黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

憧れのシャーペン

2025-02-02 11:21:05 | 生活

「憧れのシャーペン」と言っても、最近巷に溢れてるらしい高性能文具の話ではない。半世紀以上前、私が最初にシャーペンを手にしたときの話である。

当時は、「筆箱に鉛筆」が学校に通う生徒の常備品。鉛筆削りには、机に固定して把手をぐるぐる回すタイプと、携帯型で差し込んだ鉛筆をぐるぐる回すタイプがあった。鉛筆を差し込むだけでモーターが回って先を尖らす電動式の鉛筆削りを持ってる子は、お金持ちの家の子の証しであった。

ところが、小学校高学年になったある日、お金持ちのボンボンがシャーペンを学校に持ってきた。鉛筆を削らなくても常に細い文字を書くことができる新兵器は大いにクラスの羨望を集め、子供たちはこぞって親に買ってくれとねだったから、たちまちクラスのほとんどがマイ・シャーペンを持参するようになった。

当時の値段で一本500円くらししただろうか。当然、持てる数は一本のみである。それを、後生大事に使い続けたものである。当初、芯の太さは0.7㎜だったが、だんだん0.5㎜とかの細いのがでてきた。もはや、シャーペンを持ってるだけでは自慢の種にならず、自分ちの金持ち具合はシャーペンの芯の細さで競われるようになった。私にとって0.5㎜は高嶺の花で、小学生である間は手にしたことがなかった。

時は流れ、いつしか私の書斎はシャーペンまみれとなった。

仕事で外出する際、持ち忘れるものだから出先で買い続けた結果である。一本を後生大事に携えていた半世紀以上前を思うと、なんと贅沢なことよ、と思う。

だが、これらはほとんどが芯さえちゃんと入れれば使用に支障がない。あかんことになってるのはボールペンである。

量が増えた理由はシャーペンと同様である。この中の多くがインクが乾いてしまっていて使い物にならない。この際、全ボールペンについて書けるか書けないかの抜き打ちテストをした。

右側のグループが書けないヤツである。これだけの量が「無駄飯喰らい」だったとは。「バラの騎士」というオペラに、成り上がり貴族のファンニナルが「家来がぞろぞろいて役に立つヤツはいないのか」と嘆くシーンがあるが、まさにその心境である。右側のグループの面々に暇を出したことは言うまでもない。

そうやって一部を処分してもなお多量のシャーペンとボールペンの所有が残る。私がぽっくり逝ったらこれらは遺産である。遺産となったあかつきには、使えるモノも含めて全部がお払い箱になるのであろう。

そう言えば、傘も昔は貴重品で、小学校に行く途中の三叉路に人一人がようやく入れるくらいの小屋があった。傘の修理屋さんであった。現代において、ビニール傘を修理に持って行く人はいないだろう(傘の修理屋さんは存在して、大事な傘が持ち込まれて結構繁盛されているらしいが)。ウチには、シャーペンやボールペンほどではないにしても、傘箱に何本がビニール傘がささっている。これも、直に遺産となり、お払い箱になるのであろう。

おまけ。遺贈しても、迷惑だと言って断られるであろう(注:遺贈は受遺者において拒否することができる)。


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