ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

経過報告

2019-11-20 | 家族

 

 

 

 

先月三日に脊椎管狭窄症のため、椎弓切除及び椎間関節切除などの手術を行って22歳(あくまでも自称)になった夫は、その後も順調に回復し、退院した次の週からは出勤し、四週間目にはすでに庭の手入れ(草刈り、藤の枝の剪定等々)をこなし、コーストへの一泊出張も終え、二階の寝室で眠っている。手術前に考えていた二階へのホームエレベーター設置案は、結局不要となり、よって夫は階段を使っている。全く痛まないわけではなく、サロンパスの大きなLidocaine 4% Pain Relieving Maximum Strength Gel-Patchを週に二晩ほど手術跡の両側に貼っている。リドケインは局部麻酔薬で200mg以上使用すると痙攣を起こす副作用があるが、入院時にも使われていたので、4%の湿布薬週二回使用ではさほど心配はないようである。特に強い鎮痛剤を使用することもない。先日の術後ひと月目執刀医検診では、まったく理学療法(Physical Therapy)は必要がないと診断され、そして検査後すぐ椅子から立ち上がった夫に医師は驚いたと言う。「私の執刀だからだな」とドクターX並みの「失敗しない」神経外科医は喜んだ。


ありがた~いサロンパス


まったくサロンパスの必要のない新しい孫息子三人はすでに五か月、四か月、二か月となる。それぞれ私の大好きな歯のない笑いをし、時には声を立てて笑いもする。#7は相変わらず新米から二番目なくせに、夜間真面目に眠らず母親の末娘とその夫を困らす。そのためにパパの大事な法学校のアサイメントや予習や法廷仕事がおろそかになるのを危惧して、ママと#7は里帰りをしている。これで二回目だが、今月にクリスニング(というよりも命名・祝福式)を予定していたのでちょうどよかった。#7の成長は目覚ましく、話しかけるとすぐに笑みを浮かべ喜ぶ。その笑顔には、「もう、あなたのためなら、何だってしちゃう」人間にさせる眼力レーザー光線という秘密兵器が潜んでいる。


   

#7とクリスニングでの家族写真。白いクリスニングガウンは親子二世代にわたって使われているお手製。

 

 


#8もあっという間にもう二か月。長女は#8とこの秋からTK(Transitional Kindergarten*)へ通い始めた長男(#1)の登下校を家事の合間にし、妹の義理母と義理姉妹とで長くやっているブッククラブへ顔を出すのを忘れない。#8も#7に引けをとらず、最近はよく笑みを見せる。育児に家事にと忙しい姉を心配して末娘は、ここに里帰り中なのだからと、#1の退園時にはピックアップをかってでている。夜間子供をあやす時、テキストすれば必ず相手も同じ事情で起きている姉妹である。思えば、遠い昔五人の子供を育てていた私、真夜中のあやしタイムに付き合ってくれたのは、大抵は深夜TV映画劇場だった。The Maltese Falcon(邦題:マルタの鷹)で探偵サム・スペイドがダシール・ハメルの理想の探偵に違いない、と一人納得していた真夜中がよくあった。

*プリ・スクールとキンダーガーテンの間、カリフォルニア州では義務教育の一部。孫#1は11月生まれで、キンダーガーテンでは他の子供(1月~9月生まれ)に遅れをとるや知れず、今から予備的なTKに入れると学力も体力も他者にひけをとらずに来年キンダーガーテンに入れる。



  


#8:この子の事情で肝心の笑顔はお休み中



ドイツの#6の両親は12月で3歳の娘と今五か月の息子の育児に忙しい。#6の3歳の姉#3(ややこしい)は、弟のお世話のお手伝いを早速していて、Horse Whisperer(邦題:モンタナの風に抱かれて)ならぬBaby Whisperer(邦題にしたら、フランクフルトの風に抱かれて、かな?)としての力を発揮している。#6がぐずる時や泣きそうになると、#3が即座にあやし、やがて二人して笑い始めると言うのがママの話である。これは続々送ってくれるヴィデオで確証済み。ドイツはサンフランシスコから飛べば日本への飛行時間ほどだが、なかなか思うように訪問し合えないのが残念なことだ。来年こそは、夫と私は訪問したいものである。スカイプやスナップチャットは息子一家と我が家には、完全に神器となった。



