旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

八木健の俳句遊遊 CATV録画 2020年5月

2020-05-29 19:30:10 | お仲間たちと
「遠くより誘う切手や杜若」を投句しました、旅に杜若はどうかと思いましたが・・・
うれしい事にお二人に選句頂きました。画期的なり。

 「道着より」と「ハンカチ」と特に「白い靴」の句は、男と女どちらにもとれ、どちらにしても良いが、どちらも面白い。私は「白い靴」を選句しました、女性がお洒落な白い靴を履いてさてさてと思っているところを想像したが、この句の作者はなんと大物の小西さん。
作者は男で作ったとか、小西さんが白い靴を履いて「野郎どもシノギだ」なんてところを想像して一人で笑っている。小西さんゴメンナサイ。



厚生年金、パート加入拡大  (今日のニュースから)

2020-05-29 14:12:24 | 日記
 週20時間以上の労働時間のパート・非正規労働者への厚生年金の加入拡大を目指した年金制度改革関連法が29日の参院本会議で、与党や立憲民主党などの賛成多数により成立した。国民年金だけの人の受給額底上げと、保険料を払う制度の支え手増を図る。とか

 一人の労働者を社会保険にすると最低月に約 15,000円程度の会社負担が増える。折半だから労働者も負担が増える。10万円を切るくらいの給料にこの負担はきつい。
当然、雇用主は週20時間を切るような工夫をする。労働者は社会保険を払わない働き方を求める。
作業は細分化され誰でも何時でも出来る作業になり、仕事に自己実現などは考えられなくなり面白くなくなる。
IT化でこの先働く場が無くなることが予想される中、ますます低賃金の人間が増える。

 日本は社会的な負担を企業と家庭に依存してきた。もう駄目だろう。
社会保険の会社負担を止めて、個人の税金による負担にしたらどうか。

働き出して何年間も年金保険金を負担して、もらう頃は生活保護の方が実入りが良いとか。
最賃で毎日働いた給料よりも、生活保護の方が収入が良い。は
そろそろおかしいと気付くべき。
 年金制度は個人別に最低食える金額を支給する制度にすべきと思うがいかが。

話は変わるけど今回のコロナ給付金は何故世帯主なのか、なぜ個人にしないのか。保守系政治家にはどうしても古臭い家制度を守りたい人が居るらしい。何故?

日本残酷物語 5 近代の暗黒

2020-05-23 23:52:42 | 日記
 コロナで急に時間が出来た、この歳まで働いて来たのだから少し体を休めとの事かと。
今回の本は、昨日までに残すところ30%あるが感想を少し。


 徳川から明治へ、西欧に追いつき追い越せの時代。底辺の人々には過酷な環境があった。
北海道の道と鉄道を作った有名な「タコ部屋」は官製のラゲール(強制収容所)だった、田舎の女の子を使い長時間労働の末肺を病み捨てられた人たちの繊維産業、飢饉の東北の農民は女の子なら間引きをし、育ったら売って糊口をしのぎ、九州の炭坑の閉鎖された囲いの中であまり過酷さに逃げ出したらリンチも。北海儀業のご存じ「蟹工船」。人知れず消された人も多い。

 小作農を組織化する中で政府の弾圧の手足となったのは警察。政府は誰の見方だったのか。世界を相手に戦うまでになった経済は誰の犠牲の上にあったか。お国の為と戦って手足を失った兵たちのその後は?、我々の年代の人間は駅前に立ちアコーデオンを鳴らしていた白い服を着た松葉杖の人たちを知っている。
 残りの30%のページは、朝鮮からの出稼ぎや逃げてきた人たち、そしてもっと底辺の人たちの事が書かれている。

 ほんの100年と少し前、祖父母の父母の時代から父母の時代の事。北海道の血で築いた鉄道は次々廃線に、炭鉱は産業遺産になったが消えた人々の跡は書かれたものから想像するしかない。

