ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

スパイダーマン候補

2019-07-26 | 家族

 goodhousekeeping.com

 

 

 

 

5歳になる孫息子と居間でスパイダーマン合戦(つまり孫息子も私もスパイダーマン)にいそしんでいると、末娘からテキストが入る。最初の子供がそろそろ現世デビューする準備万端整いつつあるらしく、その兆候が表れてきている、と言う。と言っても、まだそれほど進んでいるのではなく、最初の子供だし、結局予定日にしっかり陣痛もきて、めでたく登場するかもしれないのが、出産事情というもの。つまり一寸先にどう展開するのか経験者でも医師でもわからない。スパイダーマン孫息子が、しきりに「見えないけれどそこにある」蜘蛛の糸を手の先から私めがけて放つ(だろう)中、片手でそれと戦い、もう片手に携帯電話を持ちながら、娘にテキストをするのは母親・祖母の得意技の一つかもしれない。ここから運転して、交通渋滞がなければ早くて5時間、入院となっても、おそらく誕生までには着くはず、と伝え、それまでゴロゴロして休めるうちにたくさん休んでいたほうがいい、と先輩風を送る。


若手のスパイダーマンを両手で抱きすくめ、年長スパイダーマンは、「はい、今日はここまで。ご苦労さん。お互い世界を救うために今はまず一休みしましょう」と賄賂のスイート・ターツひと粒を渡す。それを口にほおりこみ、若手のスパイダーマンは、素直に今度はレゴのスターウォーズの世界に興じ始めた。

 

そうか、孫#7がいよいよお目見えする日が近いのか。結婚7年目の7番目の月に我が家の7番目の孫としてやってくる。なんだか語呂がいいと言うか、おめでたいと言うか。我が家のカブース(Caboose=日本語では車掌車。通常カブースは汽車・列車の最後尾に付く。個人的に我が家では末っ子と言う意味で使っている。)が、母親になる。

 

先月半ばには#6がドイツで生まれ、来月末にはヤング・スパイダーマンの弟になる#8が生まれる。今年生まれの孫は三人共男の子。つまり私にはあと他に4人スパイダーマン候補がいるというわけだ。クリスマスや夏休みに我が家へ子供たち5人が家族を連れてやってきたら、総勢18名プラス私達夫婦で20名になる。サンディ・ディナー用の食器は12人前で、普段使いの食器は8人前と5人前のセットがあるし、孫たちは子供用食器が9セットある。何を食べさせるか、は別の問題。それは明日考えたい。

 

私はしつこくまだフルタイムで大学院勤務をしているので、専業主婦や専業祖母は高嶺の花の存在。でも刻一刻(?)と迫りくる#7や#8の誕生はオフィス仲間も心に留めていて、孫の方が大切よ、お手伝いに行かなきゃ、と後押ししてくれる。ありがたい。というわけで、大方の仕事はすでに片付けて、いつでも南加へ行けるように用意はしている。それと3件抱えている系図調査の一つをなるたけこの2,3日中に仕上げ、留守にする前に、依頼者にレポートを手渡したく、睡眠時間を削って凌いでいる状態。人生のこの時期、休暇は仕事の別の言い方なんだと最近痛感することしきり。

 

それでは立つ鳥跡を濁さずのたとえをもって、身辺をすっきりさせ、出立に備えるとしよう。私の留守中ヤング・スパイダーマンに世界の安寧を委託しておこう。それにクリスマスと誕生日に貰ったプラスティックのライトセイバー*三本ある由、ヤング・スパイダーマンはこの上もなく、無敵の筈である。

*ライトセイバー(Lightsaber)とは、映画「Star Wars」(スターウォーズ)シリーズに出てくる「プラズマの光刃は何らかの物体に接触したときにのみ膨大な熱エネルギーを放出し、その物体を溶断。。。また光刃を覆う強力なアーク波の作用により、レーザーやビームの類に干渉して弾道をそらしたり、ライトセーバーの光刃同士で切り結ぶことも可能としている。」(Wiki)という怖ろしく光る剣である。この剣の一つや二つと、ピタゴラスイッチの「おとうさんスイッチ」や「お手伝いスイッチ」と併せて持てば、世界はきっと輝くし、おかあさんは助かるのだ。


pixabay.com


後記:先ほど陣痛は五分置きになり、娘が病院に電話するとあと一時間在宅したければ在宅で痛みに耐え、我慢できなくなったらいらっしゃい、とのこと。カリフォルニア州サンディエゴ校の大学病院、つまり娘の勤務する病院である。それでは夫と二人、これから夜にかけて渋滞の少なくなる高速を飛ばして行ってまいります。




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真夏の犬?

