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政治的利益のために人種差別を誤って操作することは、人種差別がもはや存在しないと一部の人々に信じさせるには良い方法かもしれない。 それはちょうど真心からと、せっせと千羽も一万羽も折り鶴を作りつなげて被災地や遠くの戦地へ送ることに似ている。 実際にはせっかくの「真心」こもった折り鶴は受け取り拒否でどこかに処分にも困って放置されていると聞く。
少なくとも千羽鶴には政治的利益はあり得ないが、食料や生活用品やもしかしたら武器を最も必要とする人々にはなんの利益も救いももたらさない。 むしろそれを折る時間を祈りに使い、紙資源ももっと有効に使われるべきかもしれない。
人生の2/3以上を帰化アメリカ市民としてアメリカに住み、この国の人種関連で思うのは、保守や特にリベラルは、人種差別は最低限実際には問題ではないという仮定で現代を生きている風潮があることだ。
確かに奴隷制、リンチ、白人専用のバスルームはもうないし、公共の乗り物もホテルもレストランも肌の色で分けている所はなく、そんなことは違法だ。 だからヴィクター・H.グリーンの「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」ガイドブックは使用する必要がないし、第一1966年を最後にもう発行もされてはいない。 ほぼ全てのまともな人間は、肌の色に関係なく、人々を平等に扱うことを望み、志しているように見える。 それはそれで決して悪いことではなく、人々の意識の向上であるのかもしれない。
だが、気になる点がある。 それは人種差別に対する適切で前向きとされるアプローチは、色覚異常つまり色盲であれという点だ。 たとえば就学する子供たちに「自分とは違う人種のお友達の肌の色は気にしないで。 色の区別がつかないようにふるまいなさい。」と諭したり、大人でも「私は人間に関しては全くの色覚異常です」などというのだ。
それはそれで逆に白人種以外の人種を否定する役割さえ透けてみえそうだ。 何故なら潜在意識の人種差別、犯罪統計に基づく人々のプロファイリングには誰も人種に対して色覚異常ではないことがわかるからである。
ただし、人種の違いが親しい知人・友人間ならば当人達にはそう問題にはならないことが多い。 むしろ人種が違う友人・知人には気軽に祖先はどちらから、とか、その人種に特有の料理や習慣などを純粋な興味を持って話したりするものだ。
ここで人種への似非色覚異常を掘り下げるつもりはないが、そうした概念を持つ人は存在するし、しかしだからと言って、その概念を持つ人々が悪であるとは思わない。 そう、この世ではみな学びの徒であり、人種にかかわらず他人を理解し、奉仕する努力をしたいものだからだ。
真から「黒人差別を無くしたいのならば、その話をしないことだ」、とモーガン・フリーマンは機会があるたびに強く述べる。 ご存知モーガン・フリーマンは、燻銀のような名役者である。 彼は、黒人大統領を演じた時、黒人の大統領を演じましたが、と聞かれ、「いいえ、私は黒人ですから、大統領を演じたまでです。」と返したことは有名である。
アメリカでは2月1日から3月1日は、リンカーン大統領とフレデリック・ダグラスの誕生日があることから、黒人歴史月間とすることを1926年黒人の歴史家カーター・G・ウッドソンが提唱し始め、全米で知られるようになったのは、1976年合衆国政府が制定してからだ。 その際共和党のジェラルド・フォード大統領は、国民に「我々の歴史のあらゆる側面において、あまりにも軽視されてきた黒人アメリカ人の業績を見直す機会を捉えるようにしよう」と話した。
この黒人歴史月間に対してもフリーマンは「おかしなことに世界中どこにも『白人の日』や『ユダヤ人歴史月間』はありません。」と述べ、公式に黒人歴史月間のどのようなイベントにも参加しない。 フリーマンは持論の「人種差別をなくすには、その話をしないこと」を文字通り実践している。
子供のナーサリーライム、童歌に、Wise Old Owl, 賢い老ふくろう、というのがあり、モーガン・フリーマンの知恵や洞察はその詩が実によく合う。
A wise old owl lived in an oak;
The more he lived, the less he spoke;
The less he spoke, the more he heard.
Now wasn't he a wise old bird?
賢い古いフクロウはカシの森に住んでいた。
生きれば生きるほど、彼は話すことが少なくなった。
話すことが少なければ少ないほど、彼はより多くのことを聞いた。
さて彼は賢い老いた鳥ではなかったろうか?
愚か者は真実を知り、真実を見て、それでも嘘を信じる。
ーモーガン・フリーマン