ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

提案

2018-11-30 | 人間性

CREDIT: Getty Images



 

この12月、毎週なにか親切を試みませんか? いいえ、大きなことではなく、小さな、出来ることを隣人や友人や家族や、そして見知らぬ方に、行うことです。優しい言葉をかけたり、感謝したり、そんなことでいいのです。要は、どなたかにあなたが感謝し、思いを寄せ、少しでも笑顔をお分けすることです。私は去年の12月毎日真のクリスマスを過ごすか、を書きましたが、この12月は毎週あるテーマを持って同じようなことを試みます。それをその週のある日に、あるいは毎日なさってもよろしいのです。難しいことでは決してありません。次にどのようなことかの例を挙げてみます。簡単に、

 

  • 幼い子供や孫と一緒に、絵本を読んでみる
  • 子供達と折り紙遊びを一緒にする
  • もっと簡単なことは、幼い子供達や老いも若きもの大人の話にじっくり耳を傾ける
  • 話を聞くときは、全身耳になって聞く
  • 買い物をするとき、店員さんの目をみて、心からありがとうと伝える
  • 隣近所の方々に、笑みと共にこころよく挨拶をする
  • 家の前の落ち葉を掃くとき、ついでに老人の一人暮らしのお宅の前も掃除する

 

そういうことから始めるのです。無理なく、出来ることを、です。こうした小さなことをすることによって大きな恩恵を得るのは、実はご自身だということを、ほどなくお気づきになると思います。


日本でも、かつて「社会鍋」と言って、救世軍に奉仕する方々が、よく街角やデパートの入り口などで、寄付のためのケトルを置いて、鈴を鳴らして、寄付金を募っていました。然しながら、ウィキピディアによれば、近年、都心部で街頭募金のための道路使用許可が降りにくくなり、社会鍋は一部で規模が縮小されているそうです。それでも、もしお見掛けになったら、是非持ち合わせの小銭をそのケトルの中へご寄付くだされば、その小銭は大河となって助けの必要な多くの方々を支援できるのです。私は救世軍のメンバーではありませんが、長年この団体が社会に貢献している事実は見逃せません。アメリカでは11月の半ばからすでに店頭などで行われていますが、そのそばで両親や付き添っている大人が、子供に小銭やお札を渡し、そのケトルに入れるよう、促している場面をたくさん目にします。私と夫も、子供の幼いころからそうしてきました。今は孫といれば、孫に促しています。そんなこともクリスマスの真の精神を思い起こさせてくれます。


昔「一日一善」や「小さな親切運動」という言葉をよく耳にしました。それです。松の根は、いきなり岩を砕いて根を張るのではありません。それと同じように、無理をしなくても、毎日少しでも、自分にできることを、他の方々にお役に立つように願って行うことです。いいえ、キリスト教徒でなくとも、よろしいのです。無神論者の方でも、できることです。もし毎日これをなさると、とてもさわやかに新しい年をお迎えできるのではないでしょうか。



https://salvationarmy.ca





 

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覚えていますか

2018-11-29 | アメリカ事情

 www.zazzle.com

 

 

 

 

これは、2007年の話である。その年、大学新入生となった学生は、その当時二十代半ばから後半の人々には忘れられない出来事を覚えていなかったのである。これは避けがたい時代の変化、という兆候らしい。これが顕著にわかるのは、2007年の18歳に、1980~1990年代の若者は、流行していた音楽をラジオから録音して収集していたものだ、話した時だった。その18歳は、しばらく驚いた表情をしてから、私に聞いた。「あなたは、ラジオから直接音楽を録音したのですか?」  なんてことだろう!確実に私は年を取っているではないか!


現実に、2007年の大学新入生が覚えていなかった事柄のリストは、恐ろしいことに以下の出来事である。


  1. スペースシャトル、チャレンジャー号の悲劇的事故
  2. ロナルド・リーガン
  3. 冷戦とベルリンの壁
  4. 硬い表装の百科事典
  5. ラジオから直接音楽を録音すること
  6. マイケル・ジャクソンのムーンウォーク
  7. 湾岸戦争、あるいは砂漠の嵐作戦
  8. フラッピー・ディスク
  9. Windows95
  10. ニンテンドー(任天堂)エンターテイメントシステムとダックハント
  11. オクラホマシテイ爆破事件
  12. O.J. Simpson (O・J・シンプソン事件)
  13. ワールド・ワイド・ウェッブ以前の暮らし

https://www.theatlantic.com
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心に灯

2018-11-28 | アメリカ事情

https://myelitedetail.us/clipart/paper-lantern-clipart-ball-string-light_2088736.html