 

#6は、育つのに忙しくて寝てばかりの坊や

 

 

 

追記:

ここまで書いていて、9月7日付けの邂逅というタイトルのブログの後記・追記を書くことになった。そこに書いたMの父親は二、三週間前に突然夫のオフィスの留守電にメッセージを残していた。何故夫の携帯や家の固定電話ではなかったのか不思議だが、オフィスの電話であるため、夫の注意はそのメッセージにすぐ向けられた。早速折り返し電話をかけた夫は、Mの父親Eが、五年ほど前最愛の妻を亡くしてからは、歩行がおぼつかなくなり常時プライベイトの看護師に看てもらう生活となったのを知っている。しかしながらEは、話も非常にはっきりとしていて、昔のようにひとつも衰えた所はなく、きさくな温かさは相変わらずだったと言った。


Eはサクラメントでキリスト教会伝道をしている孫息子に、そのうち夫が会いに行ってランチでも一緒にしてくれたら、本当に嬉しいと言った。夫は、勿論そうします、と答え、近いうちにアリゾナの彼の許へも訪問しますよ、と伝えたのだった。Eはそれを聞き、たいへんに喜んだそうだ。その後すぐ又Eは電話をしてきて、再度夫に孫息子を励ましてランチへ連れて行ってくれたら、嬉しいと告げた。夫はすぐに二人の兄たちにも連絡をして、どうせならば三人でその孫息子に会い、またアリゾナへ行こうかと相談したのだった。この時期感謝祭はあるし、クリスマスも近いがその間の二日三日でできそうな訪問だったので計画された。


すると昨日午後、別の幼馴染からメイルが入り、土曜日夜就寝したEがそのまま逝去したという訃報を聞いた。今週Eは90歳になるはずだったから、年齢に不足はないが、先日元気そうなEと楽しく会話したばかりの夫は、絶句した。幼い頃からの良き隣人で友人で本当に楽しい日々を提供もしてくれたEを訪問するのを楽しみにしていたのだった。訃報を聞いて、あのMの夢はMの息子だけではなく、父親の旅立ちについても意味を成していたのだと気づいた。Eは最愛の妻を亡くし、悲しみは深かったから、今また彼女の許へ行けて、また一人の孫息子にも会えて、その喜びが伝わってくるようにも感じられた。


夢の中でMを励ました夫の亡き父は、突然二人の家族をこの秋亡くすMのことを心にかけていたのだと思える。この世界とあちらの世界を隔てるヴェールは、ところどころ薄い所があって、そんな所ではこちらとあちらの人々が昔のように近しく思い合えるのではないだろうか。だから息子と父親を二か月の間に亡くしたMは打ちひしがれても、再び人生を歩み始められるのだ。そして私の希望も続くのである。



 

 

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些事

2019-11-18 | 考え方

 photocredit: www.dzbreaking.com

 

 

 

 

数年前、ある男性がラジオでインタビューされていました。彼は、カリフォルニアからニューヨークまで徒歩で米国横断を始めました。彼は道半分のポイントに達していました。


多くの記者は徒歩横断の経過について彼に尋ねました。たくさんの質問の最後は、こんなものでした。「これまでで一番難儀だったのは何だったのでしょうか?」


この徒歩旅行者は長く考えていました。骨の折れる登山をした山々、熱風の砂漠地帯、照り付ける太陽、そして風が心のうちに浮かんできました。


その上で、彼は静かに言いました、「私の最大のたいへんだったことは砂が私の靴の中に入り続けることだったと思います」。彼の靴の中の砂。直面した大きな危機ではなかったのです。彼の命をほとんど奪うような危険だったことでもありません。しかし、砂だと言うのです。足の裏の水ぶくれにかぶさってくる砂。彼の皮膚をしょっちゅう砂はざらざらと刺激し、すべてのステップが彼を苦しめました。靴の中に入り込んだ砂。


人生はそれに似ています。 押しつぶそうとするのは常に人生の大きな危機ではありません。 最も深い悲しみや大きな失望だとは限らないのです。 大抵の場合、それは小さなもの、つまりそれ自体は取るに足らないのに、それが与える絶え間ない刺激や苛立ちです。 私たちは人生の大きなことに立ち向かえるのです。


