きょうは夏目漱石が49歳で亡くなった日です。
大正5年、今から91年前のことでした。
漱石の門下生は著名人が多いことで知られ
漱石山房で開かれていた「木曜会」には
錚々たる顔ぶれが集っていたそうです。
そのメンバーに、漱石の晩年
ひとりの天才も加わりました。
それが芥川龍之介。
漱石は、芥川が東京帝国大学英文科在学中に発表した
『鼻』を賞賛。
あの、なかなか人を誉めなさそうな(笑)漱石が誉めたのですから
芥川に俄然スポットライトが当たったことでしょう。
その恩義を感じてかどうかは定かではありませんが、
漱石の葬式のようすを書いた、芥川の短いエッセイ
『葬儀記』
という作品があります。
漱石は9日に亡くなって10日に東大で解剖が行われ
12日に青山斎場で葬式、落合火葬場で荼毘に付されましたが、
(芥川龍之介「羅生門・鼻・芋粥」(角川文庫)の注釈より)
まだ漱石山房に漱石の遺体が横たわり
数々の弔問をうけているとき、
芥川も先生との別れをと、寝棺をのぞきこみます。
・・・
僕はその前で、ほとんど無感動に礼をした。
「これは先生じゃない」そんな気が強くした。
(これは始めから、そうであった。現に今でも僕は
誇張なしに先生が生きているような気がしてしかたがない)
僕は、柩の前に一、二分立っていた。
そうして芥川は漱石との別れをすませ外へ出るのですが
またこう思うのです。
・・・
ところが外へ出ると、急にまた先生の顔が見たくなった。
なんだかよく見て来るのを忘れたような心もちがする。
このほか文章は淡々と書かれてあるのですが、
芥川の心が浮遊している様子がうかがえます。
やはり喪失感があったのかな、と感じました。
芥川はじめ門下生中心による斎場での受付係の様子、
受付係は葬儀のすむまで受付に残っていなければならんといわれ
憤慨し、受付を閉じて葬儀に参列した話、
泣くのを我慢していたのに、久米正雄と目が合い、彼の目に
涙がいっぱいにたまっていたのを見て、とうとう芥川も泣いてしまった話、
なども興味深いです。
漱石の命日によろしければご一読あれ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます