(1)緊急事態宣言延長
やはりと言うか、当然と言うか。緊急事態宣言の解除が先送りになった。
まあ、東京都や神奈川、埼玉、千葉などの感染者数が減少するのは当然。理由は明白。PCR検査の母数を少なくするような姑息な制度変更を厚生省が行ったからだ。
保健所の逼迫を理由にして、濃厚接触者を追わないのだから、当然、PCR検査の母数は減少する。(民間の行うPCR検査は数値に入れない。)母数が減れば、感染者数は減少する。だから、全国的に感染者数は減った。
★こういう騙しの手口は日本の公的機関の得意技
※東京都の小池知事の強かさは、このまま緊急事態が解除されたら菅首相の思うつぼ。だから、東京都は濃厚接触者に対してPCR検査を復活させた。(緊急事態宣言が解除できない程度に感染者の数が下げ止まった。)結果、緊急事態宣言を、小池知事の思惑通り延長に持ち込んだ。
政府は、2週間の緊急事態宣言延長の期間に、3万の高齢者施設などのPCR検査を実施するなどと、如何にも新たな対策を講じるように語るが、徹底的なPCR検査の実施こそ感染防止の鍵などという議論は、昨年3月の第一波から指摘されていた。一体全体、この一年政府は、何の対策をやってきたのか。
日本の指導層は第二次大戦の壊滅的敗北の教訓を何も学んでいない。日本と言う国家は、一度決定したものは、失敗だと分かっていても決して止める事ができない。
インパール作戦で紹介したように、戦前の軍部を中心とした指導部は、どうしても勝てないと分かっている戦争を止める事が出来なかった。上司に対する忖度、仲間に対する配慮、失敗者の烙印を押される恐怖などなど、問題に正面から立ち向かい科学的・合理的・論理的判断を妨げる要因を排除できなかった。結果、下士官・兵などの膨大な犠牲を出す結果を招いた。
(2)コロナ対応の失敗
🔶対策の単純化(危機管理の要諦)
コロナの対応も同じ。感染症に対する科学的・合理的思考をするならば、
まず、①患者を見つける⇒検査の拡充以外ない
②見つけた患者を【隔離】
③隔離した患者を治療⇒治癒⇒社会に戻す
※絶対避けなければならない事⇒無症状の患者を野放しにして、感染拡大の要因を作り出す事。
この三点を如何にして実行し、最大の効果が上がるような政策を①立案②実践③検証するかが、政治の役割。これを何の忖度もなしに行わなければ、国民に対する責任は果たせない。
コロナのような国家的、社会的危機に対する対処の要諦は、何が無駄かを見分ける事にある。政策決定プロセスの可視化と単純化。政策実践主体の明確化。責任者の明確化。これこそが危機管理の要諦である。
🔶日本の政治と官僚制度の実態(余分な事の集積体)
しかし、現実の政府は、全く逆の事を行っている。
人間は余分な事を考え出す動物。日本の官僚制度は、ありとあらゆる【余分な事】を集積した制度の上に成り立っている。
政治家の顔を立て、経済界の要請に応え、労働界の要請にもいくばくかの配慮をし、【弱者切り捨て】の大方針は堅持しながら、「弱者」を配慮したふりができる福祉政策を立案している。それでいて、最後は自分たち(官僚たち)が得をする(損しない)ように配慮しなければならない。
このように、普通の時の国家運営は、「ありとあらゆる所に配慮した余分な事」が、嫌というほど詰め込まれている。
こういう組織や中に生きる人間たちは、思考の中心に【科学的・合理的・論理的】真実を置くことは不可能に近い。「科学的・合理的」真実を追求するために払わなければならない途方もない努力を考えると、努力する前に気力が萎えてしまう。これが実態に近いと思う。
しかし、国民や野党、メディアなどの批判の矛先が自分たちに向くことも避けたい。となると、とりあえず【科学的・合理的】真実を追求しているように見える形を取る。追及されても、自分たちはきちんと「実践」していると答える事が出来るように制度設計をする。しかし、その実態は骨抜きに近い。
これが戦後一貫して行われてきた日本の政治だと言って過言ではない。(「・・・等」と付け加えられている法律の条文などがその典型。)
政治家や官僚の答弁が何を言っているか即座に理解できないのは、上記に描いたような【余分な事】に配慮した含みの多い答弁をするため。この役割を担うのが東大法学部などを卒業した日本の頭脳と呼ばれる官僚集団。こういう答弁が、【東大文学】と呼ばれるのも無理はない。