今の豊かさが続くと思うのは甘いかも。
宮本常一の文が好きで、周防大島や高知の梼原に行ってみたい。

久しぶりに映画を見ました。「21世紀の資本」

2020-05-21 10:18:20 | 日記

 字幕を追うので精一杯、内容の理解・・?・・
脳の処理速度がついて行けなくなっている。加齢だ。

主な内容、かな
 所得と資産がトップ1%にますます集中している状況を指摘。
 自分の親たちよりも貧しくなる。
 移動距離が短くなり閉鎖的な社会に。

 スターリンの共産主義やファシズムよりは自由な資本主義が良い、が。
少数が富み多数が貧しい行き過ぎた資本主義・自由主義へ進んでいる。

これからの世、
IT化ロボット化により生産性が向上すると、差益の多くは投資者に還元され、働く者の価値は相対的に低下する。
ますます、格差は広がり分断も伴う。良い世の中が来ることは予想できない。

では、
 働かないで得た収入(遺産相続など)には高い課税をして、平等な教育から万人に等しいチャンス。への投資。かな。



阿漕が浦に引く網も度重なれば人もこそ知れ

2020-05-13 10:29:49 | 日記
伊勢の国阿漕が浦に引く網も度重なれば人もこそ知れ
 能の「阿漕」は、「鵜飼」や「善知鳥(うとう)」などの殺生をして地獄に落ちる演目として有名。

阿漕が浦に引く網とは、
 人知れず行う隠し事も度重なれば人に知られてしまうことのたとえ。
 阿漕が浦は、伊勢神宮に奉納する魚のために一般人には禁漁地だった。


  愛媛県「大洲市肱川での鵜飼」の写真

津市にある阿漕が浦に行ってみたい。津の近くの港は三津七湊として古代の港で阿野津と呼ばれ栄えていた。


「善知鳥神社」 青森市
 能の善知鳥は見ていないが演目に興味があり、青森ねぶたを見に訪問した折の写真。

偶然も何度もあればそれは必然
 一つ一つはそれなりに理由がつくが、似たような何かが続くとそれはもう必然。そこには続くそれなりの合理的な理由がある。


人知れず進む事態に、自分とは関係なと思っていたら
 丸山眞男訳、「現代における人間と政治」(1961年)Wikipediaから引用

 ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。

NHK100分で名著「松本清張スペシャル」を見ました。

2020-05-09 20:17:01 | 日記

 方言と言えば、言わずと知れた奥出雲のズーズー弁となるのですが、番組の中で「ほいた」という言葉がありました。アレッと思いました。

 辞書を見ると、乞食・ほいと ほかいひと ほかひ- 【〈乞児〉】祝福する言葉を唱えて家の戸口に立ち,食べ物をもらって歩いた者。乞食のこと。「ほいと」ともいふ。「ほいたう」は陪堂の宋音。もと禅宗にて僧堂の外堂に陪して食を受けし食客僧を称してより起る。〔中国、四国、奥羽、北陸地方の方言〕とあります。

 30年も前に、とある会合で「なまり」の話になり広島の人と「ほいと」が同じ意味であることを知りました。辞書では欲人と書かれていました。五木の子守唄の「かんじん」は勧進で「乞食」を意味する事。勧進聖が門づけとなり乞食と呼ばれるようになった、底辺の聖職者=芸能者の哀しい歴史背景や、また芸能民が被差別民だったと網野さんの著書に見られます、「あん人たちゃ良か衆、良か帯良か着物・・・・

 四国遍路が世界遺産に登録できれば良いなと思います。遍路は遍路道を通り88カ寺をめぐります。ほんの50年位前には「ほいと」と呼ばれた人たちが街をめぐっていました。今からは想像できないくらい貧しい時代でした。その頃その人たちを「へんど」と言っていました。四国遍路にはお接待と言う風習がありますが映画にあったように村々からは追い出される様な事があったのかもしれません。悲しい時代です。
(こじきは地方によりコジキ,モライ,カタイ,ホイト,カンジン,ヘンドなどをはじめ実にさまざまの呼び名がある。コジキの呼び名も元々は仏僧の托鉢を意味する乞食(こつじき)からきている。)

