昭和49年8月…長州力がデビュー戦でエル・グレコを破った必殺技が、その代名詞となった。それがスコーピオン・デスロックことサソリ固めである。本来ならこの技はもっと早く普及するはずだったが、長州が2度目の海外遠征で持ち帰ったのはリバース・チキンウイングの方だった。この技は後に、ポイズン澤田JULIEがキャトルミューティレーションの名称で得意技にしているが。
サソリ固めがポピュラーになったのは、やはり藤波との名勝負数え歌を築いた頃だろう。藤波は長州の必殺技を逆使用したところから、「掟破りの逆サソリ!」と古館アナから絶叫された。足をフックさせた瞬間が第一の見所。それから半回転し、締め上げる。長州のなびく長髪が技の荒々しさを象徴していたのだ。
女子では長与千種が登用し、これがクラッシュ・ギャルズ結成のきっかけにもなったのだ。この時代、千種は長州のサソリと前田日明のニールキックをパクッたのだ。また長州のヘアスタイルも千種は真似をした。
海外ではスティングがこの技を有名にし、ブレット・ハートがシャープシューターの名前で自分のものにさせた。ショーン・マイケルズが、ブレットに仕掛けた際、レフェリーが一方的にギブアップ裁定をした「モントリオール事件」は、今も尾を引く20世紀末のプロレス史。
サソリ固めがポピュラーになったのは、やはり藤波との名勝負数え歌を築いた頃だろう。藤波は長州の必殺技を逆使用したところから、「掟破りの逆サソリ!」と古館アナから絶叫された。足をフックさせた瞬間が第一の見所。それから半回転し、締め上げる。長州のなびく長髪が技の荒々しさを象徴していたのだ。
女子では長与千種が登用し、これがクラッシュ・ギャルズ結成のきっかけにもなったのだ。この時代、千種は長州のサソリと前田日明のニールキックをパクッたのだ。また長州のヘアスタイルも千種は真似をした。
海外ではスティングがこの技を有名にし、ブレット・ハートがシャープシューターの名前で自分のものにさせた。ショーン・マイケルズが、ブレットに仕掛けた際、レフェリーが一方的にギブアップ裁定をした「モントリオール事件」は、今も尾を引く20世紀末のプロレス史。