その後
将来を掴んでいる#7
先週半ば頃、南の空を見ると、S.O.S.の狼煙が上がっているではないか。あれはサンディエゴの末娘色の狼煙、携帯電話でテキスト(狼煙より敏速且つ利便性あり)すると、「おかあさん、彼(娘の夫)は、レイバー・ディ(今年は9月2日)の翌日から法学部大学院が始まるんだけど、その日までのアサイメントが二つもあるのに、ここ一月#7の世話に明け暮れて、睡眠不足と勉強する時間がないの。だから私と#7が三週間ばかりそちらに行こうと思うので、ここに迎えに来て欲しいの。お願いできる?」とあった。
木曜日の仕事を早めに終えて、夫と二人で南下することになった。幸いもう片方の祖母はせんだって仕事を辞めたので、しつこく勤務している私の代わりに昼でも夜でも喜んで子守業にいそしみたいということでもあった。夫婦で里が同じと言うのは、至極都合がよい。しかもあちらは娘を我が子のようにかわいがってくださっているのだから、万々歳。
長~い間事故多発なフリーウェイをひたすら運転し、やっとホテルに到着したのは午後11時15分前。翌朝朝食も早々に高層アパートの娘夫婦宅へ行くと、夫婦とも午前3時から起きていて、と目をしばたたかせている。末娘は産後の肥立ちもよろしいようで、#7は生まれたての頃から比べると2パウンズ体重は増し、1インチ伸びている。授乳がうまくいっているようで、小児科医も満足だと言う。
ただし、コリック(Infantile Colic)ありーああ、乳児疝痛。。。つまりその為に夜泣き。あれこれといろいろ宥めるトリックがあるが、結局は三か月ほどしてからいつのまにか治まっているあれである。いまのところ授乳後に乳児にげっぷをさせることが基本だ。それにしてもひと月の間に、新しい両親は、自分達で様々なあやし方を考え出し、それが板についてきているのが微笑ましい。
コリック?なんです、それ?な薄目を開けて。
土曜日の午前中には出立したく、娘と孫の旅支度は、娘の夫がせっせとして、その大荷物を載せて帰途についた。北上するフリーウェイはドジャース・スタジアムでの野球の試合のせいもあって、混雑・渋滞を極めていたが、車の振動が心地よい#7は車中でよく寝てくれた。グレイプヴァイン峠を越す手前のヴァレンシアで遅い昼食を取っても、レストランでも引き続き寝ていて、娘はひさしぶりに人間的に食事ができた、と満足。
ママが食事中は、キャリア・カバーからおみ足を出してぐっすりと寝入っているひと。
帰宅すれば、お初にお目にかかる長女夫婦と孫#1がやってきた。#1もあと少しでお兄ちゃん。9月18日が予定日だが、第二子なので、#8は、デビュー準備を整えていつやってきてもおかしくなさそう。それにしても姉妹同士それぞれの子供を殆ど同時期に持つ、というのは、傍目にも楽しそうで、家族の歴史が作られていくのを感じる。
子供がいる家は言葉で説明せずとも。
#7を抱くのに、列ができたが、緊張の面持ちの二人の従姉妹。
これはおまけ。#7のひと月ちょっと上の#6は、ドイツですくすくと音をたてるかのように育っている。