ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

一つの世界に一つの家族

2024-10-24 | アメリカ事情 人間性



友人の一番下の息子は20代前半だが、重度の自閉症である。ほんの少しの言葉しか話さず、ほとんどの時間自分の世界に閉じこもっている。しかし、適切な処方薬、決まった日課、家族や友人その他の人々からのたくさんの愛、サポート、受け入れ、理解を日々受け取り、この地上で、幸せな生活を送ることができている。

ひとつ未だに抱えている問題は、自分の衣服を乱暴に扱い、ズボンの糸を引き裂いたり、シャツを破いたりしてしまうことだ。そのため、友人は古着屋で安い服を探して、それらの服の代わりになるものを探すのに多くの時間を費やすと言う。

先日、友人は、古着屋の1つで、息子が破った服の代わりになる青いスウェットシャツを探していた。古着屋の通路を歩いていると、「戻ってきなさい!」という声が聞こえ、そのすぐあとで、くすくす可愛らしい笑い声が聞こえてきた。そちらに目を向けると、3歳くらいの小さな女の子が通路を笑いながら走っていて、母親から離れようとしていた。彼女は友人と息子のところまで走ってくると、抱っこしてもらうために両腕を広げた。お母さんが友人に微笑みかけてくれたので、友人は見知らぬその子を抱き上げて、お母さんの腕の中に戻した。

その通路の角を曲がると、今度は年配の婦人が、彼女にはとても届きそうにない高い棚の上にあるハンドバッグに手を伸ばして苦労しているのが目に入った。お手伝いましょうかと尋ねると、その婦人は、「はい」と答えたので、友人はつま先立ちになって彼女の買おうとしているハンドバッグを手にし、それを彼女に渡した。

そのうちに友人とその息子も息子が大のお気に入りになるとわかる青いスウェットシャツを見つけた。

レジに向かって歩いていくと、さきほどの年配の女性が笑顔でハンドバッグの代金を払っているのが見えた。その後ろでは、あの小さな女の子が喜びで飛び跳ね、お母さんの手を握り、お母さんが見つけてくれた古い人形を抱きしめていた。

友人がそのレジの列に並ぶと、突然、心が平和、喜び、愛で満たされるのを感じた。友人とその息子、あのお母さんと小さな女の子、は、みんなひとつの家族であり、ひとつの世界にいて、みんなに対する優しさと神の愛に満ちているのだと気づき、なにやら内側からほんわかしてきた、と言う。

そんな日々の気づきを何気なく友人が話してくれた時、思い出したことがあった。マザー・テレサは「私たちはお互いに属している」(絆を持っている)と言い、ラム・ダス(Ram Dass)は「私たちはみんな、お互いを家まで連れて帰っているにすぎません」とその本に書いていることである。

私たちはこの世界でみんなとひとつだということを忘れてはならない。それに気づいた時、初めて、私たちは本当に優しさと愛を持って生きることができるのかもしれない。そうして、私たちは本来あるべき自分になれるのではあるまいか。一つの世界に(おおきな)一つの家族として。

思えば、少し前の流行病の折、「三密」を避け、なるべく一人で過ごすように推奨(強制)されていた時期、こんな掛け声がよく聞かれた:We are all in this together. 私たちは皆この中に一緒にいる。

その言葉に少なからず勇気付けられ、やる気も起こさせられたように感じたのは私だけではあるまい。



この「掛け声」はそんな遠い日のことではない。
「私たちは皆この中に一緒にいます!
たとえたった今手を繋ぎあえなくとも。」




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今更ながら、幾重にも述べたい感謝

2024-10-18 | 考え方




幼い二人の息子を連れて末娘がほんのすぐそこの小さな公園へ歩いていき、しばらくすると、「雨がパラパラと降ってきたの。」と帰宅した。窓外を覗くと、空が暗く、重たい。でも本当にパラパラで終わった。残念。今年も秋からの雨季に無事入れるといいのだけれど。

これを書きながら再び窓外を伺うと、息をつくような美しさで残照が庭の高い高いレッドウッドのてっぺんを照らし、空は空で、灰色でいたいのか、空色でいたいのか決心がつかないようである。私にはそれだから美しいと思える。