2019-07-24 | 自然と四季

 sugarlessdelite.com

 

 

昨日から華氏100度超えの暑さ。そんな中、黒傘を日傘にしてやってきたインド女子学生。「まったく暑くてキャンパスの中を歩くだけでも難儀しちゃうの」とあえいでいる。「あら?でもインドでも暑いでしょう?」と聞く私。「ええ、でもインドは湿気があるから、楽なの。汗をかけるでしょう?ここは乾燥した暑さで、汗もかきにくくてもっと熱く感じるんです。」と答えた彼女は、本当に暑そうであった。私はハワイの湿気でさえ、sweating like a dog (犬のように大汗をかく=汗びっしょりになる)のように汗をかくから、どっちかと言ったら乾燥した暑熱の方を好むが、ところ変わればなわけである。それにしてもよく犬は暑さや汗かきに使われる言葉である。


“Dog Days of Summer”という英語のフレイズがある。これはちょうど今頃から始まる真夏、あるいは盛夏の意味で使われ、古代ローマでは7月24日(あるいは23日)から8月24日(あるいは23日)までとされ、現代でも北半球ではその頃を指し、南半球では1月中旬から2月中旬を指す。先日老農夫の暦(The Old Farmer's Almnac)でDog Days of Summerについての記事を読み、ここにご紹介する。



犬の日々、とは?

犬の日々はあなたの犬が暑い夏の日に喘ぎ始めるとき、ということだけではありません。

これらの日々は、かつては、その年の日の出にある天体(ここでおおいぬ座のシリウス)が太陽を伴って東の地平線から昇るという偶然の現象にかこつけています。

古代の人々は伴星であるシリウスと太陽の「複合熱」が真夏のうだる暑さを引き起こしたと考えました。

シリウスの出と入りは実際の天候には影響しませんが、古代エジプト人にとって、シリウスはナイル川の洪水期の直前に現れました。 彼らはシリウスをナイル川洪水の「監視人」として使っていました。

それはまた、極端な暑さの時期と一致していたので、暑くてうだる天候との関連づけがされてきたのでした!


夏の犬の日はいつ?

The Old Farmer’s Almanac(老農夫の暦)によると、夏の日々は、伝統的に7月3日から8月11日までの40日間で、これは「犬の星」であるシリウスの出とたまたま一致しています。 これは夏至の直後で、よって最悪の夏の暑さもすぐに始まることを示しています。

太陽以外で、シリウスは最も明るい星です。 適正な条件がそろえば、日中、肉眼でも見ることができます。シリウス星は、おおいぬ座で最も明るい恒星で、 「大きな犬」を意味します。この明るさの大胆な星の愛称が犬のであることは当然なことでしょう。


古代社会では:

古代エジプトでは、ナイル河が毎年通常6月下旬に氾濫し始めました。 浸水と呼ばれるこ、とは?の出来事を人々は歓迎しました。なぜなら、洪水は、本来砂漠であった土地に作物を育てるために必要な豊かな土壌をもたらしたからです。【これは地理の時間に習う】

洪水がいつ始まるのか、エジプトの誰もが正確に知りませんでしたが、彼らは手がかりを与えた偶然の一致に気づきました:シリウスが太陽の前に上がり始めた日に水が上がり始めたからです。 彼らはシリウスをSOTHISと呼びました。 SOTHIS【古ラテン語でシリウス星を意味する】と浸水はエジプト人の生存にとって非常に重要になったので、東の地平線上にその星が最初に現れたのに続く新月から、彼らは新年を迎え始めました。

一方、エジプト人とは異なり、古代ギリシャ人とローマ人はシリウスの出現に満足していませんでした。 彼らにとって、シリウスは干ばつ、病気、そして暑気や湿気からの不快感で邪悪が彼らの国にもたらされた時を知らせました。(こんなことを書いていると、中高時代の地理の授業を思い出します!)

