松永会長が亡くなった。享年73歳。波瀾万丈だった人生の幕を閉じたのだ。私にとって会長は、この世界の教師であり、また反面教師、そして親のような存在だった。私は20歳で全女に入ったが、駆け出し社員の意見を、会長はいつも聞いてくれていた。入ったばかりの頃は、よく一緒にサウナに連れていってくれ、私の一方的な話しを嫌な顔をせず頷いていた。いきなりトップと裸の付き合いが出来たのも全女らしいところだ。我々フロントにとって、選手よりも松永兄弟といかに向き合うかがテーマだった。
会長はプロレス的に走る私によくこう言った。「お前はマニアかもしれないけれど、興行は初めて見る人を対象に考えなきゃいけないんだ…」と。またクラッシュ時代、よく千種や飛鳥と揉めていると見てみないふりをして適当な対処をしてくれた。この適当さ、どうにかなるという精神を私はどこかで受け継いだと思っている。思い出話は尽きない。
夕刻に松永正嗣君から連絡をもらい、訃報のリリースをマスコミに流すよう頼まれた。密葬のため、終わってからのリリースという話しがあったが、午後7時頃になり、やっぱり流してほしいと言われた。マスクド・スーパースターと最後の時を過ごすため、あいにく外出したが、慌てて携帯メールで各社に送ったのだ。全女の広報だった私の、最後の奉公だと感じこの任務を遂行したのだ。全女=松永会長、これが認識だったから、私の中での全女は終わりを告げたと言ってもいいだろう。とにかく、会長がいなかったら、この世界に入っていなかったかもしれないし、その意味では大恩人だった。会長、ご苦労様でした。これまでの無礼をお許し下さい。そしてゆっくり休んでください。合掌。
会長はプロレス的に走る私によくこう言った。「お前はマニアかもしれないけれど、興行は初めて見る人を対象に考えなきゃいけないんだ…」と。またクラッシュ時代、よく千種や飛鳥と揉めていると見てみないふりをして適当な対処をしてくれた。この適当さ、どうにかなるという精神を私はどこかで受け継いだと思っている。思い出話は尽きない。
夕刻に松永正嗣君から連絡をもらい、訃報のリリースをマスコミに流すよう頼まれた。密葬のため、終わってからのリリースという話しがあったが、午後7時頃になり、やっぱり流してほしいと言われた。マスクド・スーパースターと最後の時を過ごすため、あいにく外出したが、慌てて携帯メールで各社に送ったのだ。全女の広報だった私の、最後の奉公だと感じこの任務を遂行したのだ。全女=松永会長、これが認識だったから、私の中での全女は終わりを告げたと言ってもいいだろう。とにかく、会長がいなかったら、この世界に入っていなかったかもしれないし、その意味では大恩人だった。会長、ご苦労様でした。これまでの無礼をお許し下さい。そしてゆっくり休んでください。合掌。
今年の1月4日の堀田選手の自主興行でした。
Hikaru選手が結婚する知らせを聞いた時は嬉しそうな表情で、
「Hikaru選手の花嫁姿を見るのが、楽しみだよ」と言ってました。
突然の訃報はショックです。
ご冥福をお祈りします。