(3)菅政権の腐敗堕落
🔶【無理が通れば道理引っ込む】組織の現出
公安関係を手駒にした菅政権の怖しさについては、以前にも書いた。
スキャンダルを極度に恐れる政治家や官僚たちが、菅政権に怯え、怖れ、イエスマンに堕するのも無理はない。菅義偉の統治の基本は、心の底が冷え込むような【恐怖】を土台にした支配であることは間違いない。
菅首相の【天領】と呼ばれた総務省の支配もこのようにして行われた。総務省の大半の官僚は、亀の子のように首をすくめ、怒りの矛先が自分に向かわないよう必死で勤務したに違いない。
しかし、こういうタイプの上司の下には、必ず上司の権力を笠に着て、権力を振るう人間が出てくる。理由は明白。全ての事を権力者一人が行う事は出来ない。必ず誰かに任せなければできない。その任された連中が権力を振るうのである。
絶対権力者のお気に入りと言う事は、絶対権力者の【権力】執行の代行をする事を意味する。通常、権力を執行すると言う事は、それに対する反発、目に見えない批判、不信などもろもろのマイナスを引き受ける事を意味する。
通常の権力執行でもかなりの跳ね返りがある。まして、誰もが理不尽と感じる権力執行の場合、その跳ね返りは深刻。その時だけの一過性の反発にとどまらない。時には、権力執行者の人間性否定まで考えなければならない。だから、通常、官僚は権力執行には、かなり慎重である。
官僚の権力執行はこのようにかなり慎重に行われる。しかし、菅絶対権力者支配下の総務省はそうではなかったのではないか。
通常の人事序列を無視した形で人事が行われれば、官僚たちはその人事執行の根源(誰が決めているか、誰がなぜその権力者に気に入られたか)を必死で探り、その人事に潜り込もうとする。その人事のポイントに権力者に対する絶対服従があるならば、当然、官僚たちはそれになびく。
このメカニズムから、「ひらめ」(目が上に付く)官僚が大量に生み出される。今回問題になった山田女史も次期事務次官確実と言われた谷脇氏、その他の総務官僚もそうだったに違いない。
しかし、こんな組織の中で出世した彼らに対する反発は大きかったに違いない。いわく「茶坊主・ごますり・色仕掛け」等々。
このように湿った形で示される反発は、出世した人間にとっては、あまり気持ちの良いものではない。この気持ち悪さが、彼らをさらに権力者に摺り寄せる動機になる。一言で言えば、【開き直り】。
彼らの権力行使は、絶対権力者の権力行使よりはるかに理不尽で強権的になる場合が多い。多くの場合、絶対権力者の意図をはるかに超えて行使される場合が多い。彼らの「権力行使」は、露骨になり、理不尽になる可能性が高い。
だから、今回の総務省接待問題は起きた、と言って良い。
虎の威を借りる事に慣れた官僚たちは、菅首相の息子の誘いなど断れるはずがない。同時に、自らの権力を誇示する事も忘れない。放送行政という【公】の職分と自らの出世(権力獲得)とが心の中で不可分に結びついたのが、今回の接待問題。
多くの「独裁国家」で同じことが行われ、人々の怨嗟の的になった事は、歴史が証明している。こういう組織は必ず腐敗する。
「科学的・合理的・論理的」に追及された【真実】が捻じ曲げられる現実を目の当たりにした人間はどうするか。真正面から批判し、警鐘を鳴らす人間は、大方の場合、人事で左遷され、排除される。人間は弱いもので、こういう現実を見たら誰もが委縮し、自分の意見は封印し、上司のイエスマンにならざるを得ない。何より、自分が生き延びる事を優先する。【大人の知恵】がはびこる組織にならざるを得ない。
人間の道徳観や倫理観、自らの自尊心すら、捨て去らなければ生きていけない組織になる。要するに、【無理が通れば道理引っ込む】組織の現出である。
(4)菅政権危機脱出術
🔶とかげの尻尾切り
菅首相が総務大臣、官房長官時代からの子飼いの総務官僚である山田氏と谷脇氏などを切り捨て、この危機を乗り切ろう、というのが官邸の作戦。
ところが、接待漬けは政治家に飛び火した。通信事業の許認可に直接関わる総務大臣、副大臣、政務官、およびその経験者に狙いを定めたNTTの接待攻勢の話が文春で報道された。