 「砂の器」でハンセン病が描かれなくなっているとかと、どこかで見たことがあります。また、「水俣病」のユージンスミスの画像の一部が使えなくなっています。人知れず消えてゆくものがありますが、それぞれに悲しむ方が居られるのかと想像します。

 決して昔が良いわけではありません、でも今のネットほど簡単に他人を責めることはなかったように思います。


NHKスペシャル 未解決事件 「ロッキード事件」

2020-05-05 17:57:15 | 日記

まもなくゴールデンウイーク?が終わります。先月11日からほぼ1カ月 人生最長のお休みでした。
カレンダーには会った人の名前を書いています。平均 n<1人/day。90%以上の削減です。

その様なわけで毎日本漬けテレビ漬け、昨日は再放送の「ロッキード事件」を見ました。
 25億円の行方がまだ分からない。とか、 あの時も何人かの自死があった。とか
でも、あと何年かしたら、今回のように明るみに出るのではなかろうか。生きている間に知りたいと思うけど無理かな。

そういえば近いところで、隠して出世した人がいたし気の毒に自死した人もいた。
何年かしたらこちらの関係者も名前が出るでしょう。
これも生きている内は無理かな、あの世の楽しみかな。

知りすぎて消された人物は多いこと、本人はどうなんでしょう消される可能性怖くないのかな。
また、子・孫の時代に名が出ると「あんたのご先祖は・・・・」とか言われ可哀そうな事に・・・。

「名こそ惜しけれ」っていう時代もあったし人もいたのに。

読み残しの本を引っ張り出して。「木江港・古い町並み」

2020-05-01 10:53:47 | 
コロナ騒ぎで表に出られず、お家の読み残しの本を引っ張り出して。
その中に、「消えたオチョロ船 井伏鱒二」があった。本は30年前の出版だったが、書かれた頃は1950年頃かな。

木江には7年位前に大三島の宗方港から行ったことがある。その折港に「めばる港」の表示があり「ヘェッ」と思った。
その後御手洗港に広島からバスで橋と島をまたぎながら行った。

本では木江の造船所の事が書かれている。木江で止まりたい船員達のたっての希望と陰謀で修理に入るのを面白おかしく書かれている。確かに修理工場の跡が多い。



「木江の古い町並み」と表示がある狭い道を歩いた、木造のそれらしい3階建てそれらしい二階家も散見された。






街中の少し高いところにある金比羅宮で旅の途中らしい若い女性と出会った。竹原から来たと言っていた、女性でもこんな所に興味があるのかと思った。
ネットで見るとメバル港にも数軒それらしいのが残っていると書かれていた。

あれから7年が経ちここ木江のこれらの建物は残っているのかなと思った。歴史保存は武家屋敷やナマコ塀の蔵を持った大金持ちだけでは無いのだが。道後の「朝日桜」も残してもらいたかった。

「御手洗港」の案内にオチョロは御女郎が語源とか書いていた。港の現場に行き、遺跡はきれいなものだけを、見せたいものだけを見せるのではないと思った。
御手洗港の山には娼婦の墓が並んでいた。栗田樗堂の「三弦に我を泣かせよ秋の風」句碑があった。

人口増加のない明治期まで、夫婦が5人の子供を持ち2人は成人までになくなり、成人した一人は家族が持てなかった。安定した生活のない残りの一人は、女であればこの様な場で働くか、男ならこの様な場に来て夢を見るか。

皆が長生きして、独り者が多くなり、多くが貧しく、そんな世の中になりそう。
この様な場所が懐かしく書かれる時代が良かったと言われる世の中になりそう。