さっきいっとき前庭に出て東の空を見上げたら、長さにして10cm(地上から見て)ほどの長さの虹が見えた。ちょうど虹のアーチのてっぺんのかけら。やっぱり、空が重くても、私の背後には太陽があって、こうして虹のかけらを見せてくれている。今日1日の締めくくり、これで決まった。今日も良い日だったと。

今朝、一年余ぶりにヘア・スタイリストへ行った。一昨年暮れに行って以来、年が明けて早々から夫の発病、介護・看護、逝去、葬儀、ついでに私自身の癌診断、手術、各種治療、とあり、特に化学治療が始まったすぐから、毛髪は消えていった。

今年の初春頃から再び頭髪が戻ってきたが、以前のような真っ直ぐさはなく、多くの化学治療後の女性が経験するというが、毛質はウェイヴィで、伸びも遅い。尤も私は、治療に入る前にすでにウィッグを用意していたので、周りの人々をショックに陥れることはなかった。

ところが自然に髪が増えたり伸びたりすると、ウィッグをしっかり固定できかねないことがある。それならばウィッグを使わねばいいのだろうが、実を言うと、ウィッグはとても便利で身支度もすぐできる利点があるのだ。

第一"Bad hair day"(朝から何をやってもうまくいかない、髪をうまくまとめられない、寝癖のついた髪をきちんとできないことから発する俗に言う「ついていない」日)がない!ウィッグは自分にあっている形ならば、なおさら気分上々で1日を始められたり、人に会う時もなにげに落ち着いていられる。

ただ他に客やスタイリストの何人かいるサロンへ行くことが、私には多少憚られたのだ。ウィッグを外して、不揃いな自毛の頭を晒すことも、ああ、化学療法を受けたのだな、と不憫さを感じさせてしまうことも避けられるなら避けたい。

ところが、実は自毛のままハンカチーフを頭にそこへ出向いたのは、そんな小さなつまらぬことで自尊心を誇大に持つことが、自分で嫌であったからだった。複雑な心境でいざサロンに入ると、なんとこの25年来の私のスタイリストは、個人専用の美容室を持っていて、そこへ入れてくれた。大きな安堵!一年何ヶ月かぶりの再会に彼女と私はまずハグをして、お互いの家族について語った。

さすがにプロだから、さっさと髪を整え、見違えるようにその魔法の手技を披露してくれた。女性(男性でも然り)の化学療法経験者は、熱心且つやさしい癌外科医師団と、放射線技師、そして腕のよい人情味のあるヘアスタイリストが、味方にいらっしゃれば、人生は捨てたものではない。

久しく会えなかった彼女との話は尽きなかった。Covid-19の時には、我が家へ出向いて、夫の整髪も商売抜きで世話してくれた彼女に、夫はここにはいなくとも、その気配は絶えずあり、様々なことでその存在を感じることが多い、と話すと、「ああ、やっぱり。お二人とても仲良しでしたものね。」とうなずくのだった。

別れ際に外まで送ってくれて、彼女は、「立て続けの試練に会っても、あなたは、希望をますます輝かせて前向きな歩き方をしていて、嬉しいわ。」と言い、また大きなハグをくれた。

だから先ほど見えた虹のかけらは、良い日の締めくくりにふさわしかったのだ。






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やんなっちゃう!Part 2

2024-10-14 | 私の好きなこと

新しいブーツが嬉しいハスキーのような方。



今記事は、2年前の「やんなっちゃう!」の続編です。(下にリンクあり。)




夏も終わったばかりでも、
次のヴァケイションの準備万端、この笑顔。


飼い主が毎朝一番に見るのはこのお顔


毎朝洗面所へ行けば、このタオルが。
引っ掻かれ保証付きタオル。


ユニークなデザインのお方。


パピヨンの隙を伺う輩


ゾーイ・パラマウントさんのXから。パリの1日、
26枚のスナップ中19枚がこの被写体。


え?!
二度見は必須なこの一枚。
(大丈夫、頭だけ一段上に置いている。)


