旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

メルケルさん引退

2022-02-05 16:43:05 | 日記
「緊急時に人に優しくした事で謝らなければならないのなら、ここは私の国では在りません。」メルケルさんが難民への支援に非難を受けた事への言葉。
ドイツは良いリーダーを選んだ。

振り返り日本での技能実習生制度、誰のための制度か
実習生のための制度では無いだろう。実習生は恨み辛みを持って国に帰っているのでは無かろうか。
これらの事は伝えられ、何十年か後何百年か後、日本の子供達が彼らの搾取に会っていない事を誰が約束できるのか。

映画「MINAMATA」に行きました。

2021-11-10 17:53:58 | 日記
 若い頃、公害として四日市喘息などと共に知っていました。当時は産業育成がお国の優先事項だったから工場の煙で昼間でも車はライトをつけて走っていた。
写真が好きでキャパや沢田の写真集を持っていました。あれから50年、昨年だったかスミスの本の事で私の古い本にはあるが新しい本には有名な「母と子の入浴」が掲載されていないことを知りました。今回の映画では、終わり頃にこの情景も出て来ました。あの写真のインパクトはとても強い。
良い映画を見ました。


 知り合いに荒畑寒村を尊敬する人が居てよく話をされていたので興味を持ち足尾銅山の鉱毒公害と田中正造の運動を知りました。渡良瀬川渓谷鉄道に乗り日光の方に向かうとはげ山に植林が行われていました。
水俣では未だに公害病と認められない人達がいるとのこと。広島の黒い雨訴訟とかまだまだ救われない人達が居る。
何時か水俣へ行ってみたい。



映画「護られなかった者たちへ」を見に行きました。

2021-11-09 21:33:45 | 日記
 原作は早々に犯人がある程度推定できた、映画は原作と異なっていたが見応えのある社会性の作品になっていた。疑似家族が壊れていった様は「万引き家族」にもあった。万引きは最後救いがなかったが、この映画は阿部寛がお礼を言う場面で救われる。
 

シングルマザーや自死のことも作品内に入れられ、児童養護施設もあった。今年まで18歳で支援が終わり出身者の孤独が心配されていた。我が家に来た何人かの子供達はと思って・・・・、来年からは22歳まで支援が続くと聞いて日本も少しづつ優しくなっているのかと思った。
良い映画でした。



図書館で借りてきた本4冊 今月末まで。

2021-03-16 14:25:26 | 日記
 コロナ騒ぎで行くところも無く本が頼りの毎日。


 ・日本の中世を歩く遺跡を訪ね、史料を読む 著者: 五味文彦
 ・民家・町並み探訪辞典 吉田桂二 著
コロナが明けたら何処へ行かんと今から興味深いところをと。
・「日本の中世を歩く」は伊予に関係の深い一遍さんと岩屋寺の事らしい。岩屋寺はまだ行った事がない。いつかは一遍聖絵の陸奥江刺にも行ってみたいと思っている。
・「民家・町並み探訪辞典」表紙のスケッチを見て借りた。歴史を感じるまた人との生きた証の町並みを見てみたいと思った。描かれたスケッチのような細かなのは書けないが。旅とスケッチと紀行文は真澄の様で素敵だ、真似がしたいと思った次第。

 ・幕末鼓笛隊 土着化する西洋音楽 奥中康人 著
京都の時代祭の先頭を行く山国隊、あの足を上げて行進する様と制服の色からひょっとして軍事を教える御雇い外国人はプロイセンの人だったのかなと思ったりした。さて、どうなんでしょう?
先年山国隊の故郷の近くへ行った。いつかは記事に書かれているお祭りを見てみたい。

 ・歴史探偵団が行く 日本史が楽しい 半藤一利 著
尊敬する江戸っ子半藤さんの著書。歴史や文学に造詣が深く亡くなられた。「其角俳句と江戸の春」を読んだ事がある。「昭和史」は新品のまま本棚に。今回は連句の対談が記事になっている。今連句が見直され盛んになりつつある。お仲間と座を囲んで出来たら良いなと思っている、そのヒントになればと思い借りてきた。

興味深い4冊、如何なるヒントを与えてくれるか楽しみ。


映画「アウステルリッツ」と次の期待映画

2021-03-10 16:53:24 | 日記
 アウステルリッツと言えばナポレオン戦争と反射的にイメージされているが、この映画はベルリンの近くの「ザクセンハウゼン強制収容所跡」を訪れる観光客の映像。淡々と見学をしている人達の映像が続き、ツアーガイドの様々な言語で語られる説明がテロップに表示され、収容所の歴史や事柄が分かるようになっている。
珍しいドキュメンタリー。


