”ミスター・ゴング”竹内宏介さんのお通夜に行ってきた。式場の調布まで首都高速が混んでいたため、約2時間もかかって到着。すると元ゴング誌の編集スタッフやカメラマン、週刊プロレスの関係者、坂口征二、グレート小鹿の両名、そして武藤敬司選手も参列していた。供花も(敬称略)アントニオ猪木、馬場元子、長州力、藤波辰彌、前田日明、小橋建太、蝶野正洋、グレート・サスケ、健介オフイス…業界のVIPクラスの名前が連ねてあった。このネット社会はもの凄いスピードで情報が発信される。だから瞬時で竹内さんの死去も伝わったのであろう。モニターでスライドが上映されていた。その多くはプロレスラーとのショット。竹内さんはよく誌面で選手とのツーショットを掲載していたが、これがインタビューカット以上にインパクトがあった。少年時代はいつも外国人選手と写真に納まっている竹内さんに憧れたものだ。その影響か、私も事あるごとに選手や関係者との写真を結構マメに撮っているのだ。まあ今はブログとかを書く関係で写真を撮ることも必然だが。
また、元ゴング編集部の人たちがこうやって一堂に介すのは、おそらくこのような機会でもないと、もはや不可能だろう。ゴング休刊後は二派に分かれた時期もあったが、みんな竹内門下生。竹内宏介という師範がいて、みんな丁稚奉公みたいな関係でプロレスという仕事に入ってきた。そこから編集長に上り詰めた者もいれば、フリーとなっていった者もいる。竹内さんは偉大なるみんなの師範だったのだ。私などは外野席の住人だったが、日本スポーツ出版社の最期は少しばかり関わらせていただいた。今では業界から去った人たちも多く、本当に久しぶりの対面ばかり。女子プロレスの名物記者だった原正英さんとも約5年半ぶりの再会。これがまったく変わっていないどころか、ふっくらしているのだ。原さん曰く「1993年8月に日本武道館で行われた女子プロレス・オールスター戦の増刊号で、メインの試合を竹内さんがリポートしていたんです」と衝撃?の事実を教えてくれた。竹内さんが女子プロレスをどんな風に書いていたのか…この増刊号は、原さんの話でとたんにレアになった。お通夜という場ながら、旧交を温めた人たち。きっと竹内さんがみんなを会わせてくれたのであろう。そうそうマスカラスから大川カメラマンの携帯に電話が入り、竹内さんの奥さんと話をしていた。本当にいい関係だったんだなあと改めて思った次第です。