藤原書店から出ている『環』という季刊の学芸総合誌(31号、2007年秋)が「追悼、われわれの小田実」と言う特集をしています。
大阪で生まれ、戦争中の過酷な飢えと3度の悲惨な空襲体験が生涯の思索と行動の原点であったという。大学では学部は言語学、大学院は西洋古典学を専攻し、作家であることにこだわりながらも、その枠を超えてさまざまな運動をしてきた小田氏。
『現場に立ちながら、広大な世界観と歴史観を抱いていた小田実、どんな権力にも屈しない闘士でありながら、そのユーモアで数多くの人々を魅了し続けた小田実、そして亡くなった後にも人々の中に生き続ける「小田実」・・・そんな「小田実」の全体像に迫りたい』との序文が添えられています。
その内容は、
1.べ平連、九条の会、その他氏が関わった運動(金大中救援活動、恒久民族民衆法廷、阪神淡路台震災の際の被災者再建支援法その他)関連の人達(金大中など)はもちろん、内外の作家、西洋古典学者、詩人、ジャーナリスト、キーン、チョムスキー、政治家など、さまざまな分野の48人が、小田氏と自分とのかかわりを書く中で小田氏の人物像を描く。
2.訃報を送られた世界に広がる友人たちから寄せられたメッセージ20
3.未定稿に終わった「近代日本精神史「序説」
4.年譜(1932~007)
5.著作一覧
と、400ページ余の半分を割いている。
これを読んで、小田実という人がいかにスケールの大きい国際人だったかを知らなかったことを実感した。ほとんど同時代に生きながら、今までほとんど知らなかったことを恥じるとともに、氏のしてきたことを多くの人に知ってほしいと思うし、氏の志をいささかなりと私たちの運動に生かしていきたいと思いました。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
松林
大阪で生まれ、戦争中の過酷な飢えと3度の悲惨な空襲体験が生涯の思索と行動の原点であったという。大学では学部は言語学、大学院は西洋古典学を専攻し、作家であることにこだわりながらも、その枠を超えてさまざまな運動をしてきた小田氏。
『現場に立ちながら、広大な世界観と歴史観を抱いていた小田実、どんな権力にも屈しない闘士でありながら、そのユーモアで数多くの人々を魅了し続けた小田実、そして亡くなった後にも人々の中に生き続ける「小田実」・・・そんな「小田実」の全体像に迫りたい』との序文が添えられています。
その内容は、
1.べ平連、九条の会、その他氏が関わった運動(金大中救援活動、恒久民族民衆法廷、阪神淡路台震災の際の被災者再建支援法その他)関連の人達(金大中など)はもちろん、内外の作家、西洋古典学者、詩人、ジャーナリスト、キーン、チョムスキー、政治家など、さまざまな分野の48人が、小田氏と自分とのかかわりを書く中で小田氏の人物像を描く。
2.訃報を送られた世界に広がる友人たちから寄せられたメッセージ20
3.未定稿に終わった「近代日本精神史「序説」
4.年譜(1932~007)
5.著作一覧
と、400ページ余の半分を割いている。
これを読んで、小田実という人がいかにスケールの大きい国際人だったかを知らなかったことを実感した。ほとんど同時代に生きながら、今までほとんど知らなかったことを恥じるとともに、氏のしてきたことを多くの人に知ってほしいと思うし、氏の志をいささかなりと私たちの運動に生かしていきたいと思いました。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
松林

http://aozoragakuen.blog.ocn.ne.jp/souten/2007/07/index.html
ごめんなさい
コメントありがとうございました。
青空学園のお書き込みから、次々に続く小田さん関連の記事をよませていただきました。
私は小田さんよりは少し上の1926年生まれで、仕事と家事などで忙しく、小田さんのこともべ平連の小田実といった認識でしかありませんでした。昨年11月のべ平連の集まりに護憲+の人達と参加してから、べ平連の事をもっと知ろうと関連の本を読み始め、「環」にたどり着いたと言う全くの新米です。
ですから青空学園のブログは大変参考になりました。知れば知るほど小田さんのスケールの大きさにおどろいています。余人をもって変えがたい本当に惜しい方を私たちは失ったのだという思いを強くしています。
改めて、ありがとうございました。