娘の嫁ぎ先へ孫たちを訪ねました。孫に連れられてあわら市日吉神社の連理(二本の木の幹や枝が途中でくっついている)を見に行きました。なんとも不思議な四角形をした、誰かが人為的に作ったのかと思わせます。
連理と言えば、近松の作の文楽「桂川連理の柵」 近松は福井の出だとか。

その後弘法大師が杖でついて出た泉を案内してもらいました。四国にはよく似た話が沢山あります。
燈明寺畷新田義貞戦没伝説地

新田義貞の墓所 称念寺は時宗のお寺、立派な五輪の塔がありました。


一筆啓上で売り出し中の丸岡城は木々の色が変わり始めていました。急に寒くなりました。

弟の脇屋義助は愛媛県今治市の国分寺城脇に葬られています。
義貞の死後南朝の力が衰え、義助を伊予へ派遣したが病死。その後讃岐の細川が侵入し世田山城の攻防などがあり大舘氏が滅ぶ「きうり封じ」で有名な世田薬師の近く。近くに古代山城永納山城跡があります。

大阪からサンダーバードに乗り、あっという間に土居通増が上陸した塩津を通り過ぎ戦死した愛発関は長いトンネルの上。帰りは秋晴れの良い天気で、琵琶湖対岸がよく見えました。琵琶湖大橋や近江富士の三上山、粟津あたり。
いつの間にか福井のJR駅の上り下りが逆になっていました。列車の車両番号が以前は大阪行きの先頭車両が1号車、今は反対。新幹線に合わせたのでしょう。
連理と言えば、近松の作の文楽「桂川連理の柵」 近松は福井の出だとか。

その後弘法大師が杖でついて出た泉を案内してもらいました。四国にはよく似た話が沢山あります。
燈明寺畷新田義貞戦没伝説地

新田義貞の墓所 称念寺は時宗のお寺、立派な五輪の塔がありました。


一筆啓上で売り出し中の丸岡城は木々の色が変わり始めていました。急に寒くなりました。

弟の脇屋義助は愛媛県今治市の国分寺城脇に葬られています。
義貞の死後南朝の力が衰え、義助を伊予へ派遣したが病死。その後讃岐の細川が侵入し世田山城の攻防などがあり大舘氏が滅ぶ「きうり封じ」で有名な世田薬師の近く。近くに古代山城永納山城跡があります。

大阪からサンダーバードに乗り、あっという間に土居通増が上陸した塩津を通り過ぎ戦死した愛発関は長いトンネルの上。帰りは秋晴れの良い天気で、琵琶湖対岸がよく見えました。琵琶湖大橋や近江富士の三上山、粟津あたり。
いつの間にか福井のJR駅の上り下りが逆になっていました。列車の車両番号が以前は大阪行きの先頭車両が1号車、今は反対。新幹線に合わせたのでしょう。