老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

暗いファッシズム政権の行方(1)

2020-11-02 15:29:07 | 菅政権
作家辺見庸が毎日新聞で面白いことを言っていた。
※首相の「特高顔」が怖い(辺見庸 毎日新聞10/28日 この国はどこへ)
https://mainichi.jp/articles/20201028/dde/012/040/034000c
・・・
「菅さんていうのはやっぱり公安顔、特高顔なんだよね。昔の映画に出てくる特高はああいう顔ですよ」。冷たく容赦のない表情と言う事だ。「で、執念深い。今までの首相が踏み越えなかったところを踏み越える気がする。総合的な品格に裏付けされたインテリジェンスを持っていない人間の怖さだね」
 それを言うなら安倍さんだって同じではないだろうか。
 「そうなんだけど、安倍の方が育ちが良い分楽だった。でも菅さんはもっとリアルで違うよ。今まで為政者を見てきてね、こいつは怖えなと思ったのは彼が初めてだね」・・・・

※特高⇒特高警察とは特別高等警察の略称で、当時の天皇制政府に反対する思想や言論、行動を取り締まることを専門にした秘密警察のことです。
 明治天皇の暗殺を計画したというデッチ上げによって全国の社会主義者などを弾圧した大逆事件(一九一〇年)を機に、翌一一年、警視庁に特別高等警察課として設置されたのが始まりです。天皇制に批判的なすべての思想と運動を「犯罪」とする治安維持法の制定にそなえて、その前年の二四年に大阪、京都などにも増設され、さらに二八年には全国に配置されました。
新聞赤旗
https://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990308_faq.html

※特高の拷問などについては以下の記事に詳しい。
リテラ・・・  朝ドラ『まんぷく』への「憲兵を悪く描くな」攻撃は異常! 首絞め、逆さ吊るし…本当の憲兵や特高の拷問はもっとヒドい
https://lite-ra.com/2018/11/post-4347_2.html

さすが辺見庸。わたしも全く同じことを感じている。これまで何度も、安倍内閣と菅内閣の公安関係偏重について書いた。菅首相の暗さは、公安的発想に淵源があるとも指摘した。

さらに、辺見庸が鋭いのは、菅首相の顔から「たたき上げ、言わばノンキャリアでさ。(情状の通じない)手に負えない怖さがある」と見ている点である。

多くの人は、「たたき上げ」と言うと、苦労しているから人情がある、とか田舎に対して思い入れがあるとか、そんな事をイメージするだろうが、それは違う。

わたしも何人か知っているが、「たたき上げ」の人間の中には、自分がしてきた苦労を他者に要求するタイプがいる。それも過剰に。それをしない人間には容赦しない。まして、自分よりエリートで、生まれも育ちも良い人間に対しては、自分に服従しない限り、徹底的に弾圧し、排除する。それも陰険で陰湿で手段を選ばない。

こういうタイプの人間は、権力に対して過剰な期待と怖れを持っている。だから、自分が権力を持つと過剰に行使する。(※権力を抑制的に行使するなどという発想は、権力を過剰に欲しない知性と理性の持ち主にしか生まれない。)

こういうタイプの人間の酷薄さは、生まれも育ちも良い人間には想像ができない。前にも書いたが、沖縄の翁長知事に対する彼の扱い方に典型的に現れていた。

翼賛メディアの合唱する【パンケーキ好きの可愛いおじさん】、とか【人の好い令和おじさん】などというキャッチフレーズなど信じられるものではない。

菅政権がようやく国会を開いた。首相になってから45日。これだけ国会を無視した首相は歴史上はじめて。よほど国会で答弁するのが厭なのだろう。

国会は国権の最高機関。ここで論議して初めて自らの首相としての考え方を国民に説明できる。同時に、最高権力者としての自分を国民に認知してもらう場所である。換言すれば、国会で語り、論議すると言う事は、日本国首相としてのレーゾンデートルなのである。国会を大切にすると言う事は、国民を大切にすると言う事と同義なのだ。

そもそも、「国民のために仕事する」などというキャッチフレーズ。馬鹿も休み休み言え!というレベル。内閣総理大臣が国民のために政治をするのはイロハのイ。そんなものをキャッチフレーズにすれば、今までの首相は国民のために政治をしていなかったのか、という話になる。中学校や高等学校の生徒会ではない。もう少し、ましなキャッチフレーズを考えたらどうだ。

しかも、充分過ぎるほどの時間的猶予があったにも関わらず、菅首相の所信表明演説の内容の無さ。日本政界の知的劣化に呆然とした。

一体全体、菅義偉という人物は、日本と言う国をどこに導こうとしているのか、彼の所信表明演説からは何も読み取れなかった。未来の日本の青写真らしきものは、2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロとする目標表明だ。しかも、それは、原子力発電を稼働させてその目標を達成する、という時代遅れの青写真だった。

欧州を中心として21世紀の主流になりつつある脱原発、脱炭素社会を構築するために、自然エネルギー・再生エネルギーを中心とした新たな文明の台頭に対する何のビジョンも示せなかった。ドイツのメルケル首相のような新たな文明に対する哲学など皆無と言って良い。

菅首相の所信表明演説は、蓮舫が評したように、典型的な短冊原稿(各省庁が短くまとめた政策要綱)。各省庁のやりたい政策をかき集めたつぎはぎだらけの所信表明演説に過ぎない。ハンコ廃止とか携帯料金の話だけ。肝心の年金や介護、新型コロナ対策、悪化する近隣諸国との外交などで具体策も一切ない。

日本国の内閣総理大臣になったのである。普通なら、自分自身の思いのたけを所信表明演説に盛り込みたいと考えるはずである。そうして初めて所信表明演説に魂がこもる。そのような演説だからこそ、野党の質問にも政治家としての魂が入る。この魂と魂のぶつかり合いがあって初めて国民たちはどちらの政策を選択するかを真剣に考える事ができる。

それを短冊作文でお茶を濁すなど、政治家としての存在価値を疑う。菅首相のスローガンは、自助・共助・公助だそうだが、国民に自助を要求する前に、自らの演説くらい自分で書けと言いたい。官僚におんぶにだっこで「自助」が聞いてあきれる。

以前、わたしは、「悲惨な退却戦を戦わざるを得ない安倍後の日本!(インパール作戦の二の舞)」の中で、「日本軍の敗戦の大きな要因に、失敗を失敗として認めない組織の腐敗がある」と指摘した。

同時に、山本七平氏の指摘を引用して、「一般的には、上意下達の組織と思われている軍隊が、逆に上が下に依存する組織(上依存下)だ」と言う事も指摘した。これが、日本型組織の【無責任体質】の根源にあるとも指摘した。

菅首相の所信表明演説は、見事に【上依存下】の典型だった。彼は文字通り日本型【無責任】体質を体現している。

それが証拠に、彼は日本学術会議の任命拒否について、何一つ語らなかった。自らの意志で拒否したのなら、その理由を語れるはずである。しかし、彼はそうしなかった。杉田官房副長官などの官僚に依存しているから語れない。インパール作戦を許可した東条英機のように、結局部下の暴走を黙認せざるを得ない。

これからも彼は、官僚作文の訳の分からない答弁を繰り返すだろう。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
流水

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 逃げることを継承する | トップ | 将来を明るくするメッセージ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

菅政権」カテゴリの最新記事