今、【じいちゃん】【ばあちゃん】は、各家庭にいてくれているのだろうか。
私が幼い頃、お腹が痛くて泣いていると、じいちゃんは、
「お薬を飲んでおきなさい。」
とは、言わず、30分でも1時間でも、
「へ~いな~れ、あ~ぽい な~れ。へ~いな~れ、あ~ぽい な~れ。」※
と、呪文のように節をつけてつぶやきつつ、私のお腹をさすってくれました。
「忙しい。」とは言わず、ずっとさすってくれました。
私が、失敗したり、いじめられた気分になって泣いていると、ばあちゃんは。
「しにゃ~せん、しにゃ~せん。」
と、言いながら、頭と言わず、背中と言わず、おしりと言わず、体中をさすってくれました。
ここ2年くらい、私は、病院に行かなかったから病名がつかなかっただけで、かなりやばい状態だったような気がします。
自分の仕事っぷりが、ヘボいせいで、たくさんの方に迷惑をかけていますし、今も、迷惑をかけ続けています。
でも、ばぁちゃんが、私が追い込まれたときに、シャワーのようにふりかけてくれた
「しにゃーせん、しにゃーせん。・・・しにゃーせん、しにゃーせん。」
【死にはしない、(そんくらいじゃ、)死にはしない。(大丈夫、大丈夫、そのくらいじゃ、)死にはしないから。】
っていう言葉は、私の心のどこか、深いところでしっかり根付いて、私を支えてくれていたのかなぁ~って思います。
私が、今、こうしていられるのは、私に期待してくれる家族や、たくさんの友達、それは、間違いないことだけど、
もう、ずっと前に死んでしまってはいるけど、私の心の中で生きている、じーちゃんや、ばーちゃんのおかげってのもあると、
そんなことを思い出しながら、酒を飲んでます。
そして、【今】・・・たいへんな時代を生きている子どもたちにも、【こんな存在】が、身の回りにいてくれたらいいのに、
って、思います。
※「へ~いなれ~、あ~ぽいな~れ~」
【へ】は、【おなら】のこと。
【あぽ】は、【うんち】のこと。
(ウチの地元の古い方言です。)
つまり、
『【おなかの痛み】は、【おなら】や【うんち】になって、早く体の外に出てしまえ。』
っていう、我が家独自の、呪文です。