風香の取材に同行し、週プロの編集部に行った。思えば今から遡ること28年前から、編集部によく出入りしていた。もう、その頃の編集者はほとんどいない。すっかり若返ったものだ。週刊誌という激務をやっていくのには、若さがないとやっていけない。仕事が週単位に始まっては終わるのだから、体力を含めた消耗も早い。それは一般誌のように、大人数で分業するのではなく、全員が精鋭部隊だからだ。現在は佐久間編集長以下、みん . . . 本文を読む
私は写真の専門学校出身だったが、特にカメラマンになりたかったわけではなかった。高校を卒業後、大学に行ける当ても無く、仕事をする気もなく…1歳年上の友達が専門学校に通っていたため、私も真似て入学したわけだ。学校の名称は東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)といい、水道橋と御茶ノ水の間に位置していた。「御茶ノ水で石を蹴ると、カメラマンの卵にぶつかる」と先生が言っていたほど、カメラマンを夢見た青 . . . 本文を読む