さらに、現在の武田総務大臣や菅首相本人にまでこの接待攻勢疑惑は拡大している。その数、過去7年間で実に計15人、延べ41件。その接待場所が、東京・麻布の迎賓館KNOX。NTTの政府・政界工作の秘密の会員制施設。ここで歴代総務大臣から旧郵政官僚(現総務省官僚)たちがねんごろな接待を受けていた。言うまでもないが、NTTは旧電電公社。政府が30%以上の株を有する会社である。
当事者たちは、「接待ではなく、プライベートな会合という認識」(野田聖子元総務相)だとか、「完全割り勘を事前に伝えた」(高市早苗前総務相)などと、信じがたい弁明を繰り返している。
NTTの接待出席者を見ても、親会社の社長をはじめとする企業の幹部。菅首相の息子の勤務先は大会社ともいえない東北新社の子会社、本人はそこの一介の部長。この肩書で、総務省の官僚トップなどを接待できるわけがない。出席理由は明白。菅首相の息子だからだ。
自分の息子のみならず自分の子飼いの官僚たちの総汚染。「自分と息子は別人格」などという言い訳が通るはずがない。通常の神経の持ち主ならば、恥ずかしくて、そんな事が言えるはずがない。
しかし、菅首相には大丈夫という確信があるのだろう。それは、安倍首相が、桜問題などを始めとする一連のスキャンダルを、嘘八百を言い散らかして何とか乗り切ったのを見ているからだ。
この成功体験が、菅首相の精神状態を何とか保っているのだろうと思う。だから、下品な言い方をすれば、「面の皮が厚い」とか「カエルの面に小便」がぴったりくるような対処を繰り返している。
🔶五輪強行で国民の関心をそらす
さらに彼にはもう一つの秘策がある。東京オリンピック、パラリンピックの強行だ。
何が何でもオリンピックを開催し、日本選手の活躍でTVメディアを席捲。コロナも不祥事もメディアから消え去れば、その後の選挙で何とか酷い敗北だけは免れる。そうすれば、もう一期、首相が務められる。
そうなると、強権を発動して、気に入らないメディアは一掃。気に入らない党内勢力は干し上げる。菅首相の気質に合う「独裁的権力」を振るう事ができる、と考えているに違いない。
緊急事態宣言延長、解除、スキャンダルのもみ消し。彼の打つ政策自体が全て「東京オリンピック、パラリンピック」開催への布石だと考えて間違いない。
究極の「オリンピック」の政治利用である。
「護憲+コラム」より
流水
やはりと言うか、当然と言うか。緊急事態宣言の解除が先送りになった。
まあ、東京都や神奈川、埼玉、千葉などの感染者数が減少するのは当然。理由は明白。PCR検査の母数を少なくするような姑息な制度変更を厚生省が行ったからだ。
保健所の逼迫を理由にして、濃厚接触者を追わないのだから、当然、PCR検査の母数は減少する。(民間の行うPCR検査は数値に入れない。)母数が減れば、感染者数は減少する。だから、全国的に感染者数は減った。
★こういう騙しの手口は日本の公的機関の得意技
※東京都の小池知事の強かさは、このまま緊急事態が解除されたら菅首相の思うつぼ。だから、東京都は濃厚接触者に対してPCR検査を復活させた。(緊急事態宣言が解除できない程度に感染者の数が下げ止まった。)結果、緊急事態宣言を、小池知事の思惑通り延長に持ち込んだ。
政府は、2週間の緊急事態宣言延長の期間に、3万の高齢者施設などのPCR検査を実施するなどと、如何にも新たな対策を講じるように語るが、徹底的なPCR検査の実施こそ感染防止の鍵などという議論は、昨年3月の第一波から指摘されていた。一体全体、この一年政府は、何の対策をやってきたのか。
日本の指導層は第二次大戦の壊滅的敗北の教訓を何も学んでいない。日本と言う国家は、一度決定したものは、失敗だと分かっていても決して止める事ができない。
インパール作戦で紹介したように、戦前の軍部を中心とした指導部は、どうしても勝てないと分かっている戦争を止める事が出来なかった。上司に対する忖度、仲間に対する配慮、失敗者の烙印を押される恐怖などなど、問題に正面から立ち向かい科学的・合理的・論理的判断を妨げる要因を排除できなかった。結果、下士官・兵などの膨大な犠牲を出す結果を招いた。
(2)コロナ対応の失敗
🔶対策の単純化(危機管理の要諦)
コロナの対応も同じ。感染症に対する科学的・合理的思考をするならば、
まず、①患者を見つける⇒検査の拡充以外ない
②見つけた患者を【隔離】
③隔離した患者を治療⇒治癒⇒社会に戻す
※絶対避けなければならない事⇒無症状の患者を野放しにして、感染拡大の要因を作り出す事。
