黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

カラヤン嫌いの音楽評論家が自らのタクトで示した「音楽性」

2024-10-25 07:54:39 | 音楽

そのカール・ベームこそは、私が人生で最初に買ったクラシックのレコードの指揮者だった。ウィーン交響楽団(ウィーン・フィルではない)との第九だった。選んだ理由は900円だったから。当時、LPは1枚2000円だったが、「廉価版」は1000円。私の財布には900円しか入ってなかったが、なぜか900円でも買えるはずという根拠のない自信を胸に町のレコード屋に行ったらあった!文字通りなけなしのお金で買ったレコードであった。しかも900円の第九は二種類あった。なぜそのときベーム盤を選んだか?当時、クラシックの演奏家に関する知識はゼロ。良し悪しが分かる道理がない。ただ、ベームじゃない方のジャケットはレコードを入れるだけの薄いモノだったのに対し、ベーム盤は見開きでありがたみがありそうだった。だからである。

その見開きにたっぷり解説を書いていたのが某音楽評論家氏。運命の出会いであった。氏は、ベームの演奏なのに不思議とカラヤンとやらのことばかり書いていた。すなわち、当時「帝王」と呼ばれていたカラヤンをけなしてベームを持ち上げるという手法をとっていたのである。その内容はこうである。カラヤンの音楽は表面がきれいだが、昔から「巧言令色仁少なし」という。その点ベームの音はごつごつしている、だから良い云々……その巧みな解説にいたいけな子供はすっかり洗脳された(その解説こそが「巧言令色」と言えたりして)。その後知ったことだが、氏は有名なアンチ・カラヤンであった。少なくとも10代の間、私は、氏の教えに忠実なアンチ・カラヤンであった。

だが、洗脳から脱するときが来た。それは、カラヤン指揮のベルリン・フィルをサントリー・ホールで生で聴いたときである。その余りにゴージャスな音に私は第一ラウンド開始1秒でノックアウトを喰らった。これほどの「令色」であれば仁などなくったっていい、という心境であった。因みに、氏も同じ演奏を聴いたと知った私は、さすがの氏も褒めざるを得ないだろうと思ったら、氏の感想は「余りにも輝かしすぎる」であった。言うにことかいて、とは思ったが、結局、「きれい」と「ごつごつ」のどっちが好きかは好き好きである。氏は、とことん見かけではなく中身(「精神性」という得体の知れないもの)がお好きなのだ。ジーパンだって、新品が好きな人がいればはき古したものが好きな人もいる(私は、ベームが「ごつごつ」だとは思わないが)。

だが、好き好きで済まされない記述が件の第九の解説の中にあった。その記述とは、カラヤンの音楽は表面がきれいでベームはごつごつしている、だから「カラヤンはオペラが得意だが、ベームは不得手」という記述である。ベームはオペラ劇場のたたき上げで、根っからのオペラ指揮者である。特にモーツァルトとリヒャルト・シュトラウスのオペラの指揮には定評がある。シュトラウスは、自作の「ダフネ」というオペラをベームに捧げたくらいである。そのベームをつかまえて「オペラが不得手」と言うなんざ、「江川の球はのろかった」「グルベローヴァは高音が苦手」「鳥は飛べない」「馬は鹿」「S社の株価は500円になる」「抵当権抹消の申請の際に住民票の写しが必要」というくらいの事実誤認である。いっときでも氏に洗脳された元子供としては、この点についての氏の総括を是非聞きたかったが、既に氏は鬼籍に入られていて無理である。因みに、上記の比喩は、私が旧ブログに書いたものを集合させたものである。6個ある。なんだ、15年で6回しかこのことを書いてなかったんだ。もっと書いたつもりだったけど。

そんな氏が自らタクトを振ったベートーヴェンの交響曲を聴いた。超面白かった(真意である。素晴らしかったとは言ってない)。私、分かった。氏の大好きな「精神性」とは、曲に没入して、感情の赴くままにテンポもリズムもぐにゃぐにゃにすることなのだ。そう言えば、氏の大好きなフルトヴェングラーの1947年の「運命」の第1楽章だって、「ジャジャジャジャーン」とその他の部分のテンポは倍くらい違う。有名なバイロイトの第九のエンディングのリズムもばらばらである。フルトヴェングラーなら良くて、氏はダメという理屈はないだろう。氏は、とことんロマン派の人なのだ。なお、超面白くはあるが、氏のベートーヴェンは、まだ固まっていない良い子には聴かせない方がいいだろう。

この話にはエピローグがある。カラヤン亡き後、アバドがベルリン・フィルの常任になり、さらにピリオド奏法全盛の世になった。マタイ受難曲の推薦盤としてメンゲルベルク盤を推すような氏がピリオド奏法に耐えられるはずはない。氏はそうした新しい演奏家を「新人類」と呼び、理解不能であるとして拒絶、なんと、「カラヤンのことをこれまでさんざこきおろして来たが、彼ら(新人類)に比べれれば旧人類であった」と言い出した。「新人類」の跋扈を目の当たりにした氏はカラヤンに対してさえも懐古の念を感じたようであった。


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