ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

希望を持って重荷に耐える

2020-12-30 | 人間性

 

 

幸福とは,いつも重荷のない状態ではありません。時折,その反対であることもあるのです。ある若い夫が,積荷が重くなった後に無事に家に帰ることができたという話の中で,この原則が描かれています。

次のヴィデオをご覧になる前に、台詞の和訳をお読みくだされば、どう言う内容かお分かりになられることでしょう。

00:11

あ、この四輪駆動で行くの?

00:15

そうだけど。

00:16

最初にフロントハブをロックしなきゃ。

00:18

ねえ、お天気、チェックした?

00:21

ハニー、大丈夫だよ。

00:23

君のためにこのトラックを手に入れたんだよ、僕は。

00:25

ここ置いておくだけじゃもったいない。

00:26

ってことは、私のトラックだと言うこと?

00:29

OK、でも先ずは僕が試運転しなきゃね。

00:32

(犬に向かって)シャイロ!

00:32

ここへおいで!

00:33

君も試し乗りしたいだろう?

00:35

ええ、あなたも[聞き取れません]を手に入れましたね。

00:37

さあ、行こうか!

00:42

きっと大丈夫だって。

00:51

薪が必要だしね。

00:53

トラックをテストしなきゃね。

00:56

日の暮れる前に戻ってくるよ。

00:58

幸運なことに、私はあなたにサンドイッチを作ったわよ。

01:02

薪を取りに行ってらっしゃい。

01:04

ありがとう。

01:22

近づいてきたよ。

 

01:31

【犬シャイロの吠え声】

01:32

ああ、君は、ここを覚えているんだね?

01:40

さあ、ここだ。

01:43

[トラックの後輪が雪にはまり空回りをし始める]

01:52

シャイロ、どうしたものか。

その後もエンジンをふかすが、後輪は空回りするだけ。

02:12

冗談みたいだ。

02:21

立ち往生などしやしないぞ。

02:25

よし、もう一度やってみよう。

[エンジンをふかしても後輪の空回りは続く。]

02:44

いい加減にしてくれよ。

[後輪は同じことを繰り返すばかり]

03:20

【シャイロが吠える】

[彼は荷台の横で祈り始める]

03:30

親愛なる天の御父様、私は助けが必要です。

03:36

私がここから抜け出すのを手伝ってくれる人を送ってください。

03:41

イエスの名において、アーメン。

03:52

行こう、シャイロ。

03:55

誰かがここに我々がいると気づくように、君はここにいてくれ。

04:07

僕は薪を取ってくるから。

[チェーンソウで木を切り倒し、薪木を作る]

[いくつか木を伐採して薪木を作り終えてシャイロの元に戻る]

05:05

いい子だね。

05:05

君はよく頑張ったね。

05:07

通りがかりの車見た?

05:09

なし?

05:13

ああ、いい子。

05:22

[コヨーテが遠くに吠える]

05:34

誰も来なかったんだね。

05:55

[シャイロの小さな鳴き声]

再び彼は祈り始める。

06:01

天の御父よ、私は知っていることをすべてやりました。

06:07

私はあなたが誰かを送ってくださるだろうと思いました。

06:12

どうか僕たちが家に帰るのを手伝ってください。

06:14

[コヨーテが遠くに吠える]

06:36

(タイヤよ)動いてくれ、頼む。

06:42

[エンジンをふかす]

06:47

どうか、どうか。

06:53

動け!

06:54

よし!

