長男は第二子だが、伝道から帰還した時、自分は姉と弟妹の結婚を見届けてから、結婚したい、と言った。その翌年長女が結婚し、あとは三人の弟妹の結婚だ、と思っていたらしい。そのくせ末っ子の次女には、40歳過ぎたら結婚したらいい、だの、結婚してから、デートに出ればいい、だのといろいろ注文をつけてからかっていたものだ。
ひょうきんな息子だが、小さな頃から、北海道の方言で言えば、はっちゃき、な子供だった。目標を立てると一心不乱に達成するようなひたむきさも持ち合わせている。医師になる、と決心してからは、まさに一心不乱に勉強し、体を壊すのを心配した私が、医師でなくとも、sabbatical(サバティカル=半年から一年くらいの研究休暇)がある大学教授だっていいじゃないの、と惑わしたが、息子は笑っていただけであった。
やがて三人の弟妹が結婚してから二年後、大学時代生物のクラスで知り合ったKと結婚したのである。弟妹の結婚式にはKは大抵来てくれていたし、息子が彼女と結婚することは至極あたりまえで、他のどのお嬢さんも考え付かなかった。医学校へ入学した夏二人は結婚した。これについては、九頭の牛の妻に書いている。
長男とKの結婚披露宴は、教会のカルチャーホールで行われた。結婚・末娘の場合に書いたが、末娘の義理の母親がこの時も大活躍をしてくれた。この披露宴もまさに家族ひとりひとりの手によってできたことだった。飾りつけの白い折鶴や、ティッシュペイパーの大きな花飾りも、みな家族によって作られたのだ。ホールの飾りつけは末娘の夫家族も、Kの家族も、そして私達もこぞって手伝った。当時スゥエーデン在住だった次男夫婦や日本の姉も来米し、雰囲気を盛り上げた。
結婚披露宴前の昼食会で
次女の義母がここでも大活躍ープロと言ってよいほどの腕前
コペンハーゲンのクリスタス像のある聖母教会ー次男夫婦がガイド役
そして一年後、短い夏休みを利用して二人は北欧とフランスへ新婚旅行に出かけた。初めてのヨーロッパは即時に彼女のお気に入りとなったことだ。Kはポルトガル・アメリカ人の父親とイタリア・アメリカ人の母親を持ち、どちらかと言うと、イタリアの影響が多い。いつかまたヨーロッパへ行く時は是非イタリアとポルトガルを訪問したいと希望している。
結婚式からもう四年。いまや長男夫婦も両親となった。家族は本当に一本の樹が枝を伸ばし、葉を生やし、伸びていのに似ている。