飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

「問の文」への対応 その2

2024年08月30日 05時00分00秒 | 国語科
前回の続き。

引用の続き。「国語入試問題必勝法」清水義範著

「罠なんかあるんですか。」
「もちろんだよ。
 出題者の狙いは、いかに多くの者をひっかけて誤った答えをさせるか、というところにあるんだからね。
 まず、そのことをよく認識しておかなきゃいけない。
 国語の問題というものは、間違えさせるために作られているんだ。」
「はあ」
これまでの体験に照らして、ある意味では納得できる言葉だった。

「これは、問題文の論旨をもう一歩展開させたものなのだよ。
 よく読めば、わかることだが、ここに書いてあるようなことは、問題文には書いてないだろう。(一部略)」
「つまり、この文章から予想される結論とか、想像できる作者の主張という性質のものなんだよ。
 そこで、内容をある程度理解したものは、ついひっかかってしまう。
 だが設問は、文章の内容に近いものを選べ、だからね。
 作者の頭の中の主張を選べ、ではないんだよ。」
「深読みしちゃいけないってことですか」
「その通りだ」(一部略)

「さて。次を説明しよう。
 (5)これは引っかかるものが少ない単純な間違いだよ。
 その文章自体が矛盾していたりして、内容がおかしいものだ。
 数合わせのためのデタラメな文章だね。
 これはいい。

 そこで問題は(4)の文章のこれだ。
 なんだか、ちょっとピントが外れているという感じの文章だよ。
 確かにそういうことが書いてあるんだが、少しズレてるだろう。」

「あの、それもズレているとすると、結局選ぶべき正解がなくなっちゃいますけど。」
「そうじゃないよ。
 この種の問題の正解はこのちょっとピントが外れているという。
 つまり、この問題の正解は(4)」
「えっ。
 ちょっとピントが外れているのが正解なんですか。」
「問題文をよく読みたまえ。
 内容に最も近いものを1つ選べなっているだろう。
 内容を正しく要約したものを選べではない。
 考えてみれば、当然のことじゃあないか。
 そんな正しく要約した文章がこの中にあれば大多数の受験者が合格してしまう。
 それじゃ試験にならないだろう。」

一郎にとって、その言葉は頭を殴りつけられたしょうなショックであった。

「ちょっとピントが外れているのが正解だなんてこれまで考えたこともなかった。
 そうでなければ正解者が多くなるからって、そんなひどいトリックになっているとは。」
「インチキみたいですね。」
「それが国語の問題なんだよ。(一部略)
 でも、一番近いものをと言われたらやはり、これを選ぶしかない。
 問題作成者の意図は、そうやってちょっとピントを外して受験者の頭を混乱させることにあるんだよ。」

「これまで、この種の問題をやった時、間違えてしかも正解を見てもピンとこなかったのは当然のことだったのだ。
 最初から問題がどれを選んでもピンとこないように作られていたのだ。」

引用終わり。

「問いの文」に正対しなくてはならない。
問われていることに対して、正確に答えるのだ。
「自分の考え」を含めてはいけないである。

この物語をはじめに知ったのはテレビだった。
今から3年位前になるだろうか。
夜(深夜)テレビをみていると何やら受験生と家庭教師が話している場面が出てきた。
その家庭教師が月坂という名前だった。
月坂は、難解な大学入試問題をいとも簡単に正解していった。
あくまでもそれはフィクションではあるが、私が10年前に受けたショックを同類のものであると痛感した。

大学入試のために予備校に通っていた時のこと。
高校までに受けた授業とは全く異質の教育があった。
合理的と言うか、効率的といういうか、論理的というか、衝撃をうけた。
高校の授業では、受験は合格しないと初めて知った。
特に国語の授業は象徴的だった。
まるだ数学の方程式をとくかのように、記号を使い、内容の関係を不等号やベン図を使いながら明解に分析していく。
そして誰もがその手順によれば必ず正解にたどり着く。
そんな経験が自分にあったから、この月坂の言葉が絵空事ではなく、現実のこととして受け入れることができた。

(続く)

saitani


この記事についてブログを書く
« 「問の文」への対応 その1 | トップ | カエルの登山 2学期のリスタ... »

国語科」カテゴリの最新記事