07:11

ありがとうございました。

07:15〜08:22

彼が雪の吹き溜まりから抜け出し,道路に戻り,前進するには,滑らずに進むための駆動力が必要であり,その駆動力をもたらしたのは薪,すなわち積荷でした。彼が家に帰り,家族のもとに戻れたのは,積荷のおかげだったのです

時々わたしたちは,幸福とは積荷がない状態だと誤解することがあります。しかし,積荷を負うことは幸福の計画において必要不可欠なことなのです。一人一人の積荷は霊的な駆動力を生み出すものでなければなりませんから,日々の生活の中で「不要な良いもの」をあまりに多く引きずることにより,最も重要なものから注意がそれることのないように気をつけなければなりません。

状況を変えてくださいと神に祈り続けるのではなく,状況から学ぶ強さや,状況を変える強さ,状況を受け入れる強さを祈り求めるようになります。受け身ではなく,自ら選択し行動する者になります。そして霊的な駆動力を授かるのです。

 

 

辛かったことが往々にしてあった今年も、今日でおしまいです。色々な意味で、そう辛くはなかったこともたくさんありました。人生がそうであるように、大変なことの多かった年にも、心温まることや、よかった、と感じること、ありがたかったことなども、実は隠れていました。

閉塞感や孤立感を抱えがちな自宅待機やリモートワークは、夫と別々の部屋にオフィスを設えて、むしろ楽しくやってきたし、何よりも新しい孫を迎え入れ、家族の誰も健康を害することなく、つまりつつがなく一年を終えられることを感謝しています。おまけは、SPCA(Society for the Prevention of Cruelty to Animals=動物虐待防止協会)から、今月末に一歳のハスキー犬をアダプトしたことも、大きな喜びを運んでくれました。(私たち夫婦は若くなるわけではありませんが、息子たちや娘たちとは、万が一の場合にはこの仔を引き取ることで合意しています。)来たる2021年が皆様に喜びに溢れる年となりますように。

クレイトトレイニング中の一歳の女の子。名前はマヤ(実際はマヤ2)

 

 

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21世紀もあと80年と言うのに

2020-12-27 | 重要なこと

クリスマスの朝にふさわしく、一面記事でホビーロビー(手芸・裁縫・クラフツ専門店)の広告。

「ひとりのみどりごがわれわれのためにうまれた、ひとりのおとこがわれわれにあたえられた。まつりごとはそのかたにあり、そのは、『霊妙れいみょうなる大能たいのうかみ、とこしえのちち平和へいわきみ』ととなえられる」  イザヤ書9:6

 

 

 

クリスマスの朝にはスウェーデンの次男一家とフェイスタイムで久しぶりに元気な顔を見ながら話した。1月4日から次男は仕事始めで、長女のプリスクールも始まるため、三週間ぶりにドイツへ帰ると言う。スェーデンもドイツも厳しいロックダウン中だが、息子はアメリカ市民であると同時にスェーデンでヨーロピアンユニオンの市民権も取得しているゆえ、例え妻の実家でも、「自分の家」として自家用車で行き来できる。次男も私同様気管支喘息があるので、十二分に人との接触に気を付け、この三月以来自宅勤務である。

息子はドイツで会計を担当しているが、10人で1チームだそうで、無料のインフルエンザの予防接種を受けるよう上から伝えられても、息子一人だけが受けたと言う。他は皆ドイツ人だが、予防接種に冗談かと思えるほどの恐怖や疑惑を持っており、注射でついでにマイクロチップを植えつけられるなどと本気で信じる者もいるとのこと。え?ちょっと待って。

ルイ・パスツールはフランス人で、ロベルト・コッホはドイツ人で、二人とも近代細菌学の開祖と呼ばれて久しく、パスツールは狂犬病ワクチンを発明した人ではないか。そうした本家本元の人々がワクチン接種を避ける、否定するなどとはいかにして? 

確か1998年に三種混合ワクチンが子供に自閉症を発症させるとセンセイショナルな論文を「ランセット」上で発表した英国医師がいたが、彼自身の不正研究結果が間違っていると判明、重大な利益相反もあったとして、論文の一部を撤回したが、2010年には医師免許を剥奪されている。けれどもその空白の12年間にヨーロッパ、アメリカ、そしてオーストラリア、その他の、つまり世界中で麻疹が蔓延し、ニュースになった。その論文を未だ信じている人がヨーロッパには多い、と息子は言う。

