黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

報復の連鎖

2024-12-02 21:46:36 | 歴史

「ユダヤ人の歴史」を読了。ユダヤ人の歴史はイコール苦難の歴史。具体的に言うと、迫害、追放、流浪の歴史である。

ユダヤ人は、祖国を失って世界中に散らばったわけだが、行った先々で迫害に遭った。なぜか。散り散りになったユダヤ人の民族としてのアイデンティティはユダヤ教であったから、その儀式等を伝統に則って行ったわけだが、それが周りの人間から見ると奇異に映る。だから警戒する。自分たちと異なるモノを排除しようとするのは島国根性の日本のお家芸かと思っていたが、世界共通=人類共通の性(さが)らしい。

そうした警戒が土壌となり、きっかけによって爆発する。そのきっかけの多くは、キリスト教徒が被害者となる殺害事件である。ユダヤ人には過越祭という慣習があり、それは、災難を防ぐために家の扉に羊の血を塗るというものであったが、キリスト教徒は、ユダヤ人が過越の血をキリスト教徒の血で贖った、となんくせをつけたわけである。

人のことは言えない。日本人だって、天変地異があるたびに、それを外国人のせいにし、例えば、外国人が井戸に毒を入れたなどというデマを流して、外国人を迫害した。そういうところも、世界共通=人類共通の性(さが)なのだろうか。

だが、そもそもキリスト教は、ユダヤ教の一宗派だったはずである。それがなぜ一方が世界的宗教になり他方が一民族の宗教にとどまったかというと、それは、キリスト教の内容によるらしい。すなわち、ユダヤ教は、前記の通り厳格な儀式を執り行う宗教なのだが、キリスト教は、もっぱら内心で神様を信じればよい、厳格な儀式は不要と説く。すなわち、ハードルが低いのである。だから多くの信者を獲得できたのだという。また、キリスト教徒から見るとユダヤ人はイエスを殺した輩である。それがユダヤ人に対する敵視につながる面もあるという。

そうしたユダヤ人に対して、レベル違いの迫害を加えたのが……というかその種族のこの世からの抹殺という次元の異なる蛮行を行ったのがヒットラー率いるナチスである。日本は、多くの文明をドイツから輸入したし、ドイツ人は日本人同様に勤勉だと聞いているからドイツ人を偉いと思ってるフシがある。だが、アーリア人が人種的に優れていてユダヤ人は劣っているなどというヒットラーの世迷い言を無闇に信じたドイツ人の思考ってどうなの?と思う。変な情報にいっときの熱情でもって流されてしまう非合理な民族のようにすら思う。実際、ドイツ人は、フランス人やイタリア人といったラテン人を「合理的」だと羨んでいるフシがある。そんなドイツ人を羨む日本人もまたなんだかなーな民族の気がする。

そんなドイツ人が、ユダヤ人と似たような目に遭ったことは知らなかった(迫害の規模からすればユダヤ人が被ったそれに及ぶわけがないが)。すなわち、第二次大戦終了直後、東ヨーロッパに住んでいたドイツ人が迫害され、追放され、ドイツに送り返されたというのである。報復の連鎖である。これも世界共通=人類共通の性(さが)なのだろうか。しかも、そうやってドイツに戻ったドイツ人は、西ドイツでは「ドイツは加害者」の空気の中で被害を口にすることは憚れたし、東ドイツでは同じ共産圏である東ヨーロッパの国々と仲良くするために口を封じられたという。

「ユダヤ人の歴史」の冒頭にはイスラエル王国があった。そして末尾である現在はイスラエル国があり、著者であるユダヤ人氏によると、ユダヤ人は現在自分達の国があって幸せだという。世界中に優秀な人材を輩出しているという。優秀なユダヤ人音楽家は枚挙にいとまがない。だが、中東の紛争は一向におさまらないどころか過激化している。報復の連鎖になんとか楔をうち、紛争を続けていてもろくなことはないとの合理性でもって事態を収めてくれることを願うワタクシである。

