ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

結婚・長男の番がやってきた

2017-10-01 | 家族の結婚

長男は第二子だが、伝道から帰還した時、自分は姉と弟妹の結婚を見届けてから、結婚したい、と言った。その翌年長女が結婚し、あとは三人の弟妹の結婚だ、と思っていたらしい。そのくせ末っ子の次女には、40歳過ぎたら結婚したらいい、だの、結婚してから、デートに出ればいい、だのといろいろ注文をつけてからかっていたものだ。

ひょうきんな息子だが、小さな頃から、北海道の方言で言えば、はっちゃき、な子供だった。目標を立てると一心不乱に達成するようなひたむきさも持ち合わせている。医師になる、と決心してからは、まさに一心不乱に勉強し、体を壊すのを心配した私が、医師でなくとも、sabbatical(サバティカル=半年から一年くらいの研究休暇)がある大学教授だっていいじゃないの、と惑わしたが、息子は笑っていただけであった。

やがて三人の弟妹が結婚してから二年後、大学時代生物のクラスで知り合ったKと結婚したのである。弟妹の結婚式にはKは大抵来てくれていたし、息子が彼女と結婚することは至極あたりまえで、他のどのお嬢さんも考え付かなかった。医学校へ入学した夏二人は結婚した。これについては、九頭の牛の妻に書いている。

長男とKの結婚披露宴は、教会のカルチャーホールで行われた。結婚・末娘の場合に書いたが、末娘の義理の母親がこの時も大活躍をしてくれた。この披露宴もまさに家族ひとりひとりの手によってできたことだった。飾りつけの白い折鶴や、ティッシュペイパーの大きな花飾りも、みな家族によって作られたのだ。ホールの飾りつけは末娘の夫家族も、Kの家族も、そして私達もこぞって手伝った。当時スゥエーデン在住だった次男夫婦や日本の姉も来米し、雰囲気を盛り上げた。

  

結婚披露宴前の昼食会で

 

 次女の義母がここでも大活躍ープロと言ってよいほどの腕前

 

コペンハーゲンのクリスタス像のある聖母教会ー次男夫婦がガイド役

そして一年後、短い夏休みを利用して二人は北欧とフランスへ新婚旅行に出かけた。初めてのヨーロッパは即時に彼女のお気に入りとなったことだ。Kはポルトガル・アメリカ人の父親とイタリア・アメリカ人の母親を持ち、どちらかと言うと、イタリアの影響が多い。いつかまたヨーロッパへ行く時は是非イタリアとポルトガルを訪問したいと希望している。

結婚式からもう四年。いまや長男夫婦も両親となった。家族は本当に一本の樹が枝を伸ばし、葉を生やし、伸びていのに似ている。

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結婚・末娘の場合 その2

2017-08-22 | 家族の結婚

 

荘厳な結婚式を終えて晴れ晴れとした二人

新郎・新婦となった二人は幸せいっぱいで、新しいスタート。

これが12月末のカリフォルニア。朝晩は冷えるが、昼間は暖かい。

 教会のフォイアー飾り付け。お客様からメッセージをインデックスカードに書いていただき、こうして吊るした。

 昨夜の準備。Gのアイデアの一つ。こうして豆電球チューブをテーブルの下に入れて、

この上にはケーキを置いた。

さあ、披露宴の準備は整った。

 

各テーブルの上にはこうしてメイソンジャーの飾りを置いた。

出来上がり。

このメインテーブルにレフレッシュメント・軽食・レモン水を置いた。

 次々とやってくるお客様。

 

 こうした披露宴の準備は、全て教会の知人・友人が大勢手伝ってくださった。 

披露宴後、友人たちの作るアーチを抜けて旅立つ二人。 

こうして二人は新婚旅行にコーストへ。

と思いきや、ホテルで一泊した二人は我が家に朝食に来た。それからコーストへ向かった。。。彼女らしいと言えば、彼女らしい。。。

 


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結婚・末娘の場合

2017-08-21 | 家族の結婚


と言うわけで、(ここ を参照)娘は結婚の承諾をしたのが5月で、挙式は12月末と日も決まった。まず考えねばならないのは、ウエディングガウンである。6月スウエーデンの次男の結婚式後、フランスのレース専門店へ寄ることにした。然しながら、パリの店は、行ってみると、時節柄ヴァカンス中で、開店するのは私達が去ってからのことだった。帰国後良いレースをインターネットで探すことにして帰路に着いた。

披露宴の場所は教会のカルチャーホールを使用するので、娘は早々に予約を入れて確保した。私は娘の採寸後、彼女の希望を聞きながらデザイン画を描き、インターネットでフランスのシャンテリーレースを売る店を探して、気に入ったレースを必要な量より多めに注文した。それらは直ちに日本のFに送られた。Fは日本に住む姉の義理の妹で、型紙起こしから複雑な縫製もこなす非常に腕の立つプロフェッショナルである。Fはレースの裏になる日本製の絹を用意し、レースに付けるパールビーズも探して、素晴らしい世界でただ一つのガウンを仕上げてくれた。

ひと月少しで丁寧に包まれ、注意深く梱包されたガウンを受け取り、試着した娘はそのフィット感や望み通りのデザインで作られたことに感嘆の声をあげた。娘と共に心を込めた礼状をしたため、多分に勉強されている代金と共に郵送した。次は披露宴に関しての準備である。アメリカでは普通結婚披露宴は新婦側が費用を負担し、準備する。教会は、聖書にあるように、質素な披露宴を勧めるが、それはあちらの家族も私たちも華美や派手ではないが、二人の門出を祝う喜びを表したものであることを願っていた。

幸運なことに、娘の婚約者の母親ーGと呼ぶーは、披露宴の飾り付けなどに非凡な才能を持ち、彼女のプロジェクトを助けるのは、人の良い夫と成人した六人の子供達である。今回息子の披露宴だから、是非やりたいと申し出てくれたのである。私が提案したのは、手持ちの古い青いメイソンジャーがたくさんあったので、それに火のいらない蝋燭と二人の写真を入れて各テーブルに置く、ということだけだった。そこからアイデアを得て、Gはその才能とセンスの良さを最大限発揮してくれた。

結婚式の二日前の夜、Gと私は我が家のダイニングルームで最後の打ち合わせをしていると、その日朝からロサンジェルスへ買い物に出ていた娘夫婦が戻ってきた。私達の三人息子はとてもよく似ていて、親でも見間違えることがあるが、私はてっきり娘夫婦と今朝出立した長男も入ってきたと思ったのだ。しかし家に入ってきたのは、小柄な金髪の女性で、そこで初めて子供達がスウエーデンからやって来た次男夫婦を迎えに行ったのだとわかった。思わず席を立ちあがって次男夫婦と抱き合って再会を喜んだ。こんなサプライズを長女夫婦と長男が計画していたとは!私達夫婦は最初から末娘の結婚式に、スウエーデンから出席できないものと諦めていたのである。クリスマスにスカイプをしたばかりだったのに。人は嬉しいと、たくさん涙が溢れるものだ。

挙式の日までの二日間は両家だけでなく、助けを申し出た同じ教会に属する人々やその家族で、皆がコマネズミのように働いたものだった。Gの才能には実に圧倒された。こうして日が暮れていき、いよいよ明日は挙式と披露宴である。

明日に続く。

メイソンジャーに火のいらない蝋燭を入れ、ワイヤーで吊るし、装飾用の豆電球の入っているビニールチューブも天井から吊るした。

 

 

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