麻疹の大流行はニューヨーク市ブルックリン地区ウィリアムズバーグの正統派ユダヤ宗教徒間でも見られ、今年春にも、再びその地域でのCovid-19の感染拡大が懸念されていたのを覚えている。ユダヤ人全てなのではない。ユダヤ宗教自体はワクチン接種を禁じてはいない。それにもかかわらず、排他的な正統派コミュニテイ内で誤った情報が拡散しているせいだと市当局は見ている。再三の説明や予防接種の呼びかけにも応じていない住民が多数いる。私の隣人はイスラエルからのユダヤ人医師だが、いたずらにワクチン接種を恐れ、真実を見ないことは、信教の自由ではなく、誤解の自由を謳歌しているにすぎないと言いすてる。

Covid-19のワクチン接種が可能になったにも関わらず、頑として感染を待つのは本当に人生の無駄である。私の周りでも医療従事者は、事務方も含めて接種をした人が増えてきている。確かに毎年インフルエンザ接種で、短期間の倦怠感や熱っぽさやらの副作用は、起こるし、母曰く、生後初めての三種混合でアレルギー反応を起こした私であるが、番が回ってくれば、接種を受ける。接種後三十分はその場に留まって重篤なアレルギー反応の有無が観察されることになっている。

その結果が最悪になるとしても、死は生まれるのと同じ自然なことで、怖がる必要を感じない。それは信仰によるのだろうが、数百、数千の風船をローンチェアにくくりつけて空へ舞い上がり、上昇し過ぎて風船が割れることによって急降下して失命するよりもずっと良い。

クリスマスの挨拶もそこそこにそんな話を展開したが、つくづくフェイスタイムやスカイプのように、アイフォンを互いに持っていればできるいわばテレビ電話の便利なこと。ひと昔前までの国際通話料金を気にしながらの電話が笑い話になるくらい便利である。ワクチン接種を無駄に怖がることもそのうちに笑い話になる日が来るようにと祈るばかりである。

 

おまけは三男の三児による生きたネイティヴティ。。。みどりご役は飼い葉桶(籠)の中で緑のワンシーズを着用して演じている。

 

 

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世界に光を

2020-12-25 | クリスマス

Nativity by Greg Olsen

ヨハネによる福音書第8章12節 

イエスは、また人々ひとびとかたってこうわれた、「わたしはひかりである。わたしにしたがってものは、やみのうちをあるくことがなく、いのちひかりをもつであろう。」

 

 

まずはヴィデオの話していることの翻訳をお読みください。

25年近くの間、私はさまよいました。1968年に良い家族に生まれましたが、私たちは神を信じていませんでした。実際、私は年をとるにつれて、神が本物であると思っている人々をからかうようになりました。私は他の誰かの空想上の神を必要としませんでした。私は神がそこにいないと確信していました。

14歳から22歳まで、私は完全に自分のために生きました。高校時代は人気があり、一生懸命パーティーをしました。2つの州のバスケットボール選手権にも勝ちました。 18歳までに、私は大学バスケットボールをするための全額奨学金(返済不要)を得ました。成功への途中にいるような気がしました。

しかし、4年後、すべてが崩壊しました。私はいくつかの悪い選択をしました。そして徐々に私は自分が今までに得たすべてを失いました。22歳の時ある木曜日に、人生を終わらせようと決心した日を決して忘れません。

その日、私は学校の食堂に座って、どうやってその計画を遂行し、最後の週末を地球上でどのように過ごすのかを考えました。近くのテーブルでは、2人の女の子が断食と祈りについて話しているのを耳にしました。私は自分の考えを中断し、断食とは何かを二人に尋ねました。そのうちの一人は、神の助けを求めたいときにしたことだと私に言いました。

それはとてもばかげているように見えましたが、私は耳を傾け、興味をそそられました。その夜、一人でひざまずいて、人生で初めて祈りました。私は断食するつもりでもあり、24時間食べ物と水なしで行い、神ご自身を私に見せてほしいと神に言いました。

