Credit: Ana Lapaz-Mendez / Instagram
白いテリア犬のジャックと狐のパンプキン。この二者には純粋な愛と友情と寛容と柔和な心があった。
ブログとは、私にとっては、直接見聞のない方々から、色々なお知恵をいただいたり、さまざまなご経験やなにかしらの成就、特技や才能やあるいはお子様のご成長やらのお裾分けを楽しみ、健康を徐々に恢復されていらっしゃる頑張りの経過などに、我がことのように感動を覚えたり、嬉しく思ったりする場所である。未知の方々の楽しいご経験やご意見や映像を拝読・拝見致すだけで、私は毎日を豊かに過ごせるのである。それは、新聞の人気コラムニストのコラムのように、啓蒙させてくれるところでもある。
ところが最近コメント欄でのブログ主への誹謗中傷が渦を巻き、お一方だけのことではなく、今週すでに訪問先の2、3名の方々が、その酷さを書かれていらっしゃる。その目的は人を傷つける以外の何物でもないのは明白で、ブログ界にもいじめがあるらしい。息抜きのような、楽しむためのブログ界で、そんな砂漠の熱風にも劣らない熾烈なつむじ風が吹き起こるのは、どういうことなのだろう。
銃規制の厳しい、礼儀正しいとされる立法国家の日本で今月起きてしまった暗殺事件にしても、ブログ界のつむじ風にしても、ほんの2、3年のパンデミックでこれほど人々の心が殺伐としてしまうものなのだろうか。そんな憂れえている心の重さに耐えかねていたら、あるお方のフェイスブック記事が一服の清涼剤となってくれた。まるで一滴の恵の雨のように、砂のような心を潤してくれた。
一匹の白いテリアの親切心についてである。このように小さなものの、偉大な親切を、動物を司るはずの人間が、忘れてはいやしないだろうか。
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英国ワトフォードの動物クリニックのアナ・メンデス獣医は、ウェスト・ハイランド・ホワイト・テリアのジャックの飼い主が亡くなったため、ジャックを養子にした。この小さな白いテリアは脊髄炎症のために後ろ足が使えなくなり、義足の役目をする車輪が装着されていた。
同じ頃、アナは衰弱していた盲目のキツネをクリニックで元気に治療看護し、育てていた。
「パンプキンと名付けられた狐は、2本の足を骨折してほぼ半死状態でクリニックへやって来たのです、」と彼女は言った。
パンプキンにより良い生活を送らせたくて、彼女はこの狐と白いテリアのジャックと他の犬、クロケーと共に暮らそうと自宅へ連れてきた。
ある日、狐のパンプキンはジャックを追いかけ始めた。この狐はジャックの後足の車輪の立てる音に耳を傾け、どこへジャックが行くにも彼を追いかけるのだった。
ジャックは、パンプキンが追いついていないと感じると、すぐ立ち止まって振り返り、パンプキンを待ってさえしていた。
残念ながら、2月15日、ジャックの後足からの痛みはジャックには耐え難いものとなり、アナにはそのままの苦しい状態にジャックをおくことがさらに耐え難くなり、とうとう安楽に逝かせる以外の選択肢がなくなり、苦渋の決断をせねばならなかった。
「ジャックはいわば借りた時間を費やしに費やしていたのですが、彼が堪え難き苦痛を持っているのが顕著になり、もうすでに限界を超えていたのでした。それが、この素晴らしい動物たちを愛することへの代償であり、そのような素晴らしい犬を飼えたという幸運のために、そして私の人生の一部であり続けるために、私が喜んで支払う代償でした。」
先月北への旅の途中、3万5千フィートの上空で、生まれて初めて経験したことがあった。経験というよりも「見た」と言う方が正しいかもしれない。そのフライトはただの2時間ほどだが、通常通路側の席を取る私は、このフライトでは北に向かって西側の一人席の窓側を全くなんの意図もなく選んだ。
翼の前方だったが視界を遮るものはなく、北部カリフォルニア州からオレゴン州に入ると、機体は増えてきた雲の合間を縫うようにして飛行していた。読んでいた小説に飽いた目を休めようと私は窓外の雲を見遣った。すると左斜め下に、光る輪が見えた。
