ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

武蔵小山

2010年06月03日 14時41分49秒 | 女子プロレス
 某選手を取材するため武蔵小山にやって来た。かつては目黒に全女の事務所があったため、そこからほど近い武蔵小山に住んでいた女子レスラーは実に多かった。いわゆる女子プロレス・タウンである。私にとって武蔵小山は全女の直営店だった「ラ・セーヌ」というスナックが思い出されるのだ。店を新装開店したのが昭和54年の暮れだった。当時のスター選手だった赤城マリ子が夏に引退し、レフェリー&コーチの巴ゆき子さんと二枚看板で店をスタートさせたのだ。いわゆるママというやつだ。 
 この「ラ・セーヌ」を開店してから、松永兄弟(主に後の会長)の夜遊びは瞬く間に終わったのである。それまでは特に酒が好きではなかったが、松永会長は社員を連れて目黒駅前にあるキャバレー「ニュー高石」に通う日々であった。この時代のキャバレーはステージで演奏があったり、フロアでチークダンスを踊ったりする夜の社交場。全女は地方巡業が多く、長い時は50~60日なんてのはザラで大半が売り興行。だから松永会長は事務所に残っているスタッフを頻繁に連れてキャバレー三昧をさせていたのだ。20歳で全女に入社した私はいきなりキャバレー・デビューを果たしたが、ホステスはすべて年上ばかり。全員が熟女に見えたものだ。週に2~3回のキャバレー通いは若者にとっては刺激的。ところが武蔵小山に店を始めた途端、キャバレー遊びは終わったのだ。もちろん一人で行けるようなリーズナブルな店ではない。だから半端な若僧にとって憎き武蔵小山だったのだ。したがって「ラ・セーヌ」はよほどの集まり無い限りは絶対に行かなかった。全く臍曲がりな社員だったのだ。 今、武蔵小山は女子プロ系の店が多い。井上京子、立野&ハーレー、みなみ鈴香(焼肉店)、影かほるといった面々が夜の世界に生きている。私にとって武蔵小山は、今住んでいる場所からはちょっと遠い街。取材でもなければ、縁遠くなったのだ。そういえば全女のあった柳通りは、周辺にジョー樋口、長州力が住んでいたため、通称プロレス通りと呼ばれていた時代があった。ああ懐かしい…

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