KZのドキュメントは「ショアー」と言うのがあった、長い映画で映画館で見ている人は数人だったがインタビュー中心の印象に残るものだった。

ン十年前に行ったダッハウやベルゲンベルゼンの自分自身ではないかと思ったりする。
映画名の「アウステルリッツ」は出てこなかった。映画の元になる本の人物らしい。
 
予告編で興味深い予告映像を見た
尼崎の在宅医師長尾先生のドキュメンタリーと「痛くない死に方」。昨年までの数年間ボランティアでお手伝いしていた尊厳死協会でよく聞いた内容かと思う、見てみたい。



東日本大震災から10年 祈る気持ちで11年前の「田老の写真」

2021-03-08 22:27:14 | 日記
60年も前に初めて記念切手を買いました。北山崎の絵柄の5円切手でした。あの頃子ども達に切手収集のブームがありました。
そして何時かこの場所へ行こうと思っていました。
また、近くに万里の長城のような堤防があるところがある。とも聞き及んでいました。


吉村昭さんの本を読み、2010年7月に夢を叶えたく行きました。3.11の一年前です。
郡山からバスで宮古、三陸鉄道で田老そして田野畑と行きました。
田老駅から降りてまっすぐ港へ向かいました。


噂に聞いたデカい堤防がありました。

登った所

堤防に描かれていた絵

港まで歩きました。



もうこれらの映像は過去のものとなりました。

帰り道が分からなくなり駅への道を尋ねました。その方は無事に過ごされているのでしょうか。無事なら良いのですが。
宮古の駅で切符を売っている方がとても親切でした、その方もご無事だったのでしょうか。三陸鉄道が全通したと聞きました。良かった、また出来たら乗ってみたい行ってみたいと思います。

テレビでは10年という事もあり記念の番組が放映されています。
旅のあと気仙沼や山田町の人と知り合いになりました。皆さんコロナに負けんと頑張って欲しいと思います。


庚申庵での講座、蝋梅が咲いて

2021-01-25 11:34:13 | 日記
お庭には蝋梅が咲いていて良い香りがありました。

 講座は興味深い内容が多く、どれも参加したかったのですがこのコロナ騒ぎで、今回の「予章記を読む」が最初になりました。また、ニンターネットを使った遠隔講座も初めてです。

この近く魚町4丁目で生まれたとか戸籍に書いていたが、最早知っている人も町の名前も無くなった。

 講座では、三つ子が出来て不吉だから海へ流し、河野さんのご先祖が助かって活躍する。世界中にある貴種流離譚の一つかな。
予章記も太平記と同じ時代の記述があり名和氏や児島氏の名前が出る、伯備線だったか姫新線だったかに名和の駅名があったような。また、昨年津山の院庄館跡に児島高徳の跡を訪ねた。

 庚申庵では渡部章正さんの写真集を頂きました。懐かしい写真がありましたので紹介です。

道後温泉の正面左側、今はすっかり変わっている。

懐かしい、正面入っ処の受付?。今もこのままかな。


「ネオン坂」と呼ばれていたらしい。松が枝町。
昭和33年の売春防止法施行にいたるまで遊廓があったところ。坂道を登っていくと時宗・踊り念仏「一遍さん」の「宝厳寺」があります。



二神島 2020年12月

2020-12-12 20:35:42 | 日記
 港の待合室の道向かい側の安養寺の裏山にある、二神家累代の墓は先年神奈川大学常民文化研究所により調査整備が行われました。
その後、猪に荒らされているとの情報があり心配していました。
猪が掘り返すのと人の手が入らないことにより自然に帰ってきている。

 多くの二神さん達のご先祖様家種の家形廟、



 画家、二神司朗さんのパレットのお墓

 お墓の現状
 



今回は港から右へ(北西側)を目指してみたいと思います。

左が屋代島、右の島が情島、その手前が諸島、全て(山口県)
情島は、60年前「怒りの孤島」と言う映画があり学校から行った。映画を見た人は児童虐待とか人身売買・奴隷労働と取るだろう。
民俗学者の宮本常一の書いたものを読むと、楫子とこの地域の歴史的な流れがつかめるのと終戦後の時代の荒廃した事情がよく分かる。
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学校推薦映画だった「怒りの孤島」がゾンビの如く、愛媛新聞の記事

情島の「楫子事件」。狭い世界に生きてきた島民、人慣れした孤児、人権を押し立てた都会人
貴方はどちらの立場をとりますか?、興味のある方は
https://www.l.yamaguchi-pu.ac.jp/archives/2009/socialwelfare/s04.pdf
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波に反射する光でシルエットになった由利島。

小石の浜と言われているあられが浜と妙見山

猪対策、人間が檻に入っているようです。



宇佐八幡の入り口。

 
海の青、蜜柑の緑の中の丸い黄色、そして色づいた木々。良いときに行った。



伊予和気駅 加齢夫婦のチョイ旅

2020-10-25 17:09:00 | 日記
かわいいJR伊予和気駅、隣のレストランでお好み焼きを食べました。


近くの「円明寺」四国八十八カ所参り第53番札所




近くの民家



乗り場へ出てみるとかわいいデザインそのまま、また線路がたくさんあり在りし日の駅の賑わいが思われる。


左に出て居る枝線は何処と結んでいたのだろうか?