ある人々は、夏のうだるような暑さはシリウスと太陽からの複合熱によるものであるとさえ信じていました。犬の星、シリウスは、ギリシャ語で「焦げている」という意味である所以がわかります。

シリウスは、ローマの詩人ヴァジルによって、「脆い人びとへ干ばつと疫病を連れてくる者は不吉な光をもって空をくすませてあらわれる」と述べられています。

これは迷信でしょうか? 2009年のフィンランドのある研究では、この犬の日々の頃、感染率はより高いという伝統的な言われを調査しました。その研究 著者らは、次のように述べています。「この研究は、感染症の発生率が犬の頃により高いという神話に挑戦するために行われました。 驚いたことに、神話は真実であることがわかりました。」


 今日の犬の星の意味

 地球の地軸の非常な不安定さのために、犬の星は今日古代よりも遅く現れるようです。 その出はナイル河の洪水の始まりとは最早一致しません(河は現在アスワンダムによって制御されているので、とにかく起こりません)、しかしシリウスはまだ暑い夏の日々の頃にその姿を現しています。


DOG DAYS OF SUMMERの民話

昔の人たちは、次の言われにあるように、犬の日々の降雨は悪いことの前兆だと信じていました。

犬の日々は明るく
幸せな年を示すが
しかし、その頃雨が降れば
私たちの希望は無駄になる

犬の日は今日明日です。 だから太陽が輝いている間に急いで乾かし干し草をつくらなければなりません。年老いたシリウスが天候を指揮すると、彼はそのような不安定で狂った犬で、誰も彼を頼りにできないのだから。


–1817年のThe Old Farmer’s Almanacからの記事より


constellationofthemonth.com

おおいぬ座とこいぬ座。。。可愛い!

 


 


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帰らなかった愛する人

2019-07-22 | 人間性

doanarae.com 

 

 

 

つい先週のある日、まだまだ明るい夕刻5時半頃、友人の夫が2019年型ホンダ125CCのモーターサイクルに乗っていたところ、突如25歳の若者が運転するトラックが前方でUターンをし、そのトラックの側面に激突して即死した。51歳。愛妻と四人の子供たちに孫三人。下の子供はまだ中学生ほど。


教育委員会委員で、その前は、生徒に親しまれ、慕われてきた教師だった。残された家族を思うと、息をするのも辛い。経済的には、彼はサイドビジネスで土地不動産関係にも携わっていたので、そう心配することはないのが、せめてものこの世的な救いかもしれない。家族を愛した働き盛りの彼が、思い残すことはおそらく数限りないことだろう。去られた家族は、最愛の大黒柱を突然失い、打ちひしがれている。


先日の京都アニメィション・スタジオでの惨劇は、ひとりの男がかくも無残に人々の命を容赦なくもぎ取られるのかと唖然とし、またその犠牲者の多さにも震え、誰もの口をつく言葉は、「何故?」である。その答えは、この世を去るまでわからない。狂気に至ったわけは、そのうちに明るみにでるかもしれないが、何故今このように命を奪われなければならなかったのか、何故それが愛する人でなければならなかったのか、その答えは、あってないに等しい。誰にもわからない。そして今その答えは得る時ではないのを悲しみのうちに知る。


信仰を持つ者は、損失がほんの一時的なことであると理解するが、その境地に到達するのは、(キリスト教徒でも)決してたやすいことではない。それでも少なくとも悲しみが、光のない洞窟ではなく、トンネルにすぎないと根底で理解する所に救いがあるのだ。トンネルの向こうには、明かりさす出口があり、そこに、愛する人が待っているとわかるからである。特に信仰を持たなくとも、それをうっすらと感ずる人はいる。


私は何をしたらいいのだろう。夫を亡くした友人に何ができるのだろうか。決して「泣かないで」や「時が。。。」などとは言うまい。やはり私はいつもそういう時にすることをするだろう。それは、以前のブログにも書いたが、深い悲しみのうちにある方には、話したいことを話したいならば、いつでもお聞きします、とメモをつけて食事を持って行く。泣くだけ泣いて、気の済むまで泣いて、疲れたら私の肩に頭を置けます、とも。弟が逝った時、夫も子供達も、私が話したい時だけ、話を聞いてくれた。泣きたい時には、夫が胸を貸してくれた。そこで私は千の慰めを受けた。