私は断食しました。すると、8年ぶりに、私は麻薬とアルコールなしの1日を過ごしたのです。しかし、翌日までには何も起こりませんでした。その時点で私はもう人生を終わらせたくありませんでしたが、神は私に決して話しかけてはくれませんでした。そして、私はすべてを忘れました。私は彼が存在しないことを知っていました。私は自分の人生を続けました。

すると、奇妙なことに、1か月後、古い友人が電話をかけてきて、5年間会っていなかった友人なのに私を招待しました。それで私たちはある日会うと、突然彼が言いました、「トッド、なんと君に言っていいのかわからないけれど、僕は君を招待することさえ恐れたんだよ。

けれども、昨日、僕が君に電話をかけるようにと神が願っているような強い印象を受けたんだ。そして、神は今日、君を神ご自身の側に必要としていることを君に言うようにとの、感銘を僕は受けたんだ。」私は言葉を失いました。神は実在するのでしょうか?神は私の祈りに答えたのでしょうか?彼は私に誰かを使いとして送ったのでしょうか?

友達の助けを借りて、次の1年半の間、私はすべての問題を克服するためにライオンのように戦いました。浮き沈みがあり、途中で成功したり失敗したりしました。しかし、少しずつ、私は自分の人生の中で小さいながらも明白なことが起こるのを見始めました。

長い間悩んでいた質問への答えが明らかになり始めました。ゆっくりと物事が変化し始めました。ついに私は教会に行くことにしました。ある日、教会にいた誰かが私を教会主催のピクニックに招待してくれました。

少しぎこちなく感じましたが、行くことにしました。それは私が今まで行った中で最も真面目なパーティーであることがわかりました:誰もが若者たちへの麻薬、アルコール、愚かなゲームなどはしやしなかったのです。私たちは昼食をとりました、そして誰かがホットドッグを食するので、食べ物の祝福と感謝の祈りを捧げたいと言うのでした。変な感じだと思ったのですが、私は頭を下げて目を閉じました。

そして、私の人生は変わりました。最初の断食と祈りから2年後、自分のクローゼットの中で神に懇願するように祈ってから700日後、私は今までに服用したどの薬よりも20倍は強い何かを感じました。まるで誰かが私を抱きしめているようで、私に「おかえりなさい」と言っているようで、新しく知り合った人々は善良であり、私は彼らと一緒にいる必要があり、神はそこにいて、神は私を名前で知っていて、彼は私を愛しているとわかったのです。

私はいつも、神が私に彼自身を現すならば、稲妻または大きな衝撃的な火の塊で目前に降りてくるだろうと思っていました。しかし、あのピクニックの日に、自分が間違っていることを知りました。私たちが暗闇に囲まれているように感じることは、人間としての私たちの状態の一部であることに気づきました。

しかし、私たちが道に迷ったと感じても、神は私たちが進む道を、どんなに時間がかかっても照らすと約束されています。 2年間、神はこの疑わしい魂を育てられました。少しずつ、彼は私が私に伝えたいことを完全に聞くのに十分謙虚になる日まで、私が扱える限りのことを私に与えてくれました。

私自身の経験から、暗闇の中で誰かがスイッチを入れるのを待っているだけの人には、霊的な光が届くことはめったにないことも学びました。キリストの光に目を開かせるには、信仰の行為が必要です。 20年経った今でも、私はすべてを知りません。しかし、私は今、自分が誰であるかを知っています。私は神が誰であるかを知っています。そして、私は神の光が本物であることを知っています。

 

神の光の希望

 

どちら様も安寧なクリスマスをお過ごしくださいませ。

 

 

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家族の幸福を願う

2020-12-24 | クリスマス

 

 

 

一月ほど前新聞の人生相談欄で、こんな質問を読んだ:

「私はCovid-19(Corona Virus 2019=コロナ・ヴァイラス(ウイルス)2019)がパンデミックとなって以来、長いロックダウンをしているうちに、うつ病が悪化しつつあるのを感じています。。。もともと私の家族は、感情についてや精神的なことについてオープンに話し合うなどということは一切なく、もちろん愛しているなどと両親も誰も言いません。。。」