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コラールの成り立ちVol.6「イエス、わが喜び」

2024-12-02 16:42:52 | 音楽

ヴェルディのオテロの映像を見てたら、珍しく「Otelle by Arrigo Boito」と作曲者名より先に台本作家の名前が出てきた。昔のコラールのようである。昔のコラールは、誰々作といった場合の誰々は大概詩人で、重要な役割を果たしていた教会作曲家のヨハン・クリューガー(Johann Crüger(1598~1662))の名前が表に出ないことが多いことに不満だが(親戚でもなんでもないが)、おそらく、彼の仕事の多くが詩に適当なメロディーを見つけてきてあてはめるメロディー斡旋業(?)的なものだったせいかもしれない。そんなクリューガーが、オリジナルのメロディーを付けたのがバッハのモテット第3番「イエス、わが喜び(Jesu, meine Freude)BWV227」の、元曲である同名のコラールである。作詞は、ヨハン・フランク(Johann Franck)。これより遡る源流は……ない。おお、源流への旅はあっけなく終わってしまった。

バッハは、このコラールの全6節をすべてモテットに採用したが、第3節を除く5節はメロディーもとろも採用した(コラールとして採用した)のに対し、第3節については独自の音楽を付けた。バッハは、ローマ書(新約聖書)からも句を採用して独自の音楽を付け、こうして、全11曲から成るモテットができあがった。その冒頭はこんなであった。

歌詞の採用状況は次のとおりである。括弧内が詩句の採用元である。なお、フランク&クリューガーのコラールを「元コラール」と表記した。

第1曲コラール(元コラールの第1節(Jesu, meine Freude))
第2曲自由な曲(ローマ書(Es ist nun nichts))
第3曲コラール(元コラールの第2節(Unter deinem Schirmen))
第4曲自由な曲(ローマ書(Denn das Gesetz))
第5曲自由な曲(元コラールの第3節(Trotz dem alten Drachen))
★(中央)第6曲フーガ(ローマ書(Ihr aber seid nicht fleischlich))
第7曲コラール(元コラールの第4節(Weg mit allen Schätzen))
第8曲自由な曲(ローマ書(So aber Christus in euch ist))
第9曲コラール(元コラールの第5節(Gute Nacht, o Wesen))
第10曲自由な曲(ローマ書(So nun der Geist))
第11曲コラール(元コラールの第6節(Weicht, ihr Trauergeister))

なお、第9曲は、自由な曲と思いきや途中からアルトがコラールで入ってくるのでコラールに分類した。
第3,4,5曲と、第7,8,9曲をそれぞれ「コラール+α」としてひとまとまりとすると、第6曲フーガを中心とするシンメトリーができあがる(と巷間言われている)。

源流への旅があっと言う間に終わってしまったので、分流を一つ紹介しよう。それは、バッハのカンタータ第87番である。このカンタータの台本作者はクリスティーナ・マリアンナ・フォン・ツィーグラー(Christiana Mariana von Ziegler)で、終曲のコラールも彼女の選択によるものであり、それは、ハインリヒ・ミュラーが作詞したコラール「Selig ist die Seele」(1659)の第9節「Muß ich sein betrübet?」である。そして、これに付されたメロディーが「イエス、わが喜び」と同じクリューガー作のものなのである(注)。

さて、バッハのモテットの中では今回取り上げた第3番が一番の人気曲らしいが、第1番(Singet dem Herrn)も根強い人気を誇る。次回のコラールの成り立ち話はその第1番を取り上げる予定である。もう、予告篇を少ししゃべってしまうと、その調査の過程でカンタータ第28番が登場し、さらにモテットの第7番も登場する予定である。もう、わくわくである(書き手だけわくわくしてどうする?と言われそうである)。

なお、モテットの人気投票で、もし第2番に一票だけ入っているとすればそれは私が投じた一票である。その終曲コラールについては、既にVol.4でとりあげたところである。

なおのなお、もし私がMLBのMVPの投票権を有していたら、モテットの人気投票で第2番に投票するのに等しい真似などはせず、素直に大谷翔平選手に一位票を投じたはずである。

注:ウィキペディアドイツ語版の「Bisher habt ihr nichts gebeten in meinem Namen」

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