ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

全女ドリーム

2009年07月13日 09時14分47秒 | ROSSY's EYE
  このブログで松永会長の訃報を書いたら、アクセス数が3倍近くになった。すごい影響力だ。全女=松永会長は古き良き時代の、興行師であり的屋みたいな感じだった。そこに理屈は要らない。お金がわんさと儲かって、夢のためにバァ~と使う。会長自身はけして派手な生活を好んでいたわけでなかったが、クルーザーを購入したり、自社ビルを建てたり、秩父の山にネバーランドみたいなログハウスを作ったりした。これぞ全女ドリームである。
 だから選手たちも、それなりに稼ぐことが出来た。ビューティー・ペアの対決の時には、ファイトマネーを1千万も出したり、東京ドームではボーナス並みのギャラを弾んでいた。全女の経営は37年間、アップダウンが激しかったが、いつも一山当てるという山っ気を持っていた。おおよそ約20年は独占市場だったし、98年以降の多団体時代まで、全体の70パーセントをシェアしていた。おおらかな時代に全女は生きてきたのだ。
  小さな街での野外興行から、東京ドームまで、そこに空き地があるなら、どこでも興行を打ってきた。まさにドインディーからメジャーを地でいった。これが全女イズム、会長の逞しさだった。そこで利益率はいいが、大きな収入にもならない焼きそばを一生懸命に販売していた。「こういった細かい利益が大切なんだ」とよく言っていたが、それだけ働き者だったわけだ。泥を飲んでも生き延びる、こんな全女は世の不況をも吹き飛ばしてきたのだ。
 会長のことは幾ら書いても、書ききれない。数年前、神田でおでん屋をやっていて何度かお邪魔したが、物を売ることが生き甲斐で、人生そのものだったのだろう。昨年、全女は幻の40周年だったが、興行を行うプランもあった。いつまでも現場が好きだった会長に、晴れ姿を作ってあげるべきだった。それが唯一、悔いが残ることだ。当初、密葬の予定だったが15日、16日と家族葬が行われることになったという。そこが最後の全女結集になるのだろう…

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしき焼きそばの味 (飛翔)
2009-07-13 18:25:26
ロッシー様、ご無沙汰しております。
岡山の飛翔です。
松永社長(私の中ではずっと社長です。)の訃報記事検束でこのブログを知りました。
ジャガー、デビル、ミミ時代の女子プロ興行は野外が主でしたね。その会場でいつも焼きそばを焼いていた社長。何度か食べさせて貰ったあの味が懐かしいです。女子プロが女子プロとして成り立っていた良き時代でした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
返信する