私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

引越しを決意

2011-06-18 00:24:06 | 日記
今年の2月頃、母から電話があり、今住んでいる家を売るかもしれないと言われた。

母の旦那さんは土建業を営んでいるんだけど、赤字続きでかなり厳しい状況。

その上、旦那さんは母と再婚する前から年金未払いの為、年金が全く貰えず

母は年金を貰っているけど、ほんの僅か。

今後の生活が心配で、母が友人に愚痴ったら、「私だったら家を売って安いアパートに住んで、

お金が底をついたら生活保護を受ける。」と、言われたそうで、母もそうするしかないのかな?

と、電話で言ってきた。

その時はただ聞いてただけで電話を切ってしまったけど、ちょっとイラっとしてしまった。

家を売って多少の現金があったとしても無職・無収入になる70近い夫婦に、家を貸してくれる

ところなんて少ないはず。

それと何と言っても最初から生活保護に頼ろうとする考えが許せない。

・・・と言うのも、今までの母親たちの生活を見てきたから。

母と旦那さんが再婚した当初は、旦那さんに多額の借金があり、苦労したことは知っている。

だけど、その後、旦那さんの仕事が上手くいって、かなり贅沢な暮らしをしてたのも知っている。

何よりも、そんな電話をしてこられたら、いくら薄情な娘だって、まるっきり知らん顔はできない。

だからって、援助できるほどのゆとりはない。

そこでいろいろと考えて、旦那にも相談して、最後は旦那に決断して貰った。

それは母の家の2Fの2部屋を間借りすること。

毎月、家賃として払うお金を生活費の足しにして貰うことができるし、今までは顔も知らない

家主さんに決して安くはない賃貸料を払ってきて、どこか虚しい気持ちがあったから。

年間100万以上が家賃で消える虚しさ。(もちろん家を貸してくれている家主さんには感謝)

ただ、旦那の通勤が片道50km以上・・・しかも、もうじぃさんだし

なので、旦那に最終決断をして貰った。旦那がみんなで楽しく暮らそう!!って言ってくれた。


その後、何回か電話で話をしてたんだけど、あの震災の前日、電話で母と大喧嘩。

母の家は夫婦2人だから3LDK。2Fは8畳の洋・和室。

そこに私たち4人家族が住むわけだから、かなり狭い。

母は何故か寝具類が大好きで、やたらと布団が多い。

「しまむらでベッドパッドが安いからいる?」とか、「しまむらで布団が安かったから姉の所に

送った。」とか、遊びに行けば、いらないって言ってるのに毛布や布団を持って行けと言う。

何だかしょっ中、布団がどうのこうの言ってる。

その時の電話で、押入れやクローゼットの中の物を処分できないとか言い出した。

だけど、それでは困る!!私たち4人分の荷物があるんだから!!

私たちは家賃を払って住むのだから、2Fの部屋は全て片付けておいて欲しい。

処分できないから、やっぱり同居は無理だとか、後になって言い出して、私たちを振り回すこと

だけは絶対にしないで欲しい。

母が、家賃を払うんだから、知らない大家に家賃を払うよりいいから、と言う私の言葉にとても

傷ついたらしく、私には「助け合う」と言う気持ちがないと言う。

母はお互い助け合うつもりで同居するならいいけど、家賃を払うんだから!と言う私の態度が

嫌だと言った。

それと「どうして○○子(私の名前)は、私に対して何でも否定的なのか?」

「離婚して家を出たことを恨んでいるのか?」みたいなことを言われた。

言われてみて確かにそう、初めて気が付いたけど、母の話す言葉に、いつも意地悪く思っている

自分がいる。

父と母の離婚は夫婦の間のことだから仕方ないことだったけど、母は私に嘘を付いて出て行った。

正直に言えなかったのかもしれないけど、結局、不倫していた。

自分が出て行くから、家事のため、今の仕事を辞めて、近くのスーパーで働くようにアドバイス

する母。

一言も謝ってくれなかった母。

自分が幸せになることしか考えていなかった母。

数年前、母の愛犬が病気で亡くなった。泣きながら電話をしてきた。

その後、何かで見つけたのか、天国にいった人やペットを癒す詩を電話口で涙声で朗読する母に

憤りを覚えた。

父が亡くなってお葬式が無事済んだことを報告した時、母から最初に言われたのは、自分の親戚に

香典返しをちゃんと送ったかと言うことだった。

用事があって、母が実家に行ったと言うから、父にお線香をあげたか聞いたら、父の遺影の写真が

恐かったし、それどころじゃなかったと言い訳する。

今までのことがいろいろあって、どうしても母に対して意地悪な言い方をしてしまう。

だけど、母に指摘されるまで、自分の中では気が付かなかった。

言われてみて初めて、確かにそうだなと思った。


結局、お互い感情的になって、電話を切った。

夜、旦那が帰ってきた時に、母と喧嘩したから同居は無理かもと話した。

旦那は私と母が年中、衝突してるのを知ってるから、「又やちゃったの?」と苦笑い。

何の用事か今は覚えてないけど、母に電話することになっていて、だけど、昨日の今日で電話する

気になれず、母からも電話はなく、そのイライラした気持ちをブログにでも書こうと思った矢先に

あの3月11日の地震・・・。

母の住んでいるところは茨城県西部で栃木県と埼玉県の県境。

地震の震源地でもある茨城県。

震災後は同居の話どころではなくなり・・・。

余震が少なくなってきた4月末ごろ、母から離婚するかもしれないと言う電話

夫婦の間のことは口出しできないけど、本当に離婚するんだったら、一緒に住めるところ探すから、

と言うことで、賃貸物件を探してたら、母の決意が二転三転・・・

年を取ってからの離婚は勇気がいるのはわかるけど、又しても振り回される我が家。

私の頭の中でいろんなことがぐるぐると回るだけで、答えが出ない。

結局、母は離婚する気はなくなったようだ。

旦那と話し合って、私たちも又、同居することを決意した。

同居するということは、母と旦那さんの一生をみるということを覚悟するということでもある。

だけど離婚するかもしれない夫婦。母の旦那さんとは血の繋がりはない。

だから、物凄く悩んだ。

悩んでいる時に江原さんのスピリチュアルメッセージに、「どちらか選ぶのに迷ったら、

自分にとってどちらの方が多く学ぶことができるかで判断しましょう。」・・・確かこんなニュアンス。

それと、震災後、物凄く、人との繋がりが大事に思えたし、賑やかに暮らしたいと思うようになった。

それと同時に息子たちを自立させなければならないと強く思った。

長男はバイトではなく派遣の仕事を探して独り暮らしをすると言う。まだ決まってないけど

次男には他人に近い、母とその旦那さんと一緒に住むことによって、人付き合いがもう少し自然にできる

ようになることを期待している。

私も新しい地で仕事を探し、今までお金がないからと諦めていた絵画教室に通い、いつか自分のデザイン

でステンドグラスを作ることが夢。

もちろん、震災前に言ってた母の「助け合う」気持ちを私も大事にするつもり。

それと、通勤が大変になる旦那も大切にしないと






















コメント (12)
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