旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

二神系譜研究会 設立(2000年)までの歩み

2025-02-09 11:58:40 | 二神系譜研究会の事 2023年5月~
二神系譜研究会の発足前までの研究など
 「二神系譜研究会とは、二神の名字を名乗る人たち及びその関係者や歴史に関心のある方々によって2000年(平成12年)に結成された系譜研究団体(平たく言えば、二神のルーツを探る会)のことです。
活動の目的は、二神氏の系譜を調査研究するとともに他の系譜、研究組織、歴史に関心のある方々との交流を図リ会員相互の親睦を深め、更に活動を通して地域の活性化を推進することを目指しています。

 二神系譜研究会が結成されるまで、二神氏のあゆみと歴史についての調査研究は文書を中心に伊予史談会、東京大学史料編纂所、日本常民文化研究所などで史料収集され、一部の歴史学者や研究者の間で解明作業がなされてきました。
 また、一般的に「二神文書」と呼ばれた中世文書類等が二神島の「宗家二神氏」や中島の「吉木二神氏」、旧風早郡の「片山二神氏」「柳原二神氏」の系譜に残され、これらの文書類が郷土史の先覚者の方々によって調査研究されたのが二神氏研究の始まりではないかと思われます。

  (以降「本島二神」は二神島の二神家を表します。)
 これらの動きがきっかけとなり、1925年(大正14年)の東京大学史料編纂所による「本島二神文書」「吉木二神文書」、1931年(昭和6年)に「片山二神文書」が影写本として収集されました。そして、1932年(昭和7年)「伊予史談」第18巻第4号で、管菊太郎氏による論文「二神島の研究」が発表されました。
 戦後、「伊予史料集成」が刊行されるようになり、その第5巻で「大山積神社関係文書」が1977年(昭和52年)に出され、その中に「二神文書」(景浦勉著)が発表されました。
 一方、1954年(昭和29年)夏に水産庁の委託事業として「共同漁業権への依存度に関する調査」に選ばれた二神島に、当時、日本常民文化研究所の所員だった網野善彦氏が訪れ、「本島二神文書」に出合い、二神家から借用して帰りました。昭和40年代当初、中島町が町誌編纂の為、返却されましたが、一部が未返却となりました。昭和57年になってすべての文書が二神家に返却されました。
 その後、本島二神氏の当主だった故二神司郎氏から改めて「本島二神文書」をはじめとする文書類を日本常民文化研究所へ委託の申し出があり、現在は、神奈川大学日本常民文化研究所に保管されています。


二神系譜研究会 設立前のあゆみ
1994年(平成6年)以前。
 「東京二神の先祖を語る集い」、「九州二神会」で調査・研究・行事などが行われた。
1995年(平成7年)
 8月1日 二神島で「二神島シンポジウム」が開かれ、神奈川大学の網野善彦教授による「二神島の調査から見えてきたもの」と題する講演が開催されました。

 9月10日 山口県豊浦郡豊田町(現在:下関市豊田町)-ノ瀬で「豊田種長追善供養」が行われ東京・広島・松山市から二神さん12名が出席。

 
1996年 
 二神重則氏(松山市平井町)が(世界的な規模で展開されたインターネットエキスポ事業の一環)に参加。「湯築城を守る県民の会」のホームページを作成その中に「二神氏」のページを設けた。
それをきっかけに二神英臣氏・二神重則氏による初懇談で「二神氏の系譜を研究するための準備会」を作り、具体的な活動を進めていった。
「二神氏の歴史」をはじめ、各種の資料を作成する一方で、ホームページにも「準備会のコーナー」を開設し、電話検索により全国の二神氏の名簿を作成。全国から多くの情報がホームページなどを通して寄せられる。それらの方に対して、作成した史資料など送付。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