リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

285. 17回目のドイツ旅行(13) シュレースヴィッヒまで往復ドライブ旅行

2023年01月27日 | 旅行

▶シュレースヴィッヒはデンマークとの国境近くにあります。




シュレースヴィッヒ聖ペトロ大聖堂(教会・修道院⑪)

▶ロストックからシュレースヴィッヒに今回行ってみたかった理由

 三津夫と旅程を相談したときのことです。以前からこの祭壇が気になっていたという三津夫が、その理由を『リーメンシュナイダーの世界』(植田重雄著 恒文社、1997年)の18頁に「北ドイツのシュレスヴィッヒのボルデスホルマーには、ハンス・ブリュッゲマンによる十字架祭壇が建立された。高さ十二メートル六十センチの巨大なものである。祭壇彫刻以外に教会内部をかざる聖者彫像も活気を呈し、独特なものが生まれつつあった。」という記述があるからだというのでした。私は同じ本を読んでいても当時はリーメンシュナイダーばかりに気を取られていて、そういう記述はまったく頭に残っていませんでした。改めて読み直してみると、確かに植田先生が高く評価されている祭壇なのだろうと感じました。最近3年間はコロナ禍で海外旅行もままならず、私たちもいつまで海外に行く体力を維持できるのかわかりません。そこでこの祭壇を見るためにシュレースヴィッヒも今回の旅程に組み込むことにしたのです。

 しかし、このシュレースヴィッヒというデンマークとの国境近くにある町に一体どこからどう回ったら良いのかと日程を組むのに悩んでいたところ、三津夫がヨーラたちにロストックから車で連れてってもらえないだろうかと言いはじめました。でもドイツ北部の東寄りにあるロストックから西のシュレースヴィッヒまで走り抜けるというのは相当な距離になるはず。日帰りは無理なのではないかと私は思ったのでした。地図上でアバウトに測ってみると約250kmもあります。でも今までヴィリーたちにもずいぶん遠くまで連れて行ってもらっているし、ドイツの人たちにとってこの距離はそれほど遠いと思わないのではないかという気持ちも一方では持ったのでした。というのも、以前ヨーラたちの家に泊まらせてもらった後で留学先のシュヴェービッシュ・ハルまで戻る日に、彼らはいとも簡単にハンブルクまで車で送ってくれて、その夕方に私はちゃんとシュヴェービッシュ・ハルまで戻ることができたのでした。ハンブルクといえばロストックから190kmほど。それでも彼らにとっては車で行ける身近な町のようだったのです。このような遠距離の日帰りドライブをお願いするのは少々気持ちが引けたのですが「とにかく頼んでみて」と三津夫に言われてダメなら仕方がないと、ヨーラにメールしてみました。すると「大丈夫よ。まだヘルヴィックも私も行ったことがない町なので今から楽しみにしているわ」という返事が即座に届いたのでした。これで安心して日程を確定することができました。


◆2022年9月14日(水曜日)4992歩
 ロストック3日目は朝食も早めにスタート。この日はたくさんのハム、ベーコン、お米のパンにサラダなどがあり、しっかりいただきました。猫たちの世話やら後片付けやら私たちもできるところは手伝い、朝8時45分頃出発。今日は曇りで一日中17度ぐらいと聞いたので、半袖の上に薄い上衣を着て更にコートを羽織って出かけました。それでもまだ薄ら寒く、もう少しちゃんと長袖のシャツを着てくれば良かったと後悔しました。
 途中のトイレ休憩時に無機質なトイレが数個あるだけの場所で停車しました。トイレの個室そのものは大きいのですが汚れも目立ち、あまり気持ちのよいものではありませんでした。「便座を上げると自動洗浄してくれるのよ」とあとでヨーラに聞きましたが、次回への知識として頭に入れておくことにしました。殺風景な場所ではありましたが、ヨーラが準備してくれた珈琲とケーキが振る舞われてホッとしました。途中キールを通り過ぎる辺りで工事のため渋滞しましたが、それでも12時過ぎ頃シュレースヴィッヒに到着しました。

 港の駐車場に車を停め、歩いてシュレースヴィッヒ聖ペトロ大聖堂(トップの写真 教会・修道院⑪)に向かうと大きな尖塔がそびえ立っていました。全容を写真に収めるのは難しく、下の部分が写っていませんがあしからず。