回答者は、すぐにセラピストを探して、そのケアにかかることを奨励し、同じように悩む人もいるので、助けとなる組織を探して連絡をとるようにと答えていた。そしていくつかの組織の名前や電話番号を連ねていた。

それを読んで長女と末娘と話す機会があり、ふとそのことを話した。「あなたたちは、もちろん子供達に、ちゃんと愛していることを伝えているわよね?それは子供達に限らず、夫達にも同様に告げているでしょう?」そう、余計なお節介である。すると娘達は、笑いながら言った。「お母さん!当たり前でしょう?それを言わずに育児はできないわ。言おうと思わなくとも自然に口をつくわ。」そう、それならよかった。

もし生きることが戦だとしたら、家族は最後まで守りたい砦である。戦友が生涯の仲間であるように、結婚において伴侶は、最も愛する信頼の置ける戦友である。英語のGoodwillは、好意、親切、親善という美しい意味がある。家族にそのグッドウイルを愛情と共に示すことは、忘れがちな、とても重要なことだと私は思う。子供が即座に受けた好意や親切にありがとうと自然に返すのを見たら、聞いたら、その親は、その晩きっと夢見がいいことだろう。

それと同時に、子供が落ち込んでいたり、悲しかったりした時には、「ちょっと話してみようか」と声をかけ、その子供と二人で散歩に出たり、アイスクリームをおごるわよ、と連れ出してみるだけでも、気持ちを落ち着かせられるかもしれない。無理に話させることはないが、「お母さんは(お父さんは)いつでも聞くからね。そしていつでもあなたの味方だから、それを忘れないで。」とだけは言っておきたい。

クリスマスは、キリスト教徒だけのものではなく、万人が家族や子供や愛する人を思う季節である。無宗教者でさえ、クリスマスの持つ独特の雰囲気を好む。そしてそれをいい機会に、どなたかご近所でひとりぼっちでいらっしゃる隣人がいるかどうか思い巡らせて、暖かいココアなどにお誘いしたりしたい。この広い世界で、一人でも心配している人がいると知るだけで、人は心が温まるものだ。

アメリカにはGoodwillグッドウイルという慈善団体のトリフトショップがある。そこのコマーシャルなのだが、この若い女性は、父親を亡くし、同時に断捨離をする。そうしたもう不要な物を入れた箱をGoodwill店へ寄付するために持ってくる。そして箱を開けた途端、亡き父親との思い出が溢れ出す。最後の最後に、「世界中で最高のダッド(父親)」と書かれたマグが棚に置かれる。世界で一番大切にしたいのは、物ではなく、すでに彼女の心にしっかりある。

 

 

 

 

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神からのギフト

2020-12-23 | クリスマス

Etsyから。

 

 

 

今日は先にヴィデオで語られていることをお読みください。

 

01:10
こんにちはクリス、お母さんよ。
01:12
メリークリスマス、小人さん。
01:15
もう一年が過ぎましたね。
01:18
私は何かを言うことからこれを始めたかったの
01:21
まだ言ってないけど…
01:23
ありがとうございました!
01:25
私を覚えていてくれてありがとう
01:29
この何年間。
01:31
あなたがもうすぐ30歳になるなんて信じられない。
01:35
あなたがどのように成長したかを見て、あなたがどのような人になったのかを見るためにそこにいたらいいのにと思います。
01:40
私はあなたをとても誇りに思うでしょう。
01:45
これが私の最後のテープです。
01:48
毎年クリスマスにあなたと話し続けられたらいいのに…
01:51
さよならを言う時が来ました。
01:54
私がどれだけあなたを愛しているか覚えておいてください!
01:58
決してそれを忘れないで! いいこと?
02:01
私はいつもあなたのお母さんよ。
02:06
私が行く前に、私の人生で最も幸せな日についての話をしましょう...
02:12
それはあなたが生まれた日。

 

  

 

愛はギフト。

それは永遠に続く。

メリー・クリスマス。

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