 





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短い愛の物語と祈り

2019-07-20 | 人間の愛

shafferforjudge.com 

 

 

 

エリック・シーガルの小説から作られた1970年のアメリカ映画、Love Story(邦題:ある愛の詩)をご存知の方は多くいらっしゃるだろう。当時かなり世界的に話題になった映画であり、多くの観客は滂沱の落涙を経験したのがニュースになった。1970年封切り当時、私はまだほんの子供であったので、たとえ映画のレイティングが、PG*であっても、劇中に飛び交うジェニーの言葉の悪さに閉口した両親や姉たちの判断で鑑賞は先送りとなった。私が実際に観たのは、ずっと後、確か深夜の居間のロッキングチェアで新生児の長女を腕に抱いて寝かしつけながらHBOでも見ていた時だと思う。もちろん弾丸のように飛び交う悪態に終いにはうんざりしたが、1970年当時「純愛」物語として人気があったのは、一応うなづける。1970年はまだまだヴェトナム戦争が続いていて、アメリカの人々は荒れた気持ちを持ち、殺伐とした日常に現れたこの小説や映画に一息ついた気分だったのだろう。

PG*とは:米英での映画の格付けで、parental guidance suggested(保護者同伴が望まれる)という判断のひとつ。この映画がGの一般指定にならなかったのは、言葉遣いがカラフル(⁼悪い)であるのとラブ・シーンがあったため。)


どんな時代でも、純粋な愛は生きる意思や目的や意味や希望を持たせてくれ、それぞれの物語が生まれることであろう。最近読んだサイモン・ムワンギによるショート・ショートな愛の物語は、そんな愛の物語である。



*******

 

 

最初から、少女の家族は、彼女がこの男性とデートしていることに強く反対していたのは、彼の育った家族環境が好ましくない、というような理由だった。そしてそれによって彼女が彼と一緒になれば彼女は不幸になると思っていたのだった。


少女の家族のそんな圧力のために、当人二人は頻繁に口喧嘩をした。少女は彼を深く愛していて、いつも彼に尋ねた:「どのくらい深い愛を私に持っているの?」彼は口下手だったので、しばしば彼女を戸惑わさせた。それと家族の圧力とで、少女はよく怒りを吐き出した。彼はと言うと、それを黙って耐えていた。


数年後、その男はついに学校を卒業し、海外へ留学することを決心した。彼が去る前に、彼は彼女にプロポーズした。「口下手でスルスルと耳に心地よい言葉を言えません。でも、わかっているのはあなたを愛しているということです。あなたの家族についても、話し合うように最善を尽くします。あなたは私と結婚してくれますか?」


少女は同意し、二人の固い決意に、ついに彼女の家族は諦めて結婚を許すに至った。そして彼が去る前に、二人は婚約した。


少女は社会に出て働き始め、彼は海外で勉強を続けていた。二人はEメールや電話を通して愛を高めあった。それはたやすくはなかったが、二人とも決してあきらめようとは思わなかった。


ある日、少女が仕事に行く途中、制御の利かない車によってはねられた。彼女が目を覚ますと、両親が彼女の伏すベッドのそばにいるのを見て、自分がひどい怪我を負ったことに気付いた。母が泣いていて、彼女を慰めようと思った。しかし彼女の口から出るのは、ただのため息でしかなく、彼女は声を失ってしまっていた。


医師は事故による脳への影響が彼女の声を失わせる原因となったと述べた。彼女の両親の嘆きを耳にしても、彼女は一言も発せず、泣き崩れた。


入院中彼女は、沈黙のうちに泣くことがすべてであった。退院して帰宅すると、すべては何一つ変わっては見えなかった。 鳴る度に彼女の心に突き刺さるような電話の呼び出し音を除いて。 彼女は彼に知らせたくない。 そして、彼に負担をかけたくないと思い、彼女は、もう待つのを望まないと彼に手紙を書いた。 そして婚約指輪を彼に送り返した。 すると彼は、見た所、何百万にはなろうかという多くのメッセージと無数の電話を送ってきた。 彼女ができることは泣くことだけだった。 両親は、彼女がやがてすべてを忘れることができれば幸せになるだろうと願い、引っ越すことに決めた。


