”殺人獣医”と称されたビル・ミラーは、1950年代から70年代にかけて活躍した大物レスラーだった。マッチョ系ではないそのナチュラルなパワー・ファイトは、ドン・レオ・ジョナサンと双璧。アルゼンチン・バックブリーカー、ネック・ハンギング、ジャイアント・スゥイングを自由自在に使いこなした。ミズターXの別名ではあの力道山も苦しめ、カール・ゴッチと徒党を組みグレート・アントニオやバディ・ロジャースを控室で殴打した事件の中心人物だった。まさに筋金入りに実力者だが、裏番長みたいな存在だったのだ。
私が印象に残っているシーンは昭和43年1月、インタータッグ戦でアントニオ猪木がコブラツイストを掛け、その勢いでミラーのマスクを剥いでしまった場面だ。この時はビル・ミラーの名で覆面を被っていた。マスクマンで例えるなら、マスクド・スーパースターがよく似たタイプ。
サインには、ドクター・ビッグ・ビル・ミラーと書かれている。これは全日本プロレスに来日した時に貰ったが、国際プロレスに来日した昭和47年の「サマー・ビッグ・シリーズ」の千葉大会では何しろ、サインを貰うファンが私、ひとりしかいないから、どの選手も気さくにしてくれた。ミラーは貫禄たっぷりで優しい紳士だったと記憶する。
私が印象に残っているシーンは昭和43年1月、インタータッグ戦でアントニオ猪木がコブラツイストを掛け、その勢いでミラーのマスクを剥いでしまった場面だ。この時はビル・ミラーの名で覆面を被っていた。マスクマンで例えるなら、マスクド・スーパースターがよく似たタイプ。
サインには、ドクター・ビッグ・ビル・ミラーと書かれている。これは全日本プロレスに来日した時に貰ったが、国際プロレスに来日した昭和47年の「サマー・ビッグ・シリーズ」の千葉大会では何しろ、サインを貰うファンが私、ひとりしかいないから、どの選手も気さくにしてくれた。ミラーは貫禄たっぷりで優しい紳士だったと記憶する。