オリバー・ストーン監督と鳩山友紀夫 他2名が本年4月に出版した表題の著書が、従来の「日米戦後史」を大幅に書き換える内容になっており、4人の対談集という本のスタイルであるが、筆者にとって衝撃的だったので、以下内容を「紹介」する。
本書の章立ては第1章から第4章となっており、章ごとに「見出し」を先に述べると、
歳1章は「原爆投下から始まったアメリカ欺瞞大国化の歴史」
後述するが、もし原爆投下のゴーサインを出した大統領がハリー・トルーマンでなかったならば、日本への「原爆投下」はなかった可能性が大であるという。
第2章は「第2次大戦、冷戦…刷り込まれたアメリカの正義」
第2章では、最初の見出しが「大統領でも総理大臣でもない何者かが国を動かしている」となっており、その「何者か」を歴史の闇の中から表に引きずり出すという謂わば、裏技を使ったような衝撃的な展開になっている。対談者は鳩山友紀夫氏と木村朗氏(鹿児島大の教授)である。
先取りして、言ってしまえば、次のような結論になる。
現在アメリカ大統領選挙があったばかりで、次期大統領はバイデン氏、77歳である。しかし、この大統領も、就任次第直ちに「闇の政府」というべき存在によってコントロールされる。つまり、軍産複合体の影の黒幕によって、アメリカの軍事政策に口を出すことは出来ず、軍事政策の転換などは、たとえ大統領であったとしも、完全に不可能だと言うのである。
オバマ大統領がそのいい見本例であり、オバマ政権の時、彼は当初の予想に反して、「軍産複合体」に飲み込まれてしまったという。オバマ氏は広島の慰霊祭に参加したが、その「演説」もトーンダウンが著しいものになっていた。彼に「原爆投下」への「謝罪の言葉」は一切なかったことによく示されている。
大統領であっても、闇の勢力である「影の政府」(ストーン監督はディープ・ステイトと表現している)によって操られている状態は、日本も同じだと言う。日本の「首相も」アメリカの影の政府によって決められているか、就任直後に完全にコントロールされていると言う。
鳩山友紀夫氏は、総理大臣の時、米軍基地の沖縄辺野古への移設に反対の意思であり、国外に基地を移設して欲しい旨を伝えると、アメリカは拒否してきた。そこで今度は、沖縄でも辺野古以外にしてほしいと伝えると(周知のように)首相の座を奪われたという。(これは「影の政府」の仕業だったと鳩山元首相は発言している。)
第3章は「『対米追従』によって隠された日本現代史の真実」となっており、この章も鳩山氏と木村朗教授の対談である。対談の冒頭のみ引用すると、次のように述べている。
見出しは「二面性こそがアメリカという国の本質」となっているが、木村朗氏は、「オリバー監督とカズニック教授(注;アメリカン大学の歴史学教授)に、私はお尋ねしました。アメリカの良心の象徴が憲法9条の精神であり、逆にアメリカの狂気の象徴が原爆投下だったと言えるのではないかと彼らに聞きました。」前者に関してはその通りであるとされて、後者に関しては、カズニック先生は、「アメリカの狂気ととらえるよりも、明確な戦争犯罪としてとらえるべきだ」と指摘された。
第4章では「他国への干渉をつづける『アメリカ例外主義』の時代」となっている。
「アメリカ例外主義」という言葉はオリバー・ストーン監督が他の著書で言及している言葉であるが、「アメリカは他の国々と異なり、私利私欲のためではなく、ひたすら自由と独立の実現を願って人類のために自己犠牲を払っている、だからアメリカは他国と根本的に異なるのだ」という神話が出来上がっていると説明している。
こういう信念は広島、長崎の廃墟やベトナムのジャングルに埋められたと思っている人は多いが、「近年になって再浮上し、歴史を歪めようとする右派の主張の中心に据えられている」(「オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史」所収)ということである。
以上、本書を概観してきたが、最後に第1章のみ要点(ポイント)を絞って、述べる。
第1章では、歴史に「もしも」という仮定の話は定説では「しない」というが、本書によれば、そうではないとする。そして、その理由はこうである。
