「ユダヤ人の歴史」を読了。ユダヤ人の歴史はイコール苦難の歴史。具体的に言うと、迫害、追放、流浪の歴史である。
ユダヤ人は、祖国を失って世界中に散らばったわけだが、行った先々で迫害に遭った。なぜか。散り散りになったユダヤ人の民族としてのアイデンティティはユダヤ教であったから、その儀式等を伝統に則って行ったわけだが、それが周りの人間から見ると奇異に映る。だから警戒する。自分たちと異なるモノを排除しようとするのは島国根性の日本のお家芸かと思っていたが、世界共通=人類共通の性(さが)らしい。
そうした警戒が土壌となり、きっかけによって爆発する。そのきっかけの多くは、キリスト教徒が被害者となる殺害事件である。ユダヤ人には過越祭という慣習があり、それは、災難を防ぐために家の扉に羊の血を塗るというものであったが、キリスト教徒は、ユダヤ人が過越の血をキリスト教徒の血で贖った、となんくせをつけたわけである。
人のことは言えない。日本人だって、天変地異があるたびに、それを外国人のせいにし、例えば、外国人が井戸に毒を入れたなどというデマを流して、外国人を迫害した。そういうところも、世界共通=人類共通の性(さが)なのだろうか。
だが、そもそもキリスト教は、ユダヤ教の一宗派だったはずである。それがなぜ一方が世界的宗教になり他方が一民族の宗教にとどまったかというと、それは、キリスト教の内容によるらしい。すなわち、ユダヤ教は、前記の通り厳格な儀式を執り行う宗教なのだが、キリスト教は、もっぱら内心で神様を信じればよい、厳格な儀式は不要と説く。すなわち、ハードルが低いのである。だから多くの信者を獲得できたのだという。また、キリスト教徒から見るとユダヤ人はイエスを殺した輩である。それがユダヤ人に対する敵視につながる面もあるという。
そうしたユダヤ人に対して、レベル違いの迫害を加えたのが……というかその種族のこの世からの抹殺という次元の異なる蛮行を行ったのがヒットラー率いるナチスである。日本は、多くの文明をドイツから輸入したし、ドイツ人は日本人同様に勤勉だと聞いているからドイツ人を偉いと思ってるフシがある。だが、アーリア人が人種的に優れていてユダヤ人は劣っているなどというヒットラーの世迷い言を無闇に信じたドイツ人の思考ってどうなの?と思う。変な情報にいっときの熱情でもって流されてしまう非合理な民族のようにすら思う。実際、ドイツ人は、フランス人やイタリア人といったラテン人を「合理的」だと羨んでいるフシがある。そんなドイツ人を羨む日本人もまたなんだかなーな民族の気がする。
そんなドイツ人が、ユダヤ人と似たような目に遭ったことは知らなかった(迫害の規模からすればユダヤ人が被ったそれに及ぶわけがないが)。すなわち、第二次大戦終了直後、東ヨーロッパに住んでいたドイツ人が迫害され、追放され、ドイツに送り返されたというのである。報復の連鎖である。これも世界共通=人類共通の性(さが)なのだろうか。しかも、そうやってドイツに戻ったドイツ人は、西ドイツでは「ドイツは加害者」の空気の中で被害を口にすることは憚れたし、東ドイツでは同じ共産圏である東ヨーロッパの国々と仲良くするために口を封じられたという。
「ユダヤ人の歴史」の冒頭にはイスラエル王国があった。そして末尾である現在はイスラエル国があり、著者であるユダヤ人氏によると、ユダヤ人は現在自分達の国があって幸せだという。世界中に優秀な人材を輩出しているという。優秀なユダヤ人音楽家は枚挙にいとまがない。だが、中東の紛争は一向におさまらないどころか過激化している。報復の連鎖になんとか楔をうち、紛争を続けていてもろくなことはないとの合理性でもって事態を収めてくれることを願うワタクシである。