▶マウホ探訪のメインの一つはこのガイスリンゲンにありました。
❤ ガイスリンゲンの町 美しい組み木の家も残っています。
▶2022年9月5日(月曜日)の続きです。
シルヴィアは以前から年齢(私たちの娘世代)よりずっとしっかりした考え方をしていると思っていましたが、今回の旅で驚いたのは、小さな町を訪ねる日程ではレストランの予約まで心配りをしていてくれたことでした。何しろドイツの友人たちが3人(クラウスは仕事でした)、私たちと一緒だと6人になりますから、お昼時に簡単に入れるレストランを探すのはなかなか難しいのです。この日の午後は、普段は閉じている教会の関係者に連絡を取って午後3時にドアを開けてもらう手配をしてくれていましたから、時間に遅れてはいけないということもあったようです。
前号に書いたレヒベルクハウゼンの町でも近くのイタリアンレストランの予約を入れてくれていました。下の写真がその昼食風景です。運悪くヴィリーが頼んだスパゲティの中に虫らしきものが入っていてシェフと言い争いになった一場面もありましたが、早口の応酬にはとてもついていけませんでした。でもピザは美味しく食べました。
❤ レヒベルクハウゼンのレストランにて昼食
ここから約22kmほどのところにガイスリンゲンの町があります。ゆっくり食事をしてもゆとりを持って到着することができました。約束の3時にルター派教区教会 ガイスリンゲン・アン・デア・シュタイゲ(註)に行くと、教会のミュールホイザー氏が来て鍵を開けて待っていてくださいました。氏はこの教会に関する話をたくさんされるのですが、私は撮影に必死で、楽しそうにその方の解説を聞いているみんなの輪には入れないのが残念でした。三津夫はこのガイスリンゲン祭壇をこの旅のメインの一つに挙げていましたので、じっくり堪能したと思います。最初は一番下のプレデラが閉じられていた(下の写真)のですが、そのすぐ後で扉を開けてくださったので、「煉獄の炎」で苦しむ人々の姿を見ることもできました。マウホの作品は穏やかな表情のものが多いので、2021年に手に入れたマウホのカタログで見たこの表現に三津夫はすごく驚いたと言っていたのです。扉を開けてもらえなかったら相当ガッカリしていたことでしょう。シルヴィアがたのんでくれたのだったか、私はカメラの準備で見ていませんでしたが、誰にしてもありがとう!
※註:私は『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』制作時に「アン・デア・シュタイゲ 」を「シュタイグ 」と勘違いして読んでしまったため、この場合は発音が「ク」となるはずと考えて、そう書いてしまいました。このブログを書く段階でもう一度確認しなおしたところ、「シュタイゲ」であることに気が付きました。なぜ編集時にもう一度きちんと確認しなかったのかとほぞを噛む思いです。大変申し訳ありませんでした。ここでお詫びして訂正させていただきます。
❤ ガイスリンゲン祭壇(三津夫)
❤ ガイスリンゲン祭壇のプレデラ(緑)
❤ ルター派教区教会 ガイスリンゲン・アン・デア・シュタイゲ(教会②)
▶今日の予定は無事終了
こうして(実質的には)旅の初日で見たかったマウホ作品を2つの教会で無事拝観することができました。みんなもホッとして、「ちょっとアイスクリームが食べたいね」と、頼んだのがこの写真でした。アンゲリカのアイスはまだ届いていませんでしたが、なぜか一番手前の私が頼んだアイスは蜂に人気で、何匹も飛び回るのでおちおち食べることができませんでした。余程甘さがあったのか、香りが蜂好みだったのかわかりません。
町で見かけた噴水の写真も載せておきます。なかなかユニークですね。
❤ 作者名(?)は CHRISTIAN SCHUBARI *1739 + 1791 と書かれていました。モダンに見えますが、18世紀の作品なのでしょうか。
なお、このブログでは今回の「17回目のドイツ旅」で一体いくつの教会と美術館・博物館を訪ねたのか、自分でもはっきりしなくなっているのでカウントしながら書いていくつもりです。①、②はそのカウントの数ですのでご了承ください。
次回はシュトゥットガルト市内観光のお話です。
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