コロナ騒ぎで表に出られず、お家の読み残しの本を引っ張り出して。
その中に、「消えたオチョロ船 井伏鱒二」があった。本は30年前の出版だったが、書かれた頃は1950年頃かな。
木江には7年位前に大三島の宗方港から行ったことがある。その折港に「めばる港」の表示があり「ヘェッ」と思った。
その後御手洗港に広島からバスで橋と島をまたぎながら行った。
本では木江の造船所の事が書かれている。木江で止まりたい船員達のたっての希望と陰謀で修理に入るのを面白おかしく書かれている。確かに修理工場の跡が多い。
「木江の古い町並み」と表示がある狭い道を歩いた、木造のそれらしい3階建てそれらしい二階家も散見された。
街中の少し高いところにある金比羅宮で旅の途中らしい若い女性と出会った。竹原から来たと言っていた、女性でもこんな所に興味があるのかと思った。
ネットで見るとメバル港にも数軒それらしいのが残っていると書かれていた。
あれから7年が経ちここ木江のこれらの建物は残っているのかなと思った。歴史保存は武家屋敷やナマコ塀の蔵を持った大金持ちだけでは無いのだが。道後の「朝日桜」も残してもらいたかった。
「御手洗港」の案内にオチョロは御女郎が語源とか書いていた。港の現場に行き、遺跡はきれいなものだけを、見せたいものだけを見せるのではないと思った。
御手洗港の山には娼婦の墓が並んでいた。栗田樗堂の「三弦に我を泣かせよ秋の風」句碑があった。
人口増加のない明治期まで、夫婦が5人の子供を持ち2人は成人までになくなり、成人した一人は家族が持てなかった。安定した生活のない残りの一人は、女であればこの様な場で働くか、男ならこの様な場に来て夢を見るか。
皆が長生きして、独り者が多くなり、多くが貧しく、そんな世の中になりそう。
この様な場所が懐かしく書かれる時代が良かったと言われる世の中になりそう。