普通に見られるアーチ型や、二重、三重の虹、彩雲、環水平アーチ(横に一の字のようになっている虹)、ムーンボウ(月虹=げっこう)を見たことはあるが、輪になった虹は初めてだった。もしや、と思ってさらに目を凝らすと、思った通りやはり虹の輪の中に、小さなシルエットがあり、雲が近くなったりするとその輪も中のシルエットも大きくなるのだった。そのシルエットは、私の搭乗機である。
つまりブロッケン現象を見たのである。山上で見かけるブロッケン現象は、登山家には珍しくはないだろうし、飛行機からの現象は、飛行機搭乗員や頻繁な旅客にもさほど珍しいことではないだろう。けれど何十回と搭乗してきて、私が体験したのは、今回が初めてである。見ようと思って見れるものではないし、たとえ気象状態や高度や位置の条件が揃っていたとしても搭乗中居眠っていたり、仕事をしていたり、読書や映画を観て、窓外を忘れていれば、容易に見落とす可能性は大である。
これはウィキからのお手本写真。飛行中の飛行機の機体がシルエットになって虹の輪に投影されている。
これは「ど」のつく素人(わたし)の撮影した現象。エンジン上の小さな白い円は虹の輪でその中に小さな機体が投影されているのがおわかりだろうか。
続けて撮っているうちにこの一枚では機体は大きく投影されている。
北紀行ではいつもある航空会社の直行便で朝一番発を利用するが、今回は、座席位置も、時間帯も、気象条件も、太陽の照射条件、そしてなによりも私が気がついたタイミングが偶然にピタリとあっていたのだろう。最初はその偶然に驚き、次に今までこの人生で一度は見てみたいと思っていたことが叶い、笑みが浮かび、「さてこれで次は、オーロラボリアリス(極光)だ!」と独りごちた。
空で見たいことは実際あとそれだけである。UFO(あるいはUAP)さえ、数年前にマウイ島ハレアカラ山中腹にある知人の教授の別荘で目撃したことがある。(おそらく中国製の)宇宙塵が大気圏で燃え始め、中央カリフォルニアの砂漠地帯へと夜空に孤を描いて流れてきて燃え尽きたのも、スエーデンからやってきた次男夫婦を迎えにロサンジェルス空港から帰る夜半、グレイプヴァインを降り切ったフリーウエイの東側で目撃した。
大流星雨も、子供たちと一緒に北カリフォルニアの友人宅の庭のトランポリンの上で夜空を見上げて歓声をあげたことがある。今は亡い弟が自慢の天体望遠鏡で、土星の輪をしっかりと見せてくれた遠い冬の夜もあった。ISS国際宇宙ステイションのほのかな灯りを垣間見たこともある。1997年の大彗星と言われるヘール・ボップ彗星の青白い尾を飽きることなく8ヶ月にわたってほぼ毎晩肉眼で眺めたこともあった。母のお供で行ったオーストラリアで南十字星を見上げ、水が時計回りで排水溝へ流れていくのを見た時同様、ただ単純に喜んだ。
そうなれば、次に見たいのは極光(オーロラ・ボリアリス)である。暑熱よりも寒温を好む私だが、北欧やアラスカ州で極光を拝するには、8月末から4月までの間の極寒の地の雪氷の台地に佇まなければならない。と思ったら、実は去年10月の初め、合衆国のニューハンプシャー州からモンタナ州のグレイシャー国立公園までの広域にわたって極光が観察されたのを知った。
過去日本でも、古くは古事記には620年に「赤気」が見られたことが記されている。赤気とは、低緯度極光のことで、低緯度地帯ではオーロラは赤である。その後も赤気は1770年には北海道から鹿児島まで見られたり、1958年には北海道から広島や山口でも観察されたと記録にある。太陽の活発な活動周期は11年と言われているから、その時とその他の必要条件がそろえば2030年には北海道で見られるかもしれないそうだ。
次なる空への期待は北海道か高緯度の北米48州のどこかで叶えられるかもしれない。そしてブロッケン現象を見たことは、本当に偶然で、意図がなかったので、次なる偶然もワシントン州でさえあるかもしれない。2018年11月にはアラスカのみならず、高緯度の17州(メイン州、ミネソタ州、モンタナ州、ノースダコタ州、北部ニューヨーク州、サウスダコタ州、ウィスコンシン州そしてワシントン州など)で極光が見られたのだ。その次なる機会を心の端に留めて、まずは健康管理から始める準備をしようか。
これは今年2022年2月3日、ケヴィン・ロイランス氏が撮影したワシントン州モーゼス湖でのオーロラ
visitcalifornia.com
カリフォルニア、特に中央部の夏の恵!!
