ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

竹内宏介さんが天に旅経った…

2012年05月04日 03時27分53秒 | ROSSY's EYE

 プロレス・マスコミの巨星が逝ってしまった…“ミスター・ゴング”竹内宏介さんが天に旅立ってしまったのだ。脳梗塞で倒れ、5年近くも病床にいたが、意識が回復することなく5月3日、午後8時24分に腸閉塞のため永眠されたのだ。その間は大川カメラマンや吉川義治さんが親身になって奥さんを支えてきたのは、紛れもない事実だった。竹内さんは私よりも10歳年上でまだ65歳の若さだったのだ。

 おそらく40歳以上のプロレス・ファンは、少年時代に少なからず竹内さんの影響を受けていると思う。竹内さんは19歳で「プロレス&ボクシング」の編集長になり、その後はゴングの創刊に関り編集長を歴任し、日本スポーツ出版社の社長にもなった。竹内さんの功績…ゴング誌はそれまでプロボク誌が創り上げてきた、新聞の雑誌版という内容を大きく打破、独創的な企画でプロレス・ファンに夢を与えたのだ。私が専門誌と出会ったのが昭和43年3月、このゴング誌の創刊号からだった。それから毎月、ムサぶりつくようにゴング誌を読破した。ゴング誌によって世界のプロレスを知り、外国人に興味を持ったのだ。そしてミル・マスカラスの売り出しに大きな役割を果たしてくれた。竹内さんの手法は昭和40年代の少年漫画月刊誌のようで、雑誌の付録を付けるという発想は当時、とても新鮮だったのだ。

 少年時代は竹内ワールドに魅せられたが、この業界に入ると週刊プロレスの宍倉氏やターザン山本氏と親しくなったため、週プロ的世界を良しとしてきた。90年代に週プロは独走したが感覚の雑誌だったから、雑誌としての資料価値はあまり無かった。だから、時として資料性あふれたゴング誌を重宝したのも事実だ。中でも竹内さんが作った「世界名レスラー100人伝説」は秀逸なのだ。私が今でもプロレスが好きで、プロレスラーをリスペクト出きるのは、少年時代に得た竹内さんの世界観が身に付いているからだと思っている。

 2006年秋に日本スポーツ出版社で「女子プロレス事件File2」というムック本をプロデュースした際、竹内さんに女子プロレスの原稿を依頼したのが、最後に交わした言葉だった。そうそうゴング誌の創刊号には、ファビュラス・ムーラを中心とする女子プロレスのグラビアも載っていたのだ。竹内さんがご存命だったら今、どんな本を作っていただろうか…何か無性に竹内さんが編集した雑誌を読みたくなった。おそらくゴング誌=竹内ワールドと出会わなかったら、ロッシー小川がこれほどプロレスにのめり込むことはなかった。多分。 合掌。


最新の画像もっと見る