ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

いかにもアメリカ

2019-03-31 | アメリカ事情

PI kttn.com

 

 

 

 

カンザス州のハイウェイパトロール巡視官の話:

 

 

先日、カンザス州セダンの東、合衆国国道166号線東行のマイル表示73地点でスピード違反のため、ある老婦人に交通停止をさせた。

 

 

私は彼女の運転免許証、登録、および自動車保険証の提示を求めた。

 

 

その婦人は必要なものを取り出して私に渡した。

 

 

提示されたカードの中に、(銃)隠し持ち許可証があるのを見て少し驚いた(彼女の高齢のせいで)。 私は、彼女を見て、この時点で彼女は武器(銃)を所持しているのかどうか尋ねた。

 

 

彼女は車のグローブボックスの中に口径0.45インチの自動小銃が入っている、と答えた。

 

 

ボディーランゲージ、あるいは、彼女がそう言った時の様子から、他に武器を持っているか私は、尋ねたくなった。 彼女は座席間にあるセンターコンソールに口径9mmのオーストラリア製自動拳銃 グロックkを持っていると認めた。 そこで私はもう一度それだけか尋ねなければならなかった。

 

 

彼女はもう一丁ハンドバッグの中に特別な口径0.38の特別なのがあると答えた。 私は彼女に何を恐れているのか尋ねた。

 

 

彼女はまっすぐに私の目を見て、「何も恐れることはございませんわ!」と言った。

 

 

Tatiana Badaeva/dreamstime.com

合衆国でのセルフ・ディフェンス(自己防衛)の概念

 

 

 

 

 

 

 

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医師と患者

2019-03-30 | アメリカ事情

 pexels.com

 

 

 

 

ある写真家のお話。

 

私は病院で行われる昼食会で、写真撮影の仕事を割り当てられた。 とても退屈なことだろうと思って、他の誰一人としてその仕事をしたくはなかったのだった。


この写真は彼女がある医師に感謝するスピーチを終えて、彼女の命を救った医師を抱擁しているところである。


しっかりとこの元患者を抱きしめている彼の腕が、すべての人間の命への彼の愛をよく示している。

 

 

 

sunnyskyz.com

ありがとう。





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包囲された熊

2019-03-29 | アメリカ事情

nspire21.com

 

 

 

この黒熊は、カリフォルニア州ネヴァダ郡のトラッキーにあるレインボー・ブリッジを、歩いていた。そこへ二台の車が同時に橋を渡った。 これに驚いた熊は橋のレイルを飛び越えたのだが、幸運にも橋の下にある出張りをとらえて、そのために安全に自身を引っ張り上げることができた。 (人間は)その日の夜、何もできず、当局が翌朝到着したとき、クマは狭い出張りの上で眠っていたようだった。 それからかなりすばらしいと言える救助が始まった。 その時の写真をご覧あれ。


 

落ちた時、このコンクリートの一部に捕まることができ、

こうして人間はネットを使ってそこへ熊を入れ込み、

持ち上げられて、開放された。今度は気をつけてね。




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英国で

2019-03-28 | アメリカ事情

potus-geeks.livejournal.com

ジョージ・ブッシュ大統領とコリン・パウエル国務長官

 

 

 

 

英国でのかなり大規模な会議で、コリン・パウエルはカンタベリー大司教に尋ねられた:イラクへの私達(米英)の(占拠)計画は、ジョージ・ブッシュによる「帝国建設用地」のほんの一例なのでしょうか。」


パウエルはこう答えた。「長年にわたり、アメリカはその優れた若い男女の多くを国境を越えて自由のために戦うという大きな危険に晒してきました。 私たちがお返しとして望むのは、ほんの少しの土地で、それは命を落としたそうした若者を埋葬するためです。」