しかし、些事なことがしばしば私たちを挫折させるのです。よく言われるように、それは次々と続くものです。 ささいなことには、私たちの内なる力の蓄えをすり減らすことがあるからです。 それは私たちの個人的な生活でも同じです。 神経を張り巡らせるのは、一滴の水だけではありません。 人々を怒らせるのは、継続的な滴下だからです。


—ハーレイ・M・ローゼンバーガー


ハーレイ・M・ローゼンバーガーは、アメリカ合衆国の宗教家。


トレイルを4マイル歩くだけでも、道の小さな砂利が靴に侵入してきて、足の心地がよくなくなる。立ち止まって靴を脱ぎ、砂利を振るい落して、また歩き始める。そうか、人生はそうなんだ、そういうものなんだ。砂利が気になるならば、少し立ち止まって払ってみることなんだ。どうせ又入り込んでくるとは分かっていても、砂利を払う努力は怠るまい。と、青く澄んだ空に浮く刷毛で履いてような白い雲を見上げて、よし、と人生のトレイルを行く。





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クリスマスを見つける

2019-11-16 | アメリカ事情

(courtesy Everett Collection)

It's a Wonderful Lifeから。


 

 

 

 

「おかあさん、今年のクリスマスに家に行けそうにないので電話したんですよ。」


ショックが私の心を麻痺させた!これで、家族となって35年で初めて子供たちの来ないクリスマスとなるとは。娘が妊娠し、12月29日に出産予定なので、彼女の夫と一緒に家で静かな一日を過ごす予定になっていた。そして今、息子は、あちら側の海岸地方から電話をかけてきて、航空会社での最近の彼の昇進が、忙しいホリデーシーズン中の自由時間を許可しないだろうと言ってきた。


我が家では、クリスマスは重要だった。クリスマスのために生きてきたようなものだ。私は一年中ギフトを買ってきたし、ベーキングは、感謝祭の後に、パイ、クッキー、パンなどを焼き始め、クッキーや果物をチョコレートに浸す手作業で終わったものだった。クリスマスイブに、ビュッフェ・スタイルでの食事をし、贈り物のひとつだけをそれぞれ開けることでお祝いを始めたものだった。クリスマスの朝、残りのプレゼントを開けて家族みなで朝食を食べた。その日遅くに、七面鳥の食事をして再び祝い、ボードゲームに興じて誰それがズルをしただの、たくさん笑い合ったものだ。


その週の終わりに、私の夫、ボブ、と私は、木、装飾、クッキー、パイ、七面鳥、ビュッフェ、そして贈り物の選択肢について陰鬱気に話し合った。私たちは、最初の子供が生まれてから初めて今年、休日の準備という業務(クリスマスツリーやら飾り付けやら)を諦めて外食をした。


ボブは突然老いたように見えた。時折ため息をついて、それから宙を見すえた。数週間が経つにつれて、私はいつもの休日の精神に欠けていることに気づいた。落ち込んで、親愛なる誰かを失ったように感じた。結局のところ、クリスマスは家族がいなければクリスマスではないと言われているのだ。雑誌は家族の集まりの言葉で私たちを窒息させる。テレビ番組は、愛する人々と共に過ごす休日の喜びを描いている。しかし、今年は誰もいない。誰も。私たちはクリスマスを失ったのだ!


12月初めのある日、娘が電話をしてきた。 「だからママ、何をしているの? 冷凍庫いっぱいに御馳走がもう入っているの?」


悲し気に、私は彼女に私たちの計画を話した。


「私たちが生まれる前、お母さんとお父さんはクリスマスに何をしたの?」と彼女は尋ねた。


その時だった、私が昔のことを思い浮かべたのは。結婚したばかりで、お金はなく、それぞれの家族から2000マイル離れて住んでいたのだった。突如私はわくわくした! 何故子供なしだから、楽しい一日を過ごせないというのか? それに子供たちに電話で話せるではないか。キャンディとクッキーを作り、家庭の味として子供たちに郵送できるのだ。このホリデーシーズンは、私たちよりも子供たちにとってもっと寂しいかもしれないと私は思った。クローゼットのクッキー用の空き缶を探し回っている時、私の利己的な考えは消え失せた。


