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この12月、毎週なにか親切を試みませんか? いいえ、大きなことではなく、小さな、出来ることを隣人や友人や家族や、そして見知らぬ方に、行うことです。優しい言葉をかけたり、感謝したり、そんなことでいいのです。要は、どなたかにあなたが感謝し、思いを寄せ、少しでも笑顔をお分けすることです。私は去年の12月毎日真のクリスマスを過ごすか、を書きましたが、この12月は毎週あるテーマを持って同じようなことを試みます。それをその週のある日に、あるいは毎日なさってもよろしいのです。難しいことでは決してありません。次にどのようなことかの例を挙げてみます。簡単に、
- 幼い子供や孫と一緒に、絵本を読んでみる
- 子供達と折り紙遊びを一緒にする
- もっと簡単なことは、幼い子供達や老いも若きもの大人の話にじっくり耳を傾ける
- 話を聞くときは、全身耳になって聞く
- 買い物をするとき、店員さんの目をみて、心からありがとうと伝える
- 隣近所の方々に、笑みと共にこころよく挨拶をする
- 家の前の落ち葉を掃くとき、ついでに老人の一人暮らしのお宅の前も掃除する
そういうことから始めるのです。無理なく、出来ることを、です。こうした小さなことをすることによって大きな恩恵を得るのは、実はご自身だということを、ほどなくお気づきになると思います。
日本でも、かつて「社会鍋」と言って、救世軍に奉仕する方々が、よく街角やデパートの入り口などで、寄付のためのケトルを置いて、鈴を鳴らして、寄付金を募っていました。然しながら、ウィキピディアによれば、近年、都心部で街頭募金のための道路使用許可が降りにくくなり、社会鍋は一部で規模が縮小されているそうです。それでも、もしお見掛けになったら、是非持ち合わせの小銭をそのケトルの中へご寄付くだされば、その小銭は大河となって助けの必要な多くの方々を支援できるのです。私は救世軍のメンバーではありませんが、長年この団体が社会に貢献している事実は見逃せません。アメリカでは11月の半ばからすでに店頭などで行われていますが、そのそばで両親や付き添っている大人が、子供に小銭やお札を渡し、そのケトルに入れるよう、促している場面をたくさん目にします。私と夫も、子供の幼いころからそうしてきました。今は孫といれば、孫に促しています。そんなこともクリスマスの真の精神を思い起こさせてくれます。
昔「一日一善」や「小さな親切運動」という言葉をよく耳にしました。それです。松の根は、いきなり岩を砕いて根を張るのではありません。それと同じように、無理をしなくても、毎日少しでも、自分にできることを、他の方々にお役に立つように願って行うことです。いいえ、キリスト教徒でなくとも、よろしいのです。無神論者の方でも、できることです。もし毎日これをなさると、とてもさわやかに新しい年をお迎えできるのではないでしょうか。
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