この三点を如何にして実行し、最大の効果が上がるような政策を①立案②実践③検証するかが、政治の役割。これを何の忖度もなしに行わなければ、国民に対する責任は果たせない。
コロナのような国家的、社会的危機に対する対処の要諦は、何が無駄かを見分ける事にある。政策決定プロセスの可視化と単純化。政策実践主体の明確化。責任者の明確化。これこそが危機管理の要諦である。
🔶日本の政治と官僚制度の実態(余分な事の集積体)
しかし、現実の政府は、全く逆の事を行っている。
人間は余分な事を考え出す動物。日本の官僚制度は、ありとあらゆる【余分な事】を集積した制度の上に成り立っている。
政治家の顔を立て、経済界の要請に応え、労働界の要請にもいくばくかの配慮をし、【弱者切り捨て】の大方針は堅持しながら、「弱者」を配慮したふりができる福祉政策を立案している。それでいて、最後は自分たち(官僚たち)が得をする(損しない)ように配慮しなければならない。
このように、普通の時の国家運営は、「ありとあらゆる所に配慮した余分な事」が、嫌というほど詰め込まれている。
こういう組織や中に生きる人間たちは、思考の中心に【科学的・合理的・論理的】真実を置くことは不可能に近い。「科学的・合理的」真実を追求するために払わなければならない途方もない努力を考えると、努力する前に気力が萎えてしまう。これが実態に近いと思う。
しかし、国民や野党、メディアなどの批判の矛先が自分たちに向くことも避けたい。となると、とりあえず【科学的・合理的】真実を追求しているように見える形を取る。追及されても、自分たちはきちんと「実践」していると答える事が出来るように制度設計をする。しかし、その実態は骨抜きに近い。
これが戦後一貫して行われてきた日本の政治だと言って過言ではない。(「・・・等」と付け加えられている法律の条文などがその典型。)
政治家や官僚の答弁が何を言っているか即座に理解できないのは、上記に描いたような【余分な事】に配慮した含みの多い答弁をするため。この役割を担うのが東大法学部などを卒業した日本の頭脳と呼ばれる官僚集団。こういう答弁が、【東大文学】と呼ばれるのも無理はない。
(3)菅政権の腐敗堕落
🔶【無理が通れば道理引っ込む】組織の現出
公安関係を手駒にした菅政権の怖しさについては、以前にも書いた。
スキャンダルを極度に恐れる政治家や官僚たちが、菅政権に怯え、怖れ、イエスマンに堕するのも無理はない。菅義偉の統治の基本は、心の底が冷え込むような【恐怖】を土台にした支配であることは間違いない。
菅首相の【天領】と呼ばれた総務省の支配もこのようにして行われた。総務省の大半の官僚は、亀の子のように首をすくめ、怒りの矛先が自分に向かわないよう必死で勤務したに違いない。
しかし、こういうタイプの上司の下には、必ず上司の権力を笠に着て、権力を振るう人間が出てくる。理由は明白。全ての事を権力者一人が行う事は出来ない。必ず誰かに任せなければできない。その任された連中が権力を振るうのである。
絶対権力者のお気に入りと言う事は、絶対権力者の【権力】執行の代行をする事を意味する。通常、権力を執行すると言う事は、それに対する反発、目に見えない批判、不信などもろもろのマイナスを引き受ける事を意味する。
通常の権力執行でもかなりの跳ね返りがある。まして、誰もが理不尽と感じる権力執行の場合、その跳ね返りは深刻。その時だけの一過性の反発にとどまらない。時には、権力執行者の人間性否定まで考えなければならない。だから、通常、官僚は権力執行には、かなり慎重である。
官僚の権力執行はこのようにかなり慎重に行われる。しかし、菅絶対権力者支配下の総務省はそうではなかったのではないか。
通常の人事序列を無視した形で人事が行われれば、官僚たちはその人事執行の根源(誰が決めているか、誰がなぜその権力者に気に入られたか)を必死で探り、その人事に潜り込もうとする。その人事のポイントに権力者に対する絶対服従があるならば、当然、官僚たちはそれになびく。
このメカニズムから、「ひらめ」(目が上に付く)官僚が大量に生み出される。今回問題になった山田女史も次期事務次官確実と言われた谷脇氏、その他の総務官僚もそうだったに違いない。
しかし、こんな組織の中で出世した彼らに対する反発は大きかったに違いない。いわく「茶坊主・ごますり・色仕掛け」等々。
