黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

長崎さるく #36 高島教会

2009-08-01 01:32:56 | 長崎さるく
シリーズでお送りしている長崎さるく。
前回まで長崎港から約10kmの海上に浮かぶ島、伊王島をアップしたので、
しばらくは長崎の島をアップしようと思います。



伊王島よりさらに南、
長崎港から約14kmの海上に浮かぶ高島です。→Mapion
画像は隣の中ノ島から撮影したもので、
今では島の隆起した部分はほとんど緑に覆われていますが、
明治から昭和にかけて一大炭坑都市が築かれ、
丘陵部分のほとんどに炭鉱アパートが建ち並んでいました。
また画像に写る島の左端と右端は、
現在ではほとんど何もありませんが、
これらの場所にかつては巨大な炭坑施設が林立していました。
二十世紀の産業を牽引した大炭鉱島を、
少しずつ見ていこうと思います。



過去の記事で浦上天主堂や大浦天主堂など、
教会堂をかなりアップしてきたので、
まず高島でも教会をアップしようと思います。
その名の通り高島教会。→Mapion
これまで見てきた長崎の聖堂が、
尖塔式や双塔式のゴシック建築だったのに比べて、
高島教会の聖堂は、
イタリアのピサの斜塔やサンタマリア・デル・フィオーレの様に、
建物の片横に鐘楼が作られたタイプです。



中庭の岩穴に安置されているマリア像。
以前アップした大浦天主堂の日本の聖母像と比べると、
とてもかわいい印象のマリア様です。





門のすぐ横に、あたかも火見櫓のように建つ鐘楼。
この鐘が高島のアンゼラスの鐘だと思います。
長崎でアンゼラスの鐘といえば浦上天主堂のそれが有名ですが、
浦上のものは大正14年 (1925) に設置されているのに比べ、
高島のは明治24年(1891)にフランスから取り寄せたものだそうで、
浦上より遥かに歴史のあるアンゼラスの鐘なんですね。



もともとはかくれキリシタンから始まった教会堂で、
炭鉱が全盛だったときは信者も島内に多く、
独立した小教区まで作られていたそうですが、
炭鉱閉山後はそれにともなう信者の激減で、
今は伊王島の馬込教会の巡回教会になったようです。
海からの気持ちいい潮風が渡っていました。

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