*******


アメリカは、しばし、「軽い」、「強欲」、「歴史が浅い」などと諸外国から軽んじて見られるが、その内実を知らずであることが多くある。2001年9月11日のアタック以来、アメリカで最多の志願兵の戦死者を出したのは、我が子全員が卒業した地元の高校である。それは帝国を作るためではなく、純粋に、人々の自由を守りたいという志からであった。高校卒業後志願して兵士となり、イラクやアフガニスタンで戦い、その若い命を落とした。子供たちのクラスメートや先輩である。この高校のフットボールスタジアムは、ヴェテランズ・メモリアル・スタジアムとその後名づけられた。そこを通るたび、その若かった兵士達の冥福を祈らずにはいられない。自由は、決して空からは降ってこない。命をかけて守るものである。





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スウエディッシュ・フィッシュ

2019-03-27 | アメリカ事情

 Target.com

 

 

 

 

 

私は911*の緊急通信指令係員をしています。私は緊急通報を受け、EMS(emergency medical service=緊急医療隊)が現場に到着するまで緊急医療指導を口頭で提供し、隊を派遣します。


私は約4年間それをやってきて、人が想像できる最悪なことのいくつかを聞いてきました。それは精神的にそして感情的にも負担をかけます。通常、私はそうしたことに対処することがかなり得意ですが、今日私は義務付けられている16時間シフトで、疲労困憊も甚だしく、やっとそれを終えられると思った矢先と言う時に決まって、最期の最後に自殺電話を受けたりするものです。


未成年の子供が首を吊り、母親が彼女を発見し、彼女を吊り下げている紐を切りました、という通報。私はすでにディスパッチャーを呼び出していました。母親は自らCPR(CardioPulmonary Resuscitation=心肺蘇生法)を試してみると言うので、私はその過程を彼女と進めていきました。


その娘さんが私の息子の年齢だったからか、あるいは、母親が娘さんに死んではダメと懇願しながら、私と一緒に胸を圧迫する数を数えているのに、明らかに取り乱して息も絶え絶えになる様子からか、この通話に、私は、打ちのめされたのでした。ひと段落してから私は上司に連絡を取り、なにか飲み物を飲むためにガソリンスタンドに行くので、休憩が必要であると頼みました。私はガソリンスタンドに併設されている店の前の駐車場に車を停めて、そこに座ったまま、ついに泣き崩れてしまいました。なんとひどい泣き声、慟哭に胸が盛り上がり、パニック発作のようでした。そして、私はあの母親が何を経験しているかを想像し続けました。


誰かが私の窓をノックして、窓越しにそのガソリンスタンドの所有者の小柄な老婦人が見えました。ここは911のコールセンターから約5分の距離にあるので、すべてのディスパッチャーたちは彼女にとってかなり見知っている面々です。彼女は窓のガラスを下ろすようにと言いました。彼女は私にホットチョコレート(ココア)となにやら詰め込んだビニール袋を片手に、私に差し出し、もう片方の手で私の顔に触れ、そして言いました。「あなたは良いことをしているのよ。あなたが助けられなかった人を忘れられない時は、あなたが救った人々のことを思い出しなさいな。」


それから彼女は微笑んで店に戻っていきました。このビニール袋には、ダブルチョコレートチップ入りのマフィン、スウエディッシュ・フィッシュSwedish Fish(グミで魚の形をしているー写真参考)のバッグ、小さなティッシュ・パック、そして私のお気に入りのエナジードリンク(栄養・エネルギー補給ドリンク)が入っていました。


マーガレット、誰かが私のためにそこにいる必要があることさえ、私が知らなかったときにそこにいらしてくださってありがとう。そして、あなたが顧客をとてもよくお見知りおきでいらっしゃるために、私がなぜ泣いているのかご理解なさり、私を助けるために言うべきことを正確にご存知でした。そして、ケアパッケージにも感謝します。

 

 

 

* 北アメリカにおける最初の緊急通報用電話番号は 911 で、1959年よりカナダのマニトバ州ウィニペグなど、一部の都市で使用されるようになった。この911緊急通報システムは、1968年にアラバマ州でアメリカ合衆国において初めて使用開始され、1972年にはカナダもそれに変更した。ただし、緊急通報用電話番号の911への変更は秩序だったものではなく、北米電話番号計画に参加している国や地域のほとんどにおいて、911の使用が一般化したのは1980年代のことであった。



ーsunnyskyzの実話記事から。


pixabay.com






 

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