このように湿った形で示される反発は、出世した人間にとっては、あまり気持ちの良いものではない。この気持ち悪さが、彼らをさらに権力者に摺り寄せる動機になる。一言で言えば、【開き直り】。
彼らの権力行使は、絶対権力者の権力行使よりはるかに理不尽で強権的になる場合が多い。多くの場合、絶対権力者の意図をはるかに超えて行使される場合が多い。彼らの「権力行使」は、露骨になり、理不尽になる可能性が高い。
だから、今回の総務省接待問題は起きた、と言って良い。
虎の威を借りる事に慣れた官僚たちは、菅首相の息子の誘いなど断れるはずがない。同時に、自らの権力を誇示する事も忘れない。放送行政という【公】の職分と自らの出世(権力獲得)とが心の中で不可分に結びついたのが、今回の接待問題。
多くの「独裁国家」で同じことが行われ、人々の怨嗟の的になった事は、歴史が証明している。こういう組織は必ず腐敗する。
「科学的・合理的・論理的」に追及された【真実】が捻じ曲げられる現実を目の当たりにした人間はどうするか。真正面から批判し、警鐘を鳴らす人間は、大方の場合、人事で左遷され、排除される。人間は弱いもので、こういう現実を見たら誰もが委縮し、自分の意見は封印し、上司のイエスマンにならざるを得ない。何より、自分が生き延びる事を優先する。【大人の知恵】がはびこる組織にならざるを得ない。
人間の道徳観や倫理観、自らの自尊心すら、捨て去らなければ生きていけない組織になる。要するに、【無理が通れば道理引っ込む】組織の現出である。
(4)菅政権危機脱出術
🔶とかげの尻尾切り
菅首相が総務大臣、官房長官時代からの子飼いの総務官僚である山田氏と谷脇氏などを切り捨て、この危機を乗り切ろう、というのが官邸の作戦。
ところが、接待漬けは政治家に飛び火した。通信事業の許認可に直接関わる総務大臣、副大臣、政務官、およびその経験者に狙いを定めたNTTの接待攻勢の話が文春で報道された。
さらに、現在の武田総務大臣や菅首相本人にまでこの接待攻勢疑惑は拡大している。その数、過去7年間で実に計15人、延べ41件。その接待場所が、東京・麻布の迎賓館KNOX。NTTの政府・政界工作の秘密の会員制施設。ここで歴代総務大臣から旧郵政官僚(現総務省官僚)たちがねんごろな接待を受けていた。言うまでもないが、NTTは旧電電公社。政府が30%以上の株を有する会社である。
当事者たちは、「接待ではなく、プライベートな会合という認識」(野田聖子元総務相)だとか、「完全割り勘を事前に伝えた」(高市早苗前総務相)などと、信じがたい弁明を繰り返している。
NTTの接待出席者を見ても、親会社の社長をはじめとする企業の幹部。菅首相の息子の勤務先は大会社ともいえない東北新社の子会社、本人はそこの一介の部長。この肩書で、総務省の官僚トップなどを接待できるわけがない。出席理由は明白。菅首相の息子だからだ。
自分の息子のみならず自分の子飼いの官僚たちの総汚染。「自分と息子は別人格」などという言い訳が通るはずがない。通常の神経の持ち主ならば、恥ずかしくて、そんな事が言えるはずがない。
しかし、菅首相には大丈夫という確信があるのだろう。それは、安倍首相が、桜問題などを始めとする一連のスキャンダルを、嘘八百を言い散らかして何とか乗り切ったのを見ているからだ。
この成功体験が、菅首相の精神状態を何とか保っているのだろうと思う。だから、下品な言い方をすれば、「面の皮が厚い」とか「カエルの面に小便」がぴったりくるような対処を繰り返している。
🔶五輪強行で国民の関心をそらす
さらに彼にはもう一つの秘策がある。東京オリンピック、パラリンピックの強行だ。
何が何でもオリンピックを開催し、日本選手の活躍でTVメディアを席捲。コロナも不祥事もメディアから消え去れば、その後の選挙で何とか酷い敗北だけは免れる。そうすれば、もう一期、首相が務められる。
そうなると、強権を発動して、気に入らないメディアは一掃。気に入らない党内勢力は干し上げる。菅首相の気質に合う「独裁的権力」を振るう事ができる、と考えているに違いない。
緊急事態宣言延長、解除、スキャンダルのもみ消し。彼の打つ政策自体が全て「東京オリンピック、パラリンピック」開催への布石だと考えて間違いない。
究極の「オリンピック」の政治利用である。
「護憲+コラム」より
流水
