まさか、この世にこんな別れがあろうとは、
この家のおじさんおばさんも、思ってもみなかったことだったでしょう
それは、ミーヤおばあさんとのお別れです。
ミーヤおばあさんは、顎に癌が見つかって
患部を切除する手術を受け
下顎が半分でも、元気に暮らしていたにゃんこでした
食べにくいはずの口をうまく使って、
至極普通に、日々を過ごしていました
手術のあと、一日おきに放射線治療を受けたことも
その後、再発が見つかって、口からの食事が出来なくなり、
胃に直接カテーテルを入れて、食事を注入したことも含めて
その通りに受け止め、あるがままに受け入れて日々を過ごして居るような、
けな気で、静かな強さを持ったにゃんこでした
カテーテル装着手術を受けるときに、おじさんおばさんはT大病院の先生に
「この手術を受けるなら、いつかは、安楽死を覚悟してください」
といわれていました
その時点では、「今すぐカウントダウンになるか
それとも、カテーテルでの食事に切り替えて、いつか患部の壊死が進んだときの
安楽死を覚悟して今装着手術するかのどちらかです」と突きつけられ
切羽詰った上の、覚悟の選択でした
約1年、ミーヤおばあさんは、カテーテルでのお食事をしながらも
穏やかに過ごしました
その間、おじさんおばさんたちは、毎日4時間おきに
交代で、ミーヤに、カテーテルからご飯をあげていました。
やせていた体は、目に見えてふっくらとしていき、
毛並みは、綺麗な艶が生まれていきました。
このまま、いつまでも時が続いていくように思われたものです。
いつものように、定期検診に行ったある日
担当医のM先生は、「ソロソロだと思います」と
そのときがきたことを告げました
つまり、顎の癌が病変を広げ、ますます広範囲で、細胞の壊死を続ける・・・
だから、そろそろ、薬による眠りを選択するべきときがきたと思う。
そういうことです。
アモには、今家で起きていることが、ナンなのか、
皆目見当がつきませんでしたが
おじさんたちには、ついに覚悟の時が来ました。
ミーヤおばあさんは、もう、全てを達観して居ました。
今あることを、あるがままに受け入れる準備は、とうの昔にできていたのです。
しかし、おじさんたちはそうは行きません。
自分の中にある様々な思いとどう折り合いをつけるか
もがき苦しんでいたのです
しかし、その日はやってきました。
皆と最後のご挨拶をして、おじさんおばさんと車に乗って、病院に向いました
そして、おじさんおばさんの優しい手になでられながら、
のどをゴロゴロ鳴らしながら、
ミーヤは天国に行きました。
14歳でした。
その体は、ふっくらとして、余りにも毛艶がよく、
どんどん壊死して、溶けていく患部とは余りにも対照的でした
アモは、今まで、ガラス戸越しに色々話しかけてきたあのミーヤおばあさんとのお別れを
初めて、じかに会ってしました
ミーヤの柔らかな三毛の毛並みに鼻をつけて、初めてそのにおいを嗅ぎました。
花束に包まれたミーヤおばあさんは、
アモに、「おじさんおばさんをたのむね」と言っているようでした。
アモがお家にゃんこになってから早くも二つ目のお別れがあり、
今、元気で居るアモの存在は、おじさんたちにとって
ますます、貴重なものになっていくのです
それは、たった一つしかない命を、実に愛おしいと感じる心が
深まっていくことでもありました・・・・
・・・つづく・・・