「原爆投下」の正当性をずっとアメリカ政府が言い続けている。そして、最近になってようやく締結された「核兵器禁止条約」に批准しないばかりか、この条約に批准しようとした国々に「批准はするな」と妨害したアメリカ政府の現状(つまり「核戦略」と「核の抑止力」を今後も強調する立場である)を見れば、「あの時、もしもハリー・トルーマンが大統領ではなく、ルーズベルト大統領の副大統領だったヘンリー・ウォレスが仮定的に「大統領」に選出されていたら、彼の思想や、信条であれば、日本がなんとか終戦工作をソ連などを通じて表明し、ポツダム宣言に「国体の存続」が明記されていたならば、宣言を直ちに「受諾」していた情勢にあり、しかも、日本にはもう戦意が失われていた客観的事情であった戦況を見れば、「原爆投下」の決断はなかった可能性はかなり大きいという。
しかし、すでに「軍産複合体は形成され、(マンハッタン計画は成功裡に完成されていたなど)「影の政府」はもう存在していて、ヘンリー・ウォレスは遠ざけられて、受け身的な「操りやすい」性格のハリー・トルーマンが「例外のように」(ルーズベルトはトルーマンになるとは全く思っていなかったという)浮上してきて、大統領に「なった」という。
そして、「原爆投下」以後、トルーマンは「冷戦構造をあえて」作り出したという。従来の見解では、ソ連とアメリカが覇権を競う「国際紛争」の「対立構造」とされているが、この通説は完全な誤解であると言う。
大体、「第二次世界大戦」に勝利したのは2700万人にの犠牲者を出したソ連であり、ドイツを打ち負かしたのは、アメリカではないという。(Dデイ、ノルマンディー上陸作戦はソ連の勝利後の演出にすぎない)
最後に、「ケネディ暗殺」の謎に本書はかなりの紙面を割いている。オリバー・ストーン監督も描き出したように(映画「J.F.K」)ケネディ暗殺の犯人はオズワルドとなっているが、彼こそ、「スケープゴート」に他ならず、オープンカーの大統領は4発も銃弾を浴びている。4人が発砲している証拠であり、オリバー・ストーンはケネディ暗殺の主犯;黒幕は「影の政府」の仕業だという。
「護憲+コラム」より
名無しの探偵
本書の章立ては第1章から第4章となっており、章ごとに「見出し」を先に述べると、
歳1章は「原爆投下から始まったアメリカ欺瞞大国化の歴史」
後述するが、もし原爆投下のゴーサインを出した大統領がハリー・トルーマンでなかったならば、日本への「原爆投下」はなかった可能性が大であるという。
第2章は「第2次大戦、冷戦…刷り込まれたアメリカの正義」
第2章では、最初の見出しが「大統領でも総理大臣でもない何者かが国を動かしている」となっており、その「何者か」を歴史の闇の中から表に引きずり出すという謂わば、裏技を使ったような衝撃的な展開になっている。対談者は鳩山友紀夫氏と木村朗氏(鹿児島大の教授)である。
先取りして、言ってしまえば、次のような結論になる。
現在アメリカ大統領選挙があったばかりで、次期大統領はバイデン氏、77歳である。しかし、この大統領も、就任次第直ちに「闇の政府」というべき存在によってコントロールされる。つまり、軍産複合体の影の黒幕によって、アメリカの軍事政策に口を出すことは出来ず、軍事政策の転換などは、たとえ大統領であったとしも、完全に不可能だと言うのである。
オバマ大統領がそのいい見本例であり、オバマ政権の時、彼は当初の予想に反して、「軍産複合体」に飲み込まれてしまったという。オバマ氏は広島の慰霊祭に参加したが、その「演説」もトーンダウンが著しいものになっていた。彼に「原爆投下」への「謝罪の言葉」は一切なかったことによく示されている。
大統領であっても、闇の勢力である「影の政府」(ストーン監督はディープ・ステイトと表現している)によって操られている状態は、日本も同じだと言う。日本の「首相も」アメリカの影の政府によって決められているか、就任直後に完全にコントロールされていると言う。