ボブはクリスマスの飾り電球を引っ張りだし、それを家の輪郭に沿って取付けながら、口笛を吹いていた。すぐにシナモンとナツメグの香りが家の空気を満たした。そして庭から松の枝を取り、それでクレシュ(Nativityとも言うが、キリスト生誕時の馬小屋の様子を模したもの)を囲んだ。


Crèche あるいは Nativity 


クリスマスイブがやってきて、ボブと私は自宅の食卓をビュッフェスタイルにして、そこから食事をした。それぞれギフトを1つづつ開け、暖炉の火の前に座って、ビング・クロスビーのクリスマスアルバムを聴いた。


真夜中のミサで、若い司祭は赤いポインセチアと松の枝に飾られて輝いている祭壇の前に立ち、述べた彼の言葉が心に触れた。

「御使は言った、『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。』」(ルカ書第二章十節)


クリスマスの朝、私たちはプレゼントを開けて七面鳥を準備した。夕暮れ時には、ふたり手をつないで芝生の上を歩き、星が輝き始めるのを見て、平和が私たちを取り囲むのを感じた。色とりどりのクリスマス電球が周辺を明るくし、モミの木にそよぐ風がかすかに音をたてていた。近所の暖炉からの煙が、家族団らんの安堵を感じさせるように空気を包んだ。


結局、私たちはクリスマスを失なわなかった。それはいつもそこにあり、その静かな聖夜に私たちを待っている。


Chocolate for a Woman's Courageー77 Stories That Honor Your Strength and WisdomKay Allenbaugh、Simon &Schuster, New York, 2003にあるロイス・エリジー・プールさんの話。

 

 

********


お時間がおありなら、ジミー・スチュワート主演の短編Mr. Kruger's Christmas(25分52秒)をご覧あれ。





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夜長に暖炉の傍で

2019-11-14 | わたしの好きなもの

 

 

   

 

アマゾンのキンドルで多くの書籍を読むが、例えばDavid Hackett Fischerデイヴィッド・ハケット・フィッシャーのノン・フィクション、Albion's Seeds(アルビオンの種)は、ペイパーバックでも972頁あり、頻繁に使用するにはやはり電子書籍が便利だ。この本は、アメリカ合衆国へ移住した英国の異なる地域からの移民をその習俗によって四つのグループに分けて詳細に説明しているもので、系図研究をする者(つまり私)にとっては一読の価値が大いにある。特に日本よりも欧米、英連邦国の系図を主にするので、大変に役立つ。けれども、この重い本をブリーフケースにアップル・エアのコンピューターと言えども、一緒に持ち歩くのは、一苦労である。右手(あるいは左手)の長さをどうしようもなく伸ばしたい向きにはいいかもしれないが、重い鞄持ちは私は好まない。よって私はキンドルで読む。

 

だからと言って紙の本を一切読まないわけではない。聖書などの聖典は、紙の頁に思うことなどを小さく記したり、色鉛筆で気に入った聖句を印したり、それを人生で何回も繰り返すことで聖典そのものに私の歴史が刻まれていくのが好きだ。その他の本でも紙で読みたいものはたくさんある。料理本や手芸本は、実用的であると同時に寒い冬の日の午後、暖炉のそばのお気に入りの椅子にくるまってぱらぱらと頁をめくる楽しみを提供してくれる。


その他に秋の夜長にじっくり一頁一頁じっくり見たい本がある。J. Jefferson Farjeon(J. ジェファソン・ファージャン)のMystery in Whiteをココア片手に読むも楽しいが、実は読みたいのは図鑑である。かなり大きく重い本になりがちな図鑑でも、電子書籍を覗くよりも、ずっとわくわくするものだ。

 

私の母は、愛読書の一つが百科事典で、暇があると、虫メガネを片手に丁寧に読んでいて、しょっちゅうクイズ番組に出ては、日頃得た百科事典知識を試していたものだ。類は類を呼ぶのか、父も国語辞典や故事成語事典などをよく読んでいた。その二人の娘の私も百科事典は好きだ。


うちには1960年代発行の古い古いWorld Book百科事典全集が書棚にある。夫の両親が揃えた、今では骨董品で、百科事典の類は新しい物でなければそう役立たないが、それでもほぼ60年も前の百科事典で当時の風俗や考え方や政治や人々の動向、いまではない国の存在などが知れるから、それはそれで楽しい。


