老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

争点はある。何故無風化してしまうのか?

2023-04-17 10:48:19 | 選挙
中央区の区長選に現職以外、立候補者が立たなかった。自民の強い区ではある。が、何故野党は論戦を挑む機会をみすみす手放してしまうのか?

争点はあるし、また作るものであると思う。

例えば、区の進める東京駅周辺の再開発に代表される、都市部行政の生態系に対する基本姿勢の問題を追求する、絶好の機会と捉えることが出来る。

東京都には檜原村がある。そこで林業に取り組む若者らがいる。林業は、農業とほぼ同じ道をたどらされているのが、我が国の状況である。

檜原村の若者はいう。丸太の林業は成り立たない。40年50年経った立木(1㎥程)一本が売値1万円程。若者が管理する25ヘクタール程の林地から伐採が可能な立木は80㎥(立方メートル)と、国際的な森林管理基準(Forest Management:FM認証制度)は規定する。従って丸太の森林経営に固執したら、年間80万である。

彼は補助金助成金も活用しながら、丸太の林業だけでは林業は成り立たないとして、従来山に捨てていた残材部分(1/2の部分が市場価値無く打ち捨てているという)の利用に目を向け、彼は木のおもちゃの分野に活路を見いだそうとしている。

都市部の大半の人は、林業は国際競争に巻き込まれ、経済の視点から競争力は林業にはない、と結論付け、自動車・電気・機械という競争力のあると称される業界の国際間の交渉のための1枚のカードとして、林業を切り捨てている。

彼だけではないだろう。農業同様に、森を守ることの重要性を生き方や考え方の第一義に置くことを選択して、困難の中、森のなかで苦労している人は多いと思うし、これから増えていってほしいとも思うところである。

1950年ごろまでは、森に働く場をおき従事する人は50万人程だったという。今は4万人程に減ってしまっている。この数字が我が国の林業と、そして現在の森の姿を表している。

1950年代から始まった植林運動。いまでは森の木も70歳を頭に50歳から60歳の高齢化が森にも進みつつあるという。手の入らない森は、人と同じように病気になりやすくなる。

このあたりの問題は、公金の研究でさらに見ていく予定なのでここまでとします。

表題の「争点はある」といったポイントは、「都市部の大半の人は、林業は国際競争に巻き込まれ、経済の視点から競争力は林業にはない、と結論付け、競争力のある業界の国際間の交渉のための1枚のカードとして都市部の大半の人は、林業を切り捨てている。」という考え方・思考法だけが助長される区政であって良いのか、という点です。

無投票再選の現区長は、令和5年の予算一般会計1483億9376万4000円のなかで、「水とみどりあふれる豊かな環境を未来につなぐまち」作りの施策として「都内連携による森林保全活動の推進」として226.4万円を計上しています。

森林保全活動の推進は大切な施策です。でも1483億からの予算の226万円。0.00015%です。森を預かる人々から期待されている区の行政が取り組むべきことは、それ以外に多くの視点があるはずです。

例えば、カナダでは木材利用の多角化を目指し、低層(1-2階)以外の中層(3-5階)高層(6階以上)のビルの木造化に向けた技術開発・建築基準の検討が進められており、既にカナダ全州で木造6階建てが建てられるようになっているという。

まさにこういった視点の論争を、区の行政にかかわる選挙に期待したいのである。無投票再選という事実を目にして、選挙民としてつくづく対立勢力の不甲斐なさに忸怩たる思いを募らせるところである。

「都市部の大半の人が、経済の視点からは林業には競争力がない」と結論付けている市民に対し、大切な見方や考え方や、取り組む必要のある別のこともある、と訴える機会にもなったと思うと非常に残念な事態です。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan

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