ご存知、帝王バーン・ガニアに次き長期間に渡って、AWA世界王座を保持した実力者。「相手がジルバで踊るならジルバで、ワルツを踊るならワルツで」という名台詞を残し、わかりやすく言えばリック・フレアーのような守りの試合巧者だった。金髪をなびかせたダーティー・ファイト、得意技は足4の字固めとフレアーの先人的な存在。ただフレアー以上にプロの妙技を見せつけ、負けそうで負けないプロレスの達人であった。ジャンボ鶴田がこのニックに勝って、日本人初のAWA世界王者に君臨したが、それだけ日本に近いレスラーでもあった。
レスラーを引退後は、各団体からコミッショナーのような役割を与えられたが…当時のブッカーだった茨城氏(後のW★ING代表)と親しく、全女が横浜アリーナに初進出した1989年5月に、特別レフェリーで来日。ライオネス飛鳥vsメドゥーサ戦を裁いているのだ。リングを降りれば、ジェントルマンとして最もマスコミに好まれた。
レスラーを引退後は、各団体からコミッショナーのような役割を与えられたが…当時のブッカーだった茨城氏(後のW★ING代表)と親しく、全女が横浜アリーナに初進出した1989年5月に、特別レフェリーで来日。ライオネス飛鳥vsメドゥーサ戦を裁いているのだ。リングを降りれば、ジェントルマンとして最もマスコミに好まれた。