松山発の特急が来ました、間もなく松山行き各駅車両の出発です。ここからも左への枝線が見える。


近所に新しくできた高齢者施設、梅本の里「いつもの」内覧会

2020-10-22 16:44:22 | 日記
https://www.facebook.com/shigenori.futagami/posts/3453016541450423

以前「終活の会」でお話し頂いた「ごちゃ混ぜ福祉」のスタートです。モデルは金沢にあるとか。高齢者も子供も障害者もそして近所の人も一緒になって活動する場を目指した取り組みです。面白い良い事業だと。何かお手伝いできればと思いました。

入り口から見たところ、奥がデイケア。手前が一般・近所の人向けのレストラン

左側は一般向けレストランのカウンター席と奥がテーブル席、写真に写っていないが近所の子供用コーナー。

広くて明るいデイケアの部屋


二階は、特養ホームとショートステイ・事務所従業員用ルームなど
個室


全体に、広い出入り口があちこちあり逃げやすい印象。部屋や風呂トイレも大きな引き戸でノーマライゼーションを考えた作りになっていました。

終戦から75年、幼い頃の道を歩いてみました。

2020-09-12 21:44:03 | 日記
 テレビでは終戦の8月15日が75年目で戦争のドキュメンタリーの番組が続きます。1944年生まれの私には戦争の思い出はありません。しかし、裏山の頂には高射機関砲の大きな穴がありました。松の木にはヤニを集めるための傷が白く残っていました。2件の棟割りの社宅の壁には腕が入るほどの穴が空いていて、グラマンの機銃掃射の跡だと聞きました。
 戦後の貧しい時代の思い出はあります。ラジオでは時計台の歌や尋ね人の時間がありました。

 昨年、昔住んでいたあたりを歩いてみました。道や建物は思いのほか小さく感じました。隣の村に行く細い道を歩いていると昔出会った母娘のことを思い出しました。
当時は金属を集めたら子供にも小遣いになり錆びた釘などを集めました。廃品回収業という業もありました。その日私は電線の様な鉄の棒を持っていたと思います。同じ道を向かい側から古いリヤカーだったか壊れた乳母車だったかを引いた私と変わらない歳の女の子を伴っている母親の汚れた二人連れとすれ違いました。「その針金もらえんかね」と聞いたような気がしますが渡しませんでした。

 潮見鮮一郎氏の「戦後の貧民」にある、戦争未亡人の今で言うシングルマザーだったのだろうか、あの時の娘さん今は70歳くらいかな、その後どの様な人生を送られたのだろうかとその低い竹藪の細い道を歩きながら思いました。

 市内の公園や駅に行きますと、ホームレス対策で横になれないように出っ張りを付けたベンチを見ます。悲しいですね、日本はそんな心貧しい国になったのですね。


老人の戯言 「安楽死」

2020-09-06 18:36:26 | 日記
 私は後期高齢者です。先日医療費を100万円以上使った治療をして頂きました。ま、若い頃大層な健康保険料を払っているので後数回は大枚使っても大丈夫と自分自身では納得している。
残された時間に何か出来ることはないかと探していている、何れ見つかるだろうと思っている。

 この先の不安は、脳血管障害で救命治療を受けたが寝たきりになり、気管切開や胃瘻などの延命治療を受けて植物状態に至る。そうなれば自分で治療を止めて欲しいと言うことも外すことも出来ない。回復不可能と分かった時点であの世へ行かせて欲しいと遺言や終活ノートに書いて装置を外す希望が叶えられたら、外した誰かを殺人者にさせてしまう可能性がある。
 希望を叶えてもらった人を犯罪者にはできない。

仕事現役時代(製薬会社営業)に老人病院のベッドで意識は無く口を開て手足は変形して硬直し腰の辺りに大きな褥瘡をした病人を何人も見た。回復する可能性があればまだ良いが息をしているだけのあの様な状態を続けるのは人として残酷だと思った。見込みがなくなった時点で自然死の方向に舵を切って欲しい。
また、認知症も心配だ、自分という自覚のない生き物になっておむつを替えてもらいながら生き続ける恐怖がある。

