“プロレス・バカ”のキャッチフレーズでお馴染みの剛竜馬選手が肝硬変で亡くなったという。享年53歳だった。私とは同世代だが残念ながら面識が無かったが、剛竜馬という選手は独自のプロレス人生を歩んでいたと認識している。国際プロレスの生え抜きとしてデビューし、海外遠征から凱旋帰国した試合は目撃したが、切れ味のいいサイド・スープレックスを披露。未来のエース候補とされたが…いち早く離脱し新日本プロレスの藤波辰巳に挑戦し、見事にWWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得した。ここに掲載した写真はその当時のものだが、これが剛竜馬史上、最大の栄光だったと思う。
いろいろ団体を渡り歩き、自らオリエンタル・プロレスを興し90年代には“プロレス・バカ”の名前を頂戴し、プチ・ブレーク。何しろ週プロが剛個人のビデオを出したほど、ファンから面白がられたのだ。よくプロレス・バカという表現があるが、例えば長与千種なんかもそう呼ばれていた。だが剛の場合は、紙一重の魅力というか、これは週プロが創り上げたキャラクターでもあった。そのオリプロから追い出された後は、何度も団体を作っては消えていった。
昨年12月の昭和プロレスにバトルロイヤルに出場していたが、往年の切れはなく動いているのがやっとの体調だった。波乱万丈の人生を歩んだ剛竜馬は、大仁田厚と共にインディーを日本に寝根付かせた功労者だった。合掌。
いろいろ団体を渡り歩き、自らオリエンタル・プロレスを興し90年代には“プロレス・バカ”の名前を頂戴し、プチ・ブレーク。何しろ週プロが剛個人のビデオを出したほど、ファンから面白がられたのだ。よくプロレス・バカという表現があるが、例えば長与千種なんかもそう呼ばれていた。だが剛の場合は、紙一重の魅力というか、これは週プロが創り上げたキャラクターでもあった。そのオリプロから追い出された後は、何度も団体を作っては消えていった。
昨年12月の昭和プロレスにバトルロイヤルに出場していたが、往年の切れはなく動いているのがやっとの体調だった。波乱万丈の人生を歩んだ剛竜馬は、大仁田厚と共にインディーを日本に寝根付かせた功労者だった。合掌。