晩秋、今年の初春の思いがけない雨がいくつかあったせいか、今になっても木々や地面の緑は、みずみずしく涼しげな様子を見せている。だが、相変わらず西部州の旱魃は解消されず、ユタやカリフォルニアのダム湖の水位がさらに異常低下しているため、電力不足が起こり、輪番停電は避けられない模様である。暑く乾燥しきって草が擦れただけで発火するここ数年来の盆地の夏は、今年もすでに山火事の季節を起こしている。先週末は100度少しの暑さだったが、不思議なことに今週は例年よりも少しだけ涼しい。特に今週は最高気温もせいぜい90度台止まり。つかぬまの爽やかな6月を楽しむ。
6月に入ってから、三男一家は一年住んだ州からマサチューセッツ州へ引っ越した。三男は6年間学び得た知識と学位が有効に使えるバイオテックノロジー(生物工学・生命工学)関係職の申し出を受けたのである。教職にあったため、学年最終日の翌日には、住んでいた州を後にして東部へ向かった。マサチューセッツ州へ行く前には、この家族の習慣化した、最終目的地までにあちらこちらに寄って観光するのを再び始めた。もちろんニューヨーク州クーパーズタウンのアメリカ野球殿堂博物館にも寄り、サンフランシスコ・ジャイアンツ贔屓の孫息子を大いに喜こばせた。
三男一家はいざマサチューセッツへと風になびかれて。
先週末妻子を連れて無事ここ中央カリフォルニア州まで夏季の里帰りのため飛んできて、息子はトンボ帰りでボストンへ戻った。この月曜日が出勤初日だったので、夫が電話で聞くと、意気軒昂に声を弾ませて、おおいに豊富を語ってくれた。この息子は非常に鷹揚な子で、物怖じせず、誰にでも気軽に話しかけ、仕事は熱心にするので、自分にあった職を得て、親はどれだけ安心したことか。
物価はカリフォルニアに比べて安く、州境のあちらのセールスタックス(消費税)の付かないニューハンプシャーのコスコへ出かけたところ、ガソリンは1ガロンあたりほぼ$2カリフォルニア州より安かったそうだ。ちょっと前までは東部は西部に比べて生活費はもっとかかるのが当たり前だったのだが。
長男の一人娘も今月プリスクールを「卒業」し、花の5歳孫娘トリオ(長男、次男、三男の長女たち)は今秋からそれぞれ幼稚園である。
「うち」のマーメイド・プリンセスはプリスクール卒業!
