新プロジェクトXで「ゴジラ-1.0」がアカデミー賞の視覚効果賞をとった話をしていた。VFXについて日本はハリウッドより20年遅れてると言われた時代を乗り越えて、千人体勢でVFXを作るハリウッドを35人のチームが打ち負かした、という話だった。
その35人の中に数人の天才がいて、そうした天才に触発されて全体のレベルが上がったそうだが、その天才というのが「挨拶をしない」「昼休みに出かけて2時間帰ってこない」といった「つわもの」。旧来型の会社だったらさぞかし先輩がいじめたことだろう。
監督が「三丁目の夕陽」を撮った人と聞いて、私は期待をしていて期待通りだった。というのも、「三丁目」の続編の冒頭でゴジラが暴れ回る仮想シーンがあって、それが「ゴジラ」と銘打って上映されている「本家」よりも数倍怖かったからである。
昔は「CG」(コンピューターグラフィックス)と言ったと思うのだが、いつの間にか、「VFX」って言葉が氾濫するようになった。因みに、「VFX」「CG」の前にあったのが「特撮」であり、ぬいぐるみに入ったアクターがミニチュアの街を闊歩した。昭和のゴジラはもちろん特撮で撮られており、中島春雄さんが初期のゴジラアクターとして著名である。
特撮と言ってバカにしてはいけない。例えば、「三大怪獣地球最大の決戦」におけるキングギドラやラドンの登場シーンは今見てもわくわくする。
だが、昭和ゴジラは1970年代に低迷した。私は、動画サイトが進めてくる映画のほとんどがゴジラ作品であるようにこの歳になってもゴジラ作品が大好物である。だが、さすがに「ゴジラ対ガイガン」「ゴジラ対メガロ」といった作品は、あまりにも映像がちゃちで見るに堪えない。例えば、宇宙から飛行するキングギドラはまるっきりおもちゃである。しかも可動域がゼロである。子供向けになったと言うが、子供をバカにしてはいけない。子供だって興ざめのはずである。子供は子供なりにリアリティーを求めている。「オール怪獣大進撃」が不評だったのはすべてが夢の中という設定でリアリティーが欠けたからである。低予算化のとばっちりであろう。
コンセプトの変化も問題である。当初、ゴジラは人類の敵として登場し、大人が見ても怖かった。だが、そのうち、別の悪役(キングギドラ等)が登場するにつけ人類、とりわけ子供の味方になっていった。その著しい例として、ゴジラが悪役と戦うとき子供が「ゴジラー、がんばってー」とエールを飛ばすし、敵を撃滅し去りゆくゴジラに子供が「ゴジラー、さようならー」と手を振って別れを告げる。これでゴジラの歌でも出てきたらまるでガメラだと思ったら出てきましたとも。長らくゴジラの音楽を手がけた伊福部昭氏はなんと思ったことだろう。
近年のゴジラ復活の鍵は、原点に戻って「怖いゴジラ」を追究したことであると思う。
なお、昭和ゴジラシリーズの後半の作品である「ゴジラ対ヘドラ」において、ゴジラが自らの吐く熱戦を動力として空を飛んだ件については批判の多いところであるが、この作品には当時の社会の世相が鋭く盛り込まれていて異色であり、結構見てしまえるものである。