私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

子供が生まれるまで①

2006-05-05 23:26:22 | 日記
今日は「子供の日」なので、子供の話を・・・いつもしてるけど

息子たちが生まれてくるまでの話を書いてみようと思います。


私は小さい頃から赤ちゃんが大好きで、よく母に、うちにはいつ

赤ちゃんが生まれてくるの?と聞いてた。

その度、母は私がもう少し大きくなったらだよ、と言ってた。

最終的には小学校2年生になったら、と言われてたけど、2年生に

なっても赤ちゃんは我家にはやってこなかった。

たぶんその頃から、母に赤ちゃんを望むのは止めて、自分が大人に

なったらたくさん生もうと思うようになった

私は今も胃腸が弱いけど、小さい頃もよくお腹を冷やしては壊してた

から、母がパンツを2枚履くように言ってくるんだけど、夏の暑い時は

どうしても履きたくなくて無視するんだけど、そうすると母が決まって

「将来赤ちゃんの出来ない身体になっちゃうよ」の一言で、私は

真夏でもパンツを2枚履いてた

高校生の頃は「私は6人子供を生むから、出産祝いはパンパース

にしてね」と、友達に言ってた。←バカな高校生でしたね!!

当時は紙おむつと言えばパンパース位しかなかった頃・・・たぶん貸し

おむつが主流の頃。


結婚したらすぐ赤ちゃんが出来ると思ってた私・・・。

ある日来るものが来ないので、半信半疑ながらも産婦人科へ行った。

結果は「妊娠はしてません、基礎体温を1ヶ月付けて又来なさい」

それから毎朝体温を測り、基礎体温表を持って、又産婦人科に行った。

ジグザグした、その基礎体温表を見ながら、医師が言ったのは、

「このままでは妊娠しませんよ」と言う冷たい言葉だった

通院することを勧められたけど、その医院には余りにも幸せそうな

妊婦さんが多くて、私は違う婦人科を探すことにした。

結婚してから住んだ所で、どこに婦人科があって、どこの婦人科が

評判いいのか、全く分からなかったから、取りあえず電話帳で通える

範囲で探した。最初は夫に車で連れて行ってもらった。

それまで付けてた基礎体温表を見せながら、先生と話をした。

まず血液検査をしてからと言うことで、たぶんその日は血を採られて

終わりだったと思う。先生の印象はそれほど悪くなかったけど、その

医院はとても静かで、私の他には誰もいなかった

やはり妊婦さんのいない産婦人科には行くものではない

言うことをあとで思うんだけど、この時は余り深く考えていなかった。

確か黄体ホルモンの薬と卵胞ホルモンの薬を2週間ずつ飲むように

指示され、数ヶ月通院してたと思う。

その間に私は、結婚後初めてパートに出て働くようになった。

ベビー用品の専門店で働いていたんだけど、ベビー用品に囲まれて

幸せだった。私の売り場はベビー家具とかベビーカーの大型商品で

結構肉体労働だったけど。

仕事が忙しくなって、時間内に薬を取りに行くことが難しくなって

ある日電話をしたら、2階の病室に掃除のおばさんがその時間には

いるから掃除のおばさんから薬を受け取ることになって、初めて

2階に行ってみてとってもびっくりした普段、その医院では私以外

の患者はもちろん、妊婦さんは数回しか見たことなかったのに、

婦人科系で入院していると思われる年配の患者さんが7、8人は居た。

その光景を見てから、恐くなって、その医院に通院するのは止めた。



もっと短くまとめるつもりでしたが、書き出したら長くなってしまったので

続きは又明日書きます、ではお休みなさい




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