 中に入ると若い女性がドイツ語で祭壇の説明をしていて、ベンチにはツアーのメンバーが座っていました。もう少しゆっくり話してくれたら半分ぐらいは理解できたかもしれないのですが、やはり難しいのであきらめて後ろの方で写せるところを写し始めました。ツアーの人々が移動した後で近くを写しました。この日は何故か三脚を持ってこなかったので、帰ってから見ると手ぶれがひどいものが多くて残念でした。でも三津夫のカメラがこの大きな祭壇の全体像をよく捉えていたので彼の写真で祭壇をご紹介しておきます。


ボルデスホルム祭壇(三津夫) ハンス・ブリュッゲマン 7年かかって1521年に完成
 

 以前カルカーの聖ニコライ教会で圧倒的な数の彫刻が彫り込まれた祭壇(『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』171~176頁に掲載)を見ましたが、この祭壇はそれに次ぐ数の彫刻が彫り込まれているように思いました。また一体一体が精緻に彫られていて、ハンス・ブリュッゲマンの力量にも目を見張りました。下のクリストフォロス像(高さ440cm)では杖を持つ手がすごく馴染んでいて丸彫りだと思うのですが、よ~く見ると左腕の外側、杖の先、右側になびく衣は木を接いで彫られていることがわかります。それにしてもこの素材は大木だったのだろうと思われます。やはり才能のある人はあちらこちらにいるものなのですね。リーメンシュナイダーから一途に彫刻を見る旅に入ったのでしたが、三津夫の幅広い興味に引っ張られて多くの彫刻を見るようになり、その思いを強くしています。


大聖堂 大きなクリストフォロス(緑) ハンス・ブリュッゲマン 1515頃
 高さ440cm 
 

▶キールで寄り道

 予め帰り道ではキールに寄って、ある日本料理店でご馳走したいとヨーラとヘルヴィックに言われていたので楽しみにしていました。キールまでさほど遠くはなかったのですが、ここでも駐車場を探すのに少しぐるぐる回りました。そのレストランは「Sakura」と言い、2階に掘りごたつのような席がありました。ただ座面を歩かないとテーブルの両側に座ることができない造りでちょっと不便でした。お昼には遅めの3時ごろ、写真のようなお寿司の盛り合わせを美味しくいただきました。今回初めてヨーラはうなぎが好きだったのだとわかりました。このあとはヨーラが運転してくれるというのでヘルヴィックや啓子さん、三津夫はビールで乾杯したのでした。



キールの日本食レストラン Sakura にて。

  食事後にまた車で移動したのか歩いたのか思い出せませんが、ヘルヴィックが「これからKunstを見ます」と言いました。そして2人に案内されたのはある教会でした。あぁ、バルラハの「闘う天使 Der Geistkämpfer」という剣を持って狼の上に立つ天使の像があるキール聖ニコライ教会 Offene Kirche St. Nikolai in Kiel(教会・修道院⑫)です。教会を出ると、ヨーラが私たちにこの像がプリントされたマグネットを手渡してくれました。ギュストローでこのときのために買っておいたそうです。今回の旅の記念として、このマグネットはパソコンそばのライトに貼り付けてあります。



キール 聖ニコライ教会(教会・修道院⑫)


聖ニコライ教会の横に立つ「闘う天使」(緑) バルラハ 1928年


▶最後の夜は穏やかにお喋り

 帰りの運転はヨーラで出発、途中のトイレ休憩でヘルヴィックに交替したので、ほぼ4分の3はヘルヴィックが運転してくれたことになります。お疲れさまでした。ガソリン代だけは私たちで支払わせてもらいました。

 こんなに忙しい一日だったにもかかわらず、夕食は鮭ご飯、エビのフライ、肉の紫蘇巻きと豪華。ヨーラは本当に手早く料理します。ご飯の上には卵の黄身が乗っています。白身は体に悪いからと食べません。小麦粉も同じ理由で食べません。食には拘りのあるヨーラですが、ご飯が好きなのでその点は私たちには安心感があります。ただお寿司にするには少々柔らかいのが玉に瑕ですが、三津夫は今までで一番美味しかったと最高の賛辞を送っていました。
 その後は明日でお別れの猫たちの写真を撮ったり、ヨーラの手作りのお酒を飲んだりして穏やかにすごしました。ヨーラ、ヘルヴィック、お疲れさまでした。そして3泊4日の宿とドライブ、本当にありがとうございました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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