1980年生まれ、カナダ・アルバータ州カルガリー出身。165cm、68kg(得意技)シャープシューター
かつてWWF時代にブレッド・ハートと“ハート・ファウンデーション”として大活躍し、タッグの名手の名をほしいままにしたジム・ナイドハートの愛娘。幼い頃からプロレス一家として育ったため、自然のうちにプロレスと親しんだ。
日本には05年3月にWAPの招聘により初来日。剛竜馬がブッカーを行なっていたが、ナッティはナディア・ハートと名前を縮小されてのリングネームとなった。これはあくまで日本用で、その身柄はNEOが預かり、AtoZにもブッキングしたから、ここで私は接触を持った。何度も瑞江にあるAtoZに練習に来ては寮に泊まっていくこともあった。道場で作ったちゃんこ鍋も美味しそうに食べていたものだ。
スタンピード・キッドのフィアンセとか言っていたが、とにかくよくしゃべった。それも、時間をかけてじっくり話をするタイプだから、同時期に来日中のセーラ・デル・レイは話し相手の一人。「もう話し込んだら長いし、いつも同じ話ばかりで嫌になってしまう…」とこぼしていたが、それでもナッティはマイペースでお得意のハート一家の話をしていた。
1度道場マッチで二人のシングルを組んだが、ガイコク人同士の対戦は正直言ってあまり関心がないとわかっていたが、二人のチェーン・レスリングだけは見せたかった。5分間、まったく途切れず次から次へ、手を取り、足を取ってアメリカン・スタイルのレスリングを堪能させてくれた。最初は静まり返っていた観客も、終いには二人の攻防を食い入るように見ていたのである。
その後は新間氏の『IWGP』に参戦。帰国して私宛にナッティからの封書が届いたが、中身は自身のサイン入りポートレート、スタンピード・キッド、ハーリー・スミスと並んだサイン入りポートレート、それにブレッド・ハートのサイン入りポートレート。いずれもRossyという私の名前が入っていた。またお祖父さんにあたるスチュ・ハートの自叙伝「Lord of Ring」も送ってきた。その後はWWE入りし、ハーリー・スミス&テディ・ハートと新ハート・ファンウデーションを結成。これから真のメジャーリーガーになる番だ。
かつてWWF時代にブレッド・ハートと“ハート・ファウンデーション”として大活躍し、タッグの名手の名をほしいままにしたジム・ナイドハートの愛娘。幼い頃からプロレス一家として育ったため、自然のうちにプロレスと親しんだ。
日本には05年3月にWAPの招聘により初来日。剛竜馬がブッカーを行なっていたが、ナッティはナディア・ハートと名前を縮小されてのリングネームとなった。これはあくまで日本用で、その身柄はNEOが預かり、AtoZにもブッキングしたから、ここで私は接触を持った。何度も瑞江にあるAtoZに練習に来ては寮に泊まっていくこともあった。道場で作ったちゃんこ鍋も美味しそうに食べていたものだ。
スタンピード・キッドのフィアンセとか言っていたが、とにかくよくしゃべった。それも、時間をかけてじっくり話をするタイプだから、同時期に来日中のセーラ・デル・レイは話し相手の一人。「もう話し込んだら長いし、いつも同じ話ばかりで嫌になってしまう…」とこぼしていたが、それでもナッティはマイペースでお得意のハート一家の話をしていた。
1度道場マッチで二人のシングルを組んだが、ガイコク人同士の対戦は正直言ってあまり関心がないとわかっていたが、二人のチェーン・レスリングだけは見せたかった。5分間、まったく途切れず次から次へ、手を取り、足を取ってアメリカン・スタイルのレスリングを堪能させてくれた。最初は静まり返っていた観客も、終いには二人の攻防を食い入るように見ていたのである。
その後は新間氏の『IWGP』に参戦。帰国して私宛にナッティからの封書が届いたが、中身は自身のサイン入りポートレート、スタンピード・キッド、ハーリー・スミスと並んだサイン入りポートレート、それにブレッド・ハートのサイン入りポートレート。いずれもRossyという私の名前が入っていた。またお祖父さんにあたるスチュ・ハートの自叙伝「Lord of Ring」も送ってきた。その後はWWE入りし、ハーリー・スミス&テディ・ハートと新ハート・ファンウデーションを結成。これから真のメジャーリーガーになる番だ。