週プロの顧問だった宍倉氏の送別会に顔を出しました。彼とはかれこれもう33年を超える長い長い友人関係。仕事で初めて会ったのが1979年10月、全女の川崎球場大会だった。確か、ゴング誌でウオーリー山口がファビュラス・ムーラにインタビューした真新しい雑誌を、わざわざ持ってきてくれたのだ。思えば、そこがきっかけで女子プロレスの世界にめぐり合わせてしまったのだと思う。私の新人時代、恵比寿のアパートによく泊りに来てはプロレスを延々と語ったものだ。デラックス・プロレスではどうやって女子プロレス(当時は全女の1団体時代)を取り上げてもらえるか、苦心をしたものだ。そうやって草の根運動じゃないけど、2人が共闘を結んで1ページずつ誌面を増やしていた時期もあった。クラッシュ・ギャルズ時代は先頭になって専門誌に女子プロレスを掲載させる作業をしてくれた。それがあって今があると言っても、けして過言ではない。どのジャンルにも先駆者はいるもので、女子プロレスを広めた功績は計り知れない。同世代だけに時には衝突もしたが、それはどこかで気になる存在だったからだと思う。
彼は真っ直ぐな性格で物事の白黒を付けなきゃすまないタイプ。私は全女イズム、松永会長の遺伝子がどこかにあるから何か揉め事があったら、グレーにしてあやふやに解決する習性がある。だから性格は真逆なのかもしれない。「もうプロレスの仕事はしない!」と挨拶で言い切っていたが、もう鎧を脱いだのだからそんなに肩肘を張らなくてもいいのではないか。これからは、好きなプロレスを大いに楽しんでもらいたい。まだまだ老け込む年齢でもないし、これからはある意味で苦しいプロレス稼業から解放されたのだから、第2の人生を謳歌してもらいたい。今度、スターダムの会場に来れば、また何か違う面白さを味わえるんじゃないかと手前味噌なメッセージを贈りたい。どうぞお待ちしています!