鳩山友紀夫氏は、総理大臣の時、米軍基地の沖縄辺野古への移設に反対の意思であり、国外に基地を移設して欲しい旨を伝えると、アメリカは拒否してきた。そこで今度は、沖縄でも辺野古以外にしてほしいと伝えると(周知のように)首相の座を奪われたという。(これは「影の政府」の仕業だったと鳩山元首相は発言している。)
第3章は「『対米追従』によって隠された日本現代史の真実」となっており、この章も鳩山氏と木村朗教授の対談である。対談の冒頭のみ引用すると、次のように述べている。
見出しは「二面性こそがアメリカという国の本質」となっているが、木村朗氏は、「オリバー監督とカズニック教授(注;アメリカン大学の歴史学教授)に、私はお尋ねしました。アメリカの良心の象徴が憲法9条の精神であり、逆にアメリカの狂気の象徴が原爆投下だったと言えるのではないかと彼らに聞きました。」前者に関してはその通りであるとされて、後者に関しては、カズニック先生は、「アメリカの狂気ととらえるよりも、明確な戦争犯罪としてとらえるべきだ」と指摘された。
第4章では「他国への干渉をつづける『アメリカ例外主義』の時代」となっている。
「アメリカ例外主義」という言葉はオリバー・ストーン監督が他の著書で言及している言葉であるが、「アメリカは他の国々と異なり、私利私欲のためではなく、ひたすら自由と独立の実現を願って人類のために自己犠牲を払っている、だからアメリカは他国と根本的に異なるのだ」という神話が出来上がっていると説明している。
こういう信念は広島、長崎の廃墟やベトナムのジャングルに埋められたと思っている人は多いが、「近年になって再浮上し、歴史を歪めようとする右派の主張の中心に据えられている」(「オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史」所収)ということである。
以上、本書を概観してきたが、最後に第1章のみ要点(ポイント)を絞って、述べる。
第1章では、歴史に「もしも」という仮定の話は定説では「しない」というが、本書によれば、そうではないとする。そして、その理由はこうである。
「原爆投下」の正当性をずっとアメリカ政府が言い続けている。そして、最近になってようやく締結された「核兵器禁止条約」に批准しないばかりか、この条約に批准しようとした国々に「批准はするな」と妨害したアメリカ政府の現状(つまり「核戦略」と「核の抑止力」を今後も強調する立場である)を見れば、「あの時、もしもハリー・トルーマンが大統領ではなく、ルーズベルト大統領の副大統領だったヘンリー・ウォレスが仮定的に「大統領」に選出されていたら、彼の思想や、信条であれば、日本がなんとか終戦工作をソ連などを通じて表明し、ポツダム宣言に「国体の存続」が明記されていたならば、宣言を直ちに「受諾」していた情勢にあり、しかも、日本にはもう戦意が失われていた客観的事情であった戦況を見れば、「原爆投下」の決断はなかった可能性はかなり大きいという。
しかし、すでに「軍産複合体は形成され、(マンハッタン計画は成功裡に完成されていたなど)「影の政府」はもう存在していて、ヘンリー・ウォレスは遠ざけられて、受け身的な「操りやすい」性格のハリー・トルーマンが「例外のように」(ルーズベルトはトルーマンになるとは全く思っていなかったという)浮上してきて、大統領に「なった」という。
そして、「原爆投下」以後、トルーマンは「冷戦構造をあえて」作り出したという。従来の見解では、ソ連とアメリカが覇権を競う「国際紛争」の「対立構造」とされているが、この通説は完全な誤解であると言う。
大体、「第二次世界大戦」に勝利したのは2700万人にの犠牲者を出したソ連であり、ドイツを打ち負かしたのは、アメリカではないという。(Dデイ、ノルマンディー上陸作戦はソ連の勝利後の演出にすぎない)
最後に、「ケネディ暗殺」の謎に本書はかなりの紙面を割いている。オリバー・ストーン監督も描き出したように(映画「J.F.K」)ケネディ暗殺の犯人はオズワルドとなっているが、彼こそ、「スケープゴート」に他ならず、オープンカーの大統領は4発も銃弾を浴びている。4人が発砲している証拠であり、オリバー・ストーンはケネディ暗殺の主犯;黒幕は「影の政府」の仕業だという。
「護憲+コラム」より
名無しの探偵