安楽死は70%以上の人が賛成しているらしいが一部の人が反対している。もちろん生きたいと思っている人を殺すのは人殺しだ。

安楽死に反対している人には、私は生きたい・どんなことをしても生き抜きたいと希望を示せば生きていける法制度を目指すべきではなかろうか。

安楽死の法制度に反対するよりも先にそちらの法整備を目指すべきだと思う。


それぞれの正義 連句しながら感じた事

2020-08-22 13:26:11 | 日記
 アメリカの大統領選挙の報道が盛んになってきました。他の国の事ながらアメリカは憎しみで分断された今でなく、私どもが若い頃憧れた他の国の見本になるような民主主義の国に戻って欲しいと思います。
一方日本は最近世間が狭くなり住み難くくなっていて。50年も前の誰もが貧乏だった時代が優しかったかと聞きますが、あの頃はあの頃で悲惨であったと子供ながらに見知っています。


 ここ3年くらい連句を始めています。数人で575の句を作ると次の人が前の句の世界を想像し77と付けて行き、次の次の人が再び575と付けて、それをいくつか続けてゆく遊びです。中世は俳諧と言って人の集まるところではよく行われていたらしい。それを文芸化したのが芭蕉や蕪村・一茶といった人達です。様々な取り決めや縛りがありますが基本的には句を重ねるごとに新しい世界を想像・創造することです。

 前の句をどの様に想像するかは人様々で、作られた句はその人らしさが出ます。それを尊重しその次の人は前の人の句からその場や人を想像し新しい句に仕上げます。俳諧(連句)の場では参加している人達の人となりを知る機会になり、自分を知ってもらう機会になります。
参加している人達は前の人の句を想像し付けてゆき「その様に見ましたか」とか「如何にも貴方らしいとか」と商売仲間だったりご近所だったり、それぞれの人となりを知る事により信頼を深めていたのでしょう。また新しい仲間との信頼・知るための手段だったのかもと思います。

 人の距離が遠くなった現在、人との関係を築くのが難しい人が多くなりました。前の人の考えを想像して作る連句はこの難しいバラバラの社会を少し距離を短くしてゆけるのかもと想像しています。
人はそれぞれ様々な理由で違っています。だから想像するものも違います。互いがそれを知り尊重し合うことが基本かと思います。

言い換えれば人それぞれにそれぞれの正義を持っている事を知る。本邦に1億あまりの正義があり、世界には40億あまり、それよりも自分が知らない世界はもっと広いと。思っています。

7月末入院に持って行った本5冊

2020-08-06 13:46:06 | 日記
 1週間から2週間の入院と言うことで時間がたっぷりと出来たと思い、俳句と湊や街道に興味を持ったところでもあり「遊女・豊田屋歌川・北前船で栄えた三国湊の女流俳人」と以前からの旅の友「新古今和歌集」、丁度娘から「デフ・ヴォイス(丸山正樹)」「龍の耳を君に(丸山正樹)」「アウシュビッツのタトウ-係」が送られてきました。


 入院生活でゆっくり出来たのは入院日と退院までの数日間。手術当日と翌日はとても。結局1週間の入院生活でした。

 「遊女・豊田屋歌川」は 梅が香やその一筋の道ゆかし などしっとりとした句を作った人で興味がありました。また船の往来と湊町になにか心に誘うものがあります。本は、主に北国福井県の湊町三国と北前船の紹介がメインで、歌川の紹介と言ったところ。歌川なかなか素敵な句がありました。吉原高尾太夫や浪速の狂歌の遊女などもう少し知りたく思いました。

 数年前まで障害者就労の現場で働いていました。県の事業体との共同で難聴児の訓練器の開発をしたことがあります。その折りに耳が聞こえない人達のことを知る機会になりました。様々な手話の事や、口の動きで判断し発音訓練をする、などを聞き及びました。視聴覚センターで見た資料よりも「デフ・ヴォイス」「龍の耳を君に」は、実際にあることのように聴覚障害者の環境が分かりやすい。
病棟の看護師さんがこの本に興味を持たれているようでした。読みやすい本ですと伝えました。

 「アウシュビッツのタトウ-係」はあまり考えなくても読める。技術は助けになるとか人を助けることとか、この手のナチスKZ・強制収容所関係本では「朗読者」が良かった、図書係も読んでみたいかな。灰の記憶は映画かな。テレビでもずっとこの手のナチスのドキュメントが続いている。チョイと目を移し、いま一方的に痛めつけられているパレスチナの100年後の物語が知りたい。「奢れるものは久しからず」諸行無常。見られないのは残念。