セルフ・パーキング。


飼主との”養子縁組”成立のビフォーアンドアフター:
たった2時間の差=満面笑顔。


イースター・ラムの3Dケーキ型で作った
ケーキのデコレーション:あくまでもイースター用であって、ハロウィーン用ではない。


5パウンズのマタタビの袋を破って遊んでいたのを
帰宅した飼い主が発見。
「ワタシの潔白をこの目を見て信じて!」と
みつめられても。。。


「人間は楽しいかもしれないが」と
ご本人は今まさにどう仕返ししようかと思案中の目々。


飼い主留守中に小麦粉と遊んで、おじさん顔になってしまった。


あ〜あ。。。
英語:Don't cry over spilt(spilled)milk.
日本語:覆水盆に返らず


せっかく焼いてもどうしてもこの一枚のクッキー
食べられない。悲しすぎ。


3年前の記事「思わず」に挙げるべき一枚。
ぱっつんポニー。「マコト」と呼びたくなる。




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初秋の宵に

2024-10-10 | 家族




世は初秋。私の好むYouTubeの”Relaxing Jazz MelodyのSoft Autumn Jazz Music to Calm, Relax ”を付けて、そのたおやかなメロディに耳を傾けながら、午後や宵に読書や針仕事をする。落ち着いた、それでいてアップリフティングでもある音楽を聴くのが好きだ。(そのリンクは最後に付記)

今宵読んだのは、ジョセフ・マゼラ氏の遠い昔の思い出話。彼の小作品は、読むといつも同感し、つい読み終わって夜空を窓を開けて眺めたくなる。ああ、私もそんな思い出あるなあと、星を見つめる。星の合間のそこここに懐かしい時や人々や家族の古い映像があるかのように。以下はその話。

********

分かち合った愛の小さな瞬間

私が子どもだった頃、寒い冬の夜になると、母はよくテレビを見ながら食べるポップコーンを作るのを手伝わせてくれました。母の作り方は昔ながらのもので、薪をくべ、火をつけた鋳鉄ストーブ(竈)の上に、重たい鋳鉄のフライパンを置くのです。フライパンが温まり始めると油を少し注ぎ、バターをひとかけら加えます。次にポップコーンの袋からポップコーン粒を一掴み振り入れます。

私たちは一緒に、油がジュージューと音を立てるのを聞きながら、最初の粒が弾ける音が聞こえるまで待ちます。それからフライパンと蓋を手に取り、ポップコーンが焦げないように、蓋をしてストーブの上で揺らし、振うのです。フライパンが膨れたポップコーンであふれそうになるまで振って振って、粒がポンポンと弾けます。最後に母はそれを全部大きなボウルに注ぎ、塩を全体に振りかけます。

それから私たちは皆リビングルームに座り、父はリクライニングチェアに、祖母は薪ストーブのそばの椅子に座り、私と母と兄弟たちは並んでカウチに座りました。ポップコーンはいつもみんなに十分な量があり、母は弾けきれなかったポップコーン粒を私にかじらせてくれました。

おかしなことに、あの夜にテレビで見た番組は何ひとつ思い出せません。どれもぼんやりとしか思い出せません。でも、はっきり覚えているのは、ポップコーンの香り、膝の上のボウルの温かさ、そのおいしい味、そして何よりも、母が私の隣で寄り添ってくれて感じた喜びです。私はとても愛され、とても安全で、とても幸せだと感じました。家族と一緒にいると、すべてが世界と調和しているようでした。私たちには大きな家も、たくさんのお金も、店で買った高級なお菓子さえありませんでしたが、愛があり、それだけで十分でした。



結局のところ、人生に意味を与えるのは、愛を共有した小さな瞬間だと思います。それは神からの贈り物です。それは私たちがお互いに贈る贈り物です。それは私たちがこの世を去るときに持っていく唯一のものです。そのひとつひとつを大切にしてください。あなたの人生をそれらで満たしてください。なぜなら、そうするたびに、ここ地球上に少しずつ天国を創り出すことになるからです。






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