落ち葉が地面を覆いつくし、ピリッとした寒気の寄せてくる季節、疲れて、あるいは失望しているかもしれない心に灯をともすために。



  • 化学療法は、私の自慢だった長い赤みがかったブロンドの髪の毛を束で失なわせます。今日の午後、信じられないくらいに頭髪が無残になってしまったので、かっこいい男性の看護師が私の頭を剃ってくれました。私は、髪の毛の束が床に落ちるのを見るのが辛くて、つい涙ぐみました。すると、その看護師は私の目の前に腰を下ろし、真面目な表情で言いました。「わぁ、あなたは世界中で一番美しい瞳をお持ちですね。」

 

  • ちょうど十五年前私は極貧のうちにあり、娘のペンや紙などの学用品を買うことすらできませんでした。すると地元の慈善団体が学用品やその他の消耗品、そして衣服を入手できるよう助けてくれました。今私の娘はイェール大学を卒業し、成功しているビジネスを始め、私はその会社で働いています。そして他の困った方々のお手伝いをするため、以前私を助けてくれた同じ慈善団体に寄付しています

 

  • 最近、86歳の母が、大学三年生だった時に記した手書きの覚書を見つけました。それは彼女がいつか伴侶となる人に見つけたいと望んでいた資質のリストです。このリストは、基本的に、私の父についての正確な説明で、そんな父に母は39歳の時出会い結婚したのです。

 

  • 6回流産が連続して起こり、もう子供を持てないだろう、と言われました。私の体は12週間以上の赤ちゃんを保つことができない、とのことでした。それから十年後の今朝、8歳の息子のベッドに座って、 私は「お誕生日おめでとう、さぁ、起きなさい。」と話していました。そこに座って、私の息子と同じように呼吸して、私に起こった奇跡を思うだけで、毎日を最高の日にしたい、と思うのです。






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お返し

2018-11-26 | アメリカ事情

 br.123rf.com

 

 

 

 

「冬のために買いためているの?」と笑顔でレジ係が言った。彼女はトースターペィストリー(トースターで温めて食べる乾燥ペイストリー)と大きなシリアル箱でいっぱいだった私のショッピングカートを見ていた。私はそう質問されるだろうと思っていた。ちょっと前に、地元の食料銀行に立ち寄って、私も貢献できそうな必要な商品があるかどうかを見たところだった。棚には野菜類の缶詰、ツナ缶、マカロニとチーズの箱、その他が置かれていたが、朝食用食品が不足していたので、それなら私が補充できる、と思った。近くの店に入り、ポップターツとチェリオ(シリアルの一種)とコーンフレークスの箱をカートに入れ始めた。自分が幼かった頃、朝食にそうした物を愛していたのを思い出した。そして、これらが、今日小さな子達の空腹を満たすように願っていた。


「食糧銀行のためですよ」と、つい私はレジ係に笑顔で言った。匿名の親切な行為が最上の親切であると思うので、私は通常、そんなことを言わずに店から出るのだが、その行いに対しての賛辞や誉め言葉など必要はないと十二分に私は知っている。


かつて私は失業した若い父親で、家族を養うのに非常に苦労し、その頃食糧銀行にお世話になったのだ。その恩返しに、私は神が私にして欲しいことをやっているだけである。


かつて貧しく若かった父親であった人の話から。







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母親の愛

2018-11-24 | 家族

 travel.mthai.com  




ベトナム戦争が起こった。若い夫は軍に入隊し、妻と子供を残し、彼の人生を犠牲にした。


戦後の生活は寡婦には厳しく、非常に困窮した母子は、しばしば食べ物に事欠いた。まだ若く美しい妻は再婚せず、出来る限り可能な最高教育を子供に与えるために身を粉にして働き、彼女はその一生を捧げた。


機会に恵まれ、最初に生まれた息子がアメリカに移住し、熱心に勉強したので、NASAのエンジニアとして良い人生を歩み始めた。


息子は頻繁に手紙を母親に書き送り、また金品を一緒に贈ったが、クリスマスが来ても、新年が来ても、息子は一向に母親を訪問するために母国へ帰国することはなかった。


母親が死亡した時、その息子はやっと帰国して、母親のために大きな葬儀をしたが、彼が涙を一粒もこぼさなかったのを人々は見た。


母はベッドの枕元にいつも置いていた長持ちを彼に遺した。葬儀の途中、息子はその長持ちを開け、突然泣き叫んで母親の棺を抱きしめ、ヒステリックに叫んだ。「おかあさん、おかあさん!」


誰もがお互いを見て、長持ちを見た。そこにはたくさんの100ドル紙幣と紙切れがあった。


その紙切れにはこうあった。「息子へ。私はあまりにも多くのお金を使うことはありません。あなたがいなくてとても寂しいです。私はオートバイを通り過ぎる音を聞くたびに、ドアへ駆けていったのですが、それはあなたではありませんでした。あなたが病気になった場合に備えて、私はこのお金を貯めました。」

 

ーこの話は、マイケル・ルオングによって書かれた「ヴィエトナムでの実話」である。

 

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