新しい環境で、彼女は手話を学び、新しい人生を歩き始めた。 彼女は彼を忘れなければ、と毎日自分に言い聞かせた。 ある日、友人が尋ねて来て彼が戻ってきたと言った。 彼女は自分に何が起こったのか彼に知らせないようにと友人に頼んだ。それ以来、もう彼についてのニュースはなかった。


一年が経ち、彼女の友人は彼の結婚式の招待状の入っている封筒を持ってきた。 彼女は粉々に崩れそうだった。 その封筒を開けて、招待状を取り出すと、そこに自分の名前を見た。


彼女が友人にどういう意味か尋ねようと顔を上げると、彼が目の前に立っていた。 彼は手話を使い、「私は手話を学ぶのに1年の時間を費やしました。私たちの約束を忘れていないことを知らせるためだけに。 愛しています。」そして彼は指輪を彼女の指にはめた。ようやく彼女は微笑んだ。


*******


ブロードウェイのヒットミュージカル、Les Misérables (ああ無情)の中で主人公のひとり、ジャン・ヴァルジャンが、コセットの愛するマリウスが無事に彼女の許に帰還することを祈る歌”Bring Him Home"を歌う。それが記事を書いていて脳裏に浮かんだ。これは今や、軍隊や伝道で奉仕する、あるいは家族から離れている愛する人たちへの個人的な祈りとして多くの人々がこの歌に思いをあてはめている。今日はその曲を再びThe Piano Guysのピアノとチェロ演奏で。

願わくば皆さまの愛する方々が御無事に皆さまの許へお帰りになりますように。








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レンガ

2019-07-18 | 人間性

sccpre.cat





若くして成功している重役が新しいジャグアーで、近所の通りをややスピードを出して走っていた。


彼は駐車している車の間から飛び出してくる子供たちに用心していたが、何かを見たと思い、スピードを緩めた。彼の車が通り過ぎても、子供はひとりも現れなかった。代わりに、ひとつのレンガがジャグアーのサイドドアに激突したのだ!


彼はブレーキを強く踏み、レンガが投げられてきた場所にジャグアーを後退させた。


怒った運転者は車から飛び降りて、すぐそばにいた子供を掴み、駐車している車に彼を押しつけて、怒鳴った。「あれは一体何だったんだ? 君は誰だね? 何をしていたんだ? 車は新車で君が投げたブリックのせいで修理にものすごくお金がかかるんだぞ。何故やったんだ?」


その若い少年は謝罪した。「どうか、おじさん、どうか、ごめんなさい、どうしたらいいのかわからなかったんです」と彼は言った。 「誰も止まらないのでレンガを投げたんです……」涙を頬に伝わらせ、それがあごから落ちている少年は、駐車している車のあたりを指さして言った。


「僕の弟なんです」と彼は言った。 「縁石を転がった車椅子から落ちたんです、でも僕はひとりでは弟を持ち上げられないんです。」


今やすすり泣きながら、少年は驚いている重役に聞いた、「車椅子に戻す手助けをしてくれませんか。弟は怪我をしていて、僕には重すぎるんです。」


言葉で言い表せないほど心を動かされて、重役は喉がつまるような気持ちになった。彼は急いでその障害のある少年を車椅子に持ち上げ、麻のハンカチを取り出して、できていた擦り傷と切り傷を軽く払った。


一見して、「すべては大丈夫だよ」、と少年に言った。


「ありがとうございます、そして神があなたを祝福するように」と感謝する子供は見知らぬ人に言った。


言うべき言葉を失うほどあまりにも心を打たれて、男は少年が自分達の住む家へ向かって弟の車椅子を押しながら歩道を下っていくのを見ているばかりだった。それはそれはゆっくりとジャグアーへ戻っていく彼だった。


損傷は非常に顕著だったが、しかし彼はへこんだサイドドアを修理することに煩わされなかった。彼はこのメッセージを思い起こさせるためにそこにへこみを残すことにした。


「あなたの注意を引くために誰かがあなたにレンガを投げなければならないほどに、人生を駆けぬけないで!」


神は私たちの魂にささやき、私たちの心に語りかける。時々私たちが聞く時間を持たないとき、彼は私達に煉瓦を投げなければならないのだ。


聴くか聴かないかは私たちの選択である。


 



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