長男も11月末で2回目の長いフェローシップを終え、角膜専門眼科医として完成する。始めた時には10年近くの果てしなく見える長い道のりに、私でさえ、ため息をついたが、それも終りに近づく今、その月日の経つ早さに驚く。結婚と同時に医学部に入り、卒業年に待望の子供を授かった。その子ももう5歳なのだ。
医学部卒業後カリフォルニア大学医学部提携病院でインターンシップに始まり、次はフロリダの眼科専門病院のフェローシッププログラムに入り、小児眼科やヴェテランズ病院で通算7年間の診察、治療、多くの外科手術をこなし、現在の南カリフォルニアの大学病院でのフェローシップの仕上げが11月でとうとう終了する。万歳!その日には長男はぐっすり枕を高く寝られることだろう。
再びフロリダに於いての仕事の申し出もありがたいことにすでにある。フロリダへ移るとなると、冬でも暖かなビーチを恋うる5歳孫娘の願いは叶う。マーメイドになりたくて、夏の間に、せっせとスイミング・レッスンを欠かさないプリンセスである。
秋から幼稚園へ行くマーメイド
次男は次男で週60時間(於オフィスと自宅オフィス)は働き、南スゥエーデンの自宅とコペンハーゲンのオフィスを電車通勤している。その合間に4月はパリマラソン、今月はストックホルムマラソンを走り、ベルギーとリオデジャネイロへ出張している。かつては、その姿も態度も(ははは)スケートボード少年だったこの子も、今や働き盛りのマラソンマンである。アメリカだけでなく、日本からも遠いところにいるこの孫たちは、特に5歳の孫娘は、しっかりとハローキティのクロミを知っていて、彼女にとっては、世界はより狭いらしい。
娘と息子と妻と妻の両親という心強い応援団付きでストックホルム・マラソン
先週末の土曜日はハムレットのクロンボー城のあるデンマーク・ヘルシンオアへ日帰りの
家族サーヴィス。対岸はスエーデン。
そして私たち夫婦の近くには二人の娘たち家族がいる。長女も次女も同じブッククラブで読書を楽しみ、育児にいそしんでいる。 長女は、先週末から南加へ家族旅行で行き、子供たちをナッツベリーファームや博物館で楽しませ、親子4人でアナハイムのエンジェルス球場へメッツ戦のために行った。
ナッツベリーファームのキャンプ・スヌーピーで。
エンジェルス・スタディアムのあそこに見えるはヤクルトマン!
ヤクルトとの撮影が気に入った孫。
席は前方だったが、孫たちはNosebreed と呼ばれる天井桟敷席、つまり最後方、てっぺん席を希望した。すると見晴らしはよく、影になるところで炎天下の試合を、涼しく見学できたそうだ。そのメッツ戦には大谷さんはおやすみで、ファンになったばかりの長子の孫息子は、がっかりしたが、ヤクルトマンを見られたし、エンジェルズの野球帽を買って貰い、パネルの大谷さんの横で写真も撮れたし、なにしろロサンジェルス市立博物館で、三葉虫化石を手に入れられたこともあって、上機嫌だった。あら、なんだ、私とそう変わらない楽しみ方。
メッツファンの父親はメッツの帽子を被せたが、このあと、エンジェルスの帽子を得た兄孫。
はちゃめちゃ弟孫は、あとふた月ほどで3歳だが、初めての球場でヤクルトマンがいたのを見ておおいに気に入ったらしい。エンジェルスはいつものように負けてしまったが、孫たちの父親は大のメッツファンなので特別気分の良い日だった。
末娘の夫は昨年の司法試験合格後、父親の事務所でしばらく働いていたが、最近同じ市にある弁護士事務所に働かないかと誘われて、早速雇用された。面白いことに、この夫は、一人息子と同じ年の従兄弟トリオ(次男、長女の二番目の子)や長女の兄息子や三男の長子に非常にモテる。それは彼がサンフランシスコ・ジャイアンツのファンで、ゲームの知識豊富で、いわば男の子たちのアイドル的存在である。やっと結婚7年目の7ヶ月目に、「うち」の七番目の孫として生まれてきた息子も来月には3歳になり、この子は長いセンテンスも喋られるし、食べ物に好き嫌いはなく、健やかに成長している。波打際でわざと転ぶのが面白い同じ年の従弟よりも、貝を拾う方を好む子である。孫もいろいろ選り取りみどりで、それぞれ祖母は楽しませてもらっている。