事典・辞典・フィールドガイドの類で私がもっと好きなのは、図鑑である。動植物は勿論、鉱物や宇宙や科学に関するものも大好きである。膝の上にずっしりと重い図鑑を置いて初めて、なんだか心のゆとりさえ感じる。

 

最近私が手にするのは、よく合衆国の地方裁判所地下に所蔵されている土地登記本ほど巨大ではないが、通常より大きな図鑑で、三年前のクリスマスに夫から贈られたものだ。題してGEM、宝石、宝玉の図鑑。私は宝石蒐集家ではない(お金が足らない)が、その美しさには目を見張るし、楽しまさせてくれる。三年前に貰っていながら、まだ読み通していないのは、多忙な時に気もそぞろに読むものではないからで、きれいな物を目にしたい時、時間を作って見たい図鑑である。頁数は500足らずでも、一頁には多くの情報が書かれていて、写真も美しい。もともと私は鉱物が好きで、この図鑑はそうした鉱物についても触れている。

 

 

  

 

昨秋孫を含めた長女一家と、うちから一時間ほどの山間にある小さな鉱物博物館を訪問した。そこには、小さいながらもFluorite (蛍石)のコレクションがあり、ディスプレイの仕方も面白く、4歳の孫でも十分に楽しめた。その蛍石の数々は、カリフォルニア州で産出されたものや、ネヴァダやアリゾナのものもある。蛍石とは簡単に言えば、ブラックライト(わずかに眼で見える長波長の紫外線(波長 315-400 nm、UVA、Ultraviolet A)を使う懐中電灯で照らすと発光する鉱石である。その色は赤、ピンク、オレンジ、ブルー、緑、黄色といろいろあり、暗い所で光るので、孫息子は、とても気にいった。


sidcuplapminsoc.org.uk

紫外線電灯の下で光る蛍石


蛍石以外に、閃長岩(せんちょうがん、syeniteサイアナイト)と似ている成分を持つ深成岩で、ここ2,3年にミシガン州で発見されたヨーパライトという石も、紫外線懐中電灯で照らすと、細かな金色の粒状の光を発する。この石をいくつか入手していた私は、ひとつづつ小さなブラックライト懐中電灯をつけて、孫息子二人、姪の息子などにあげた。鉱物・鉱石は知らないと非常に危険な成分を含むことがよくあるが、ヨーパライトは投げつけない限り安全である。


  

左はブラックライト懐中電灯で照らす前、右は照らしたヨーパライト。下は採取現場での撮影された石。

Credit: Erik Rintamaki



 

野鳥や動物図鑑も楽しく、昨今はほぼ孫と共に見る図鑑である。風の強いある日、庭の藤棚の下にあるテーブルに見慣れぬ小鳥よりは大きな鳥が鎮座していたことがあって、その姿をまずは携帯電話のカメラで撮り、図鑑で調べた。その特徴から、Cooper's Hawk(クーパーハイタカ)という中型の鷹であった。風が強い日は鷹だって、やっていられないわよね、と窓ガラス越しに話かける私をよそに、クーパーさんは、さっと再び空へと飛んで行った。


つまり図鑑は大人の絵本とも言えようか。


クーバーハイタカ:お達者で! 

 

 

 

 

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愛のこもった親切

2019-11-12 | 人間考察

123rf.com

 

 

 

 

小さな子供は愛情のある親切が何なのかを説明しました。

「お腹がすいていて、おかあさんがバターを塗ったパンをくれたら、それは親切です。でも、おかあさんがそれにたくさんのジャムを塗ってくれたら、それは愛情のある親切です!」


*******


人生はそれほど短いものではありませんが、常に親切にする時間があります。

エマーソン



それならば、私は孫にピーナッツバターとジャムのサンドウィッチを作ろう。そこら中べたべたにしても、「あとできれいにするから心配しないでいいのよ」と慈悲深く言い、孫娘が新しいテレビの画面にクレヨンで目一杯落書きをしまくっても、「まだ二歳だものね、わからないわよね。じゃあ将来払いで罰金500万㌦ね。」と慈悲深く笑おう。



そこのベッドで飛び跳ねにお忙しいクレヨン少女、#5、あなたのことですよ。










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