昨日、元ゴングで現在は週プロで活動する柳原カメラマンから「石川さんが7月中旬に亡くなっていたそうです…」という連絡をもらった。石川さんとは現役最年長の、石川カメラマンのことである。確か75歳を過ぎていたと思うが、つい最近までリングサイドにいたし、とても元気に見えたのだが…身近な人の訃報は正直、声を失った。
石川カメラマンはゴング誌の創成期に活動し、その後はベースボール・マガジン社の月刊プロレス→週刊プロレスと30年以上に渡ってプロレス・カメラマンとしての地位を確立していった。昔、デラックス・プロレスという雑誌が創刊され、ビューティ・ペア時代の女子プロレスを取り上げていたが、それを撮影していたのが石川さんだったのだ。だから元祖、女子プロレス・カメラマンでもある。
私とは20歳以上も歳が離れていたが、石川さんはわからないことがあると、いつも必ず質問してきた。恐縮するばかりだったが、この姿勢が長きに渡って現役を続けてきた秘訣だと思う。また温泉カメラマンとしても、何冊か写真集を出していて、みちのくプロレスを取材しながら、東北各地の秘湯を回るのがライフワークだったのだ。
真夏や真冬は本当に大敵だ。訃報があるたびに、自分自身に言い聞かせるしかない。でもロッシー小川は、まだやり残した仕事がいっぱいあるので、最前線を突っ走りますよ。石川さんにはこの場を通じて心よりお悔やみ申し上げます。
石川カメラマンはゴング誌の創成期に活動し、その後はベースボール・マガジン社の月刊プロレス→週刊プロレスと30年以上に渡ってプロレス・カメラマンとしての地位を確立していった。昔、デラックス・プロレスという雑誌が創刊され、ビューティ・ペア時代の女子プロレスを取り上げていたが、それを撮影していたのが石川さんだったのだ。だから元祖、女子プロレス・カメラマンでもある。
私とは20歳以上も歳が離れていたが、石川さんはわからないことがあると、いつも必ず質問してきた。恐縮するばかりだったが、この姿勢が長きに渡って現役を続けてきた秘訣だと思う。また温泉カメラマンとしても、何冊か写真集を出していて、みちのくプロレスを取材しながら、東北各地の秘湯を回るのがライフワークだったのだ。
真夏や真冬は本当に大敵だ。訃報があるたびに、自分自身に言い聞かせるしかない。でもロッシー小川は、まだやり残した仕事がいっぱいあるので、最前線を突っ走りますよ。石川さんにはこの場を通じて心よりお悔やみ申し上げます。