パパはヒーローで、ママはいつも一緒にいたい人。
食糧貯蔵用のピントー豆をローテイトするため、古目の豆を大きめのプラスティック容器に入れ、そこへ小さな子を入れ遊ばせると、実に嬉々として、写真でもおわかりのようにT-シャツの中にたくさん豆を入れて喜んでいる。グランマ(つまり私)のアイデアで、私も一緒に遊びたい。。。ちなみにこの豆は、食用にも使う。この孫はポークアンドビーンズが大好き。ただし、こうして遊ばせられる子供はなんでも拾って口にいれない年齢でなければならない。
駆け足で我が家の6月を忘備録として書いた。あちらこちらに散らばる息子家族たちや近くでも育児に一生懸命な娘たちであるが、抜け殻に属する夫や私は、なんとか生きながら得ている。思うと、Covid-19 にも罹患せず、4度のワクチン接種のおかげなのか達者なものだ。それにしてももういい加減ウィルスも退散してくれまいか、とウィルスを前に一喝したいものだ。
日本人は几帳面だし、人に迷惑をかけたくない一心で、きちんとマスクをつけているが、欧米ではほとんど無装着だ。そしてどこが一番人口に対して罹患率が低いかといえば、その几帳面さと律儀さが勝っている日本ではないか。
欧州はともかく、マスクがいくら疫病蔓延を阻止する有効防具と知っていても、息苦しい、銀行強盗じゃない、と頑固に避けるのは、アメリカ独立戦争や建国時のあの有名な言葉が実はいまだに人々の心に根付いているからに違いない。その言葉とは、英国支配に対するパトリック・ヘンリーの有名な演説の締めくくりだ:Give me liberty, or give me death! 「自由を与えよ。然らずんば死を」
やれやれ。
世の中、犬派、猫派、その他諸々の動物派とありますが、今日は犬の小さなため息をお聞きください。
箱!箱!と夢中になるのは、猫の専売特許らしいけれど、実際は犬だって、箱は好きなんです。でも猫には誰も勝てません。*Sigh *(はあ〜。)
こんなに一生懸命屋内庭園を作ろうと重労働して疲れ果てても、飛んでくるのは賞賛ではなくて、ママの悲鳴だけです。
犬はいつも健気に「弱きを助け」精神満々です。ワフ!
ご主人様をこうしていつも待ち侘びていますし。
牛のリーダー(のつもり)もできるし。
犬はいろいろ忙しくたち働くので、日暮れには疲れちゃうんです。下敷きがいたなんて気が付きません。下敷きになった先客は、お疲れのあまり文句も言えませんが、ちゃんと目で気持ちを表しています。
これが冬季の犬の理想なんです。
行き倒れにみせかけるのがこのハスキーの趣味ですが、ママが「もういい加減にして中に入りなさい」と叫びます。あ〜あ、唯一の楽しみなのに。
時にはアングリーバードのようにこんなふうにボールになってしまいたい時もあります。
グルーマーに行けば、モホーク(モヒカン)刈にされるだけ。
やっぱり野生の狐はいいなあ。
猫の場合は犬の一生懸命感・観がかなり薄い。
共食いのように居眠るのもご愛嬌だし。
文字通りお金を使ったご愛嬌もできちゃうし。吹き出さずに見られる方は偉いです。
さてこの4つの猫に一つ間違いがあります。どれでしょうか。
ムッシュー・エロキュール・ポアロー。オリエンタル急行でのご活躍は感動致しました。
猫が厭世感に包まれる時さえ可愛らしい。
誰にも会いたくなく、でも誰がいるか見たい時の猫形。
夜風にあたろうと人間が窓を開けると、すぐお顔を出して、「こんばんわ、お元気?」と言う猫も。というより、「この夜風と夜景は私だけのものよ?」感満載。
犬はこんなことはしません。ポケット猫をやっているのは明らかに犬ではありません。
ついでにスギちゃんっぽい方のポケットバニー。
犬は結局猫には勝てない、ね、そうでしょ、デザート(砂漠)アマガエルさん。