私の勤める大学の今年の夏時間は今週金曜日をもって終了する。五月の卒業式からの夏時間は朝7時から午後3時半まで。昼休みは30分だけ。来週月曜日から、通常時間、8時から5時、昼休みは一時間、が始まる。秋学期の始まりはあと二週間ちょっとである。夏だって、一応夏学期である。かなり補習的で、春学期に単位不足で卒業を見逃した人が、夏にそれを補って卒業に持ち込む、と言う風である。夏は、学生の数が極端に少なく、キャンパスは静謐で、ちちちっと回って散水するスプリンクラーが芝生に活を入れている。
大学院生は大抵が既婚者で子持ち、仕事を持っているから、卒業にこぎつけた方々を見ると、尊敬の念が湧く。特に、教育、看護学、物理療法学、心理分析学で博士号を取得した人たちは皆、努力に努力を重ね、仕事に家庭に、と、勉強以外にたくさんのやることを抱えているのであるから、立派な卒業レガリアを着て卒業タムを被った姿は、りりしく、胸を打つ。そしてそれを支えた愛する家族の姿が目に浮かぶ。
レガリアというのは、卒業生が着るガウンのことで、学士、修士は似ているが、修士は、フッド(Hood)があり、修士授与はHooding Ceremonyで、このフッドを首にかけてもらうことで成立する。専攻に応じて様々な色が黒地の布とつなげられている。この二つの学位は同じようなキャップ(角帽的なもの)で、大抵黒である。てっぺんからは、Tussleが下げられる。 博士号はベルベット地を使ったフッドで、キャップも、Tamタムと呼ぶ、ベアトリクス・ポターの、ベンジャミンバニーが被っているようなフエルトのベレーのような物を用いる。博士号のレガリアは、腕に三つあるいは、四つのストライプが付き、レガリア前面中央には二本幅広なベルベットが付いている。こうした卒業服装は、学士、修士は、$100周辺、博士号は$500以上かかることもある。博士号のレガリアセットはベルベットを使い、布も多く使うからだろう。
大学院生は大抵が既婚者で子持ち、仕事を持っているから、卒業にこぎつけた方々を見ると、尊敬の念が湧く。特に、教育、看護学、物理療法学、心理分析学で博士号を取得した人たちは皆、努力に努力を重ね、仕事に家庭に、と、勉強以外にたくさんのやることを抱えているのであるから、立派な卒業レガリアを着て卒業タムを被った姿は、りりしく、胸を打つ。そしてそれを支えた愛する家族の姿が目に浮かぶ。
レガリアというのは、卒業生が着るガウンのことで、学士、修士は似ているが、修士は、フッド(Hood)があり、修士授与はHooding Ceremonyで、このフッドを首にかけてもらうことで成立する。専攻に応じて様々な色が黒地の布とつなげられている。この二つの学位は同じようなキャップ(角帽的なもの)で、大抵黒である。てっぺんからは、Tussleが下げられる。 博士号はベルベット地を使ったフッドで、キャップも、Tamタムと呼ぶ、ベアトリクス・ポターの、ベンジャミンバニーが被っているようなフエルトのベレーのような物を用いる。博士号のレガリアは、腕に三つあるいは、四つのストライプが付き、レガリア前面中央には二本幅広なベルベットが付いている。こうした卒業服装は、学士、修士は、$100周辺、博士号は$500以上かかることもある。博士号のレガリアセットはベルベットを使い、布も多く使うからだろう。
Hood フッドの色は各学科により異なり、大抵ユニヴァーサルなコードである。例えば、教育は水色、エンジニアリングは黄色、法学は紫、医学はケリーグリーンとそれぞれある。三本ストライプの入ったベルベットのレガリアをまとい、頭にはタムの息子は、名前を呼ばれて壇上に赴き、傍で待つ妻によってケリーグリーンのフッドを被った。そうして、この春、息子は医学博士になった。
これは博士号のレガリア、フッド、タム。
息子の親友も、歯科矯正医としてこの春卒業したが、彼はライラックのフッドで、タムを被っていた。この二人は小学生から高校までずっと一緒で、スケートボード仲間だった。二人とも医学校や歯科学校へ入った年に結婚した。日本では、異なるだろうが、こうした学校へは、アメリカでは妻帯学生のほうが、成功率が高い。勿論、独身学生もいるが、大抵は、既婚、家庭を持っている。学業は、過酷といえるほどの厳しさで、三年目、四年目はローテイションという各地の専門医・病院で一週間ほどの期間で多くの科の実習をこなす。
難関を越えて入学をしても、初年度に脱落する学生は独身者が多く、四年目にはさらにもっと多く妻帯者でも脱落していく。
息子は、専門医(小児眼科医)を目指しているので、まだあと四年ほどは修行を積まねばならない。
そんな険しい過程で、若い夫婦は共に苦労を乗り越えて、絆をますます深めるのだろう。息子の妻Kは生物・看護学を専攻し、病院で働き、息子を励まし、支え、まさに糟糠の妻である。こうした献身的なKがいたから、息子は勉強に励み、卒業でき、現在のレジデンシーを行えている。二人には春先女児が生まれたが、育児には、息子は持てる時間をできるだけ注ぎ、二人でしっかり育てている。息子の博士レガリアにはこのKの並々ならぬ献身と愛情が織り込まれている。パトリシア・マックガー(Patricia McGerr)の書いた話に、ジョニー・リンゴというポリネシア人が、9頭の牛に匹敵するほど素晴らしい嫁を貰う、というのがある。息子はジョニー・リンゴの妻に劣らない、10頭の牛でも足りないほどの人を妻にした。
難関を越えて入学をしても、初年度に脱落する学生は独身者が多く、四年目にはさらにもっと多く妻帯者でも脱落していく。
息子は、専門医(小児眼科医)を目指しているので、まだあと四年ほどは修行を積まねばならない。
そんな険しい過程で、若い夫婦は共に苦労を乗り越えて、絆をますます深めるのだろう。息子の妻Kは生物・看護学を専攻し、病院で働き、息子を励まし、支え、まさに糟糠の妻である。こうした献身的なKがいたから、息子は勉強に励み、卒業でき、現在のレジデンシーを行えている。二人には春先女児が生まれたが、育児には、息子は持てる時間をできるだけ注ぎ、二人でしっかり育てている。息子の博士レガリアにはこのKの並々ならぬ献身と愛情が織り込まれている。パトリシア・マックガー(Patricia McGerr)の書いた話に、ジョニー・リンゴというポリネシア人が、9頭の牛に匹敵するほど素晴らしい嫁を貰う、というのがある。息子はジョニー・リンゴの妻に劣らない、10頭の牛でも足りないほどの人を妻にした。