、むしろ今まで大切に私や子供たちを支えてくれてきたことの恩返しができる嬉しささえ感じていた。自身の健康問題があっても、滞りなく介護を行えたことは幸いであった。

夫は最後の数時間荒い呼吸をして、その晩寝ずに私は夫のそばにいたが、その荒い息が静かになった途端に彼の霊がこの世を旅立ったとわかり、その両頬を触り、胸に耳をあてて、すぐ時間を見た。7月16日午前12時23分。すぐに2階で休んでいた医師の長男に知らせると息子は、夫の頬に両手をあて、”Dad, dad..."と愛おしげに声をかけていたことは私の耳には一生残るだろう。

日曜日の早朝に私のそばで安らかに霊界へ旅立った夫。ホスピスの看護師が到着し、死亡確認をした。葬儀社がやってきて、夫の遺体を運んでいった。その時、夫に最後のお別れをして、7月31日教会で葬儀を行い、思いがけなく大勢の方々に参列いただき、クリスチャン埋葬を終えた。翌日、私は少なからずの傷心を抱えて最初のキモセラピー(化学療法)を無事済ませた。4時間の治療中、ふと1979年にヒットしたRandy VanWarmer の”Just When I Need You Most"の懐かしい歌詞が脳裏に浮かんできた。

 

 

あなたは朝荷造りをして、私は
You packed in the morning, I

窓の外を見つめながら、
Stared out the window and I

何を言うかに苦労した
Struggled for something to say

あなたは雨の中、ドアを閉めずに出て行った
You left in the rain without closing the door

私はあなたの邪魔をしなかった
I didn't stand in your way

今はあなたがいなくて寂しく
Now, I miss you more than I

今まであなたがいなくて寂しかった時以上に
Missed you before and now

どこに慰めを見つけるかは神のみぞ知る
Where I'll find comfort, God knows

何故なら私が一番あなたを必要としていたときに、あなたは私のもとを去ってしまったから
'Cause you left me just when I needed you most

今ではほとんど毎朝、私は
Now, most every morning, I

窓の外を見つめて、
Stare out the window and I

あなたがどこにいるか考えてみる
Think about where you might be

あなたに送りたい手紙を書いた
I've written you letters that I'd like to send


あなたが一通だけでも手紙を送ってくれたなら

If you would just send one to me

何故なら私はあなたを必要としているから
'Cause I need you more than I

昔以上に必要としているから
Needed before and now

どこに慰めを見つけるかは神のみぞ知る
Where I'll find comfort, God knows

何故なら私が一番あなたを必要としていたときに、あなたは私のもとを去ってしまったから
'Cause you left me just when I needed you most

(私があなたを最も必要としていたときに、あなたは私を置いていってしまった)
(You left me just when I needed you most)

あなたは朝荷造りをして、私は
You packed in the morning, I

窓の外を見つめながら、
Stared out the window and I

何か言うのに苦労した
Struggled for something to say

雨の中、あなたはドアを閉めずに出て行った
You left in the rain without closing the door

私はあなたの邪魔をしなかった
I didn't stand in your way

今わたしは

Now, I love you more than I

かつてあなたを愛していた以上にもっと愛している
Loved you before and now

どこに慰めを見つけるかは神のみぞ知る
Where I'll find comfort, God knows

何故なら、私が一番あなたを必要としていたときに、あなたは私のもとを去ってしまったから
'Cause you left me just when I needed you most

そうそう、私があなたを最も必要としていたときに、あなたは私を置いていってしまった
Oh yeah, you left me just when I needed you most

私があなたを最も必要としていたときに、あなたは私を置いていってしまった
You left me just when I needed you most

 

#2に続く

 

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変わらぬ思いやり

2021-06-23 | 恋愛・結婚

 

 

 

30年間結婚している夫婦がいた。 結婚30周年に、妻はいつものように丸い小さなパンを焼いた–毎朝それを焼いてきて、伝統のような物だった。 朝食時、妻はそれを、いつものように上下に切り、両方にバターを塗って、いつものように夫に上半分を与えようとして、手が途中で止まった…

彼女は考えた。「30周年の日に、この良い焦げ色の上側のパンを食べたいわ。 私はこれを30年間夢見てきたのですもの。 それに私は30年間模範的な妻であり、夫のために良い息子たちを育てたわ。 私は家族の幸福のために多大な努力と健康を注いできたのですもの。」

それで彼女は決断をして、夫にパンの底半分の方を渡したが、彼女の手は少し震えていた– 30年来の伝統を破ったのだから。 
夫はパンを取り、彼女に言った:

「今日、君が私にくれた素晴らしい贈り物だ。 30年間、私は大好きなパンの底の方を食べてこなかったのは、それが当然君が食べるべき一番美味しいところだと思ってたからなんだ。」

Eat a humble pieと言う英語の言い回しは、甘んじて屈辱を受ける、と言う意味があるが、30年間この妻は、丸い小さなパンの下半分は取るに足らない部分だと思ってきて、それは自分が食べ、良い部分の(と妻は思ってきた)上半分を愛する夫に食べさせてきたのだった。ところが、夫は、自分の好きな部分、パンの下半分、を好きだと言わずに、30年間妻の好きなようにさせてくれていたのだった。30年経っても、お互いを思う気持ちは、新鮮で、嬉しい物である。

 

 

 

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Love Story

2021-02-13 | 恋愛・結婚

Disney

 

 

映画「アップ!」は信じられないほど感銘的なラブストーリーである。 これは、愛の力を通して人生の段階と季節を示し、私の気に入っているラブストーリーの1つである。 そして、最高なのは、それが言葉なしで語られる物語であるから!

 

 

 

 

 

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