黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

長崎さるく #61 三菱重工長崎造船所史料館2

2010-11-24 00:48:28 | 長崎さるく
長崎さるくの第三シリーズ。
前回に引き続き、長崎という街を明治以降大きく支えて来た、
三菱重工長崎造船所の史料館です。



長崎造船所の前身、長崎鎔鉄所(ようてつじょ)は、
幕末の文久元(1861)年に完成した、
国内初の洋式工場で、重工業の発祥でもあり、
そして長崎造船の起源でもある、
「すごい」ところです。





そして長崎鎔鉄所の竣工に大きく関わったのが、
すでに過去の記事でも何度も触れている、
オランダ海軍将校のハルデス。
工場の完成を早める為に、
乾燥時間を短くするよう薄く造った煉瓦が、
蒟蒻煉瓦の発祥でもあり、
また鎔鉄所は、
国内初の赤煉瓦の建物でもあったわけですね。





煉瓦の横に展示されている、
ハルデス専用の小さな手焙火鉢。
胴回りには右書きカタカナで「ハルデス」
幕末から明治初期に来日したヨーロッパ人の多くは、
鎖国によって熟成していた日本独自の文化に感動し、
それを守りたいと思ったと聞きます。
ハルデスもまたその中の一人だったのかもしれませんね。





官営期の展示の次は明治初期の、
三菱重工創業期の展示に移りますが、
目に入るのは社船「夕顔丸」の模型です。
明治20(1887)年浸水の夕顔丸は国内でも最初期の鉄船。
後に長崎港と軍艦島を結び、
沢山の人を運んだ船です。





ちなみに画像は高島の石炭史料館に展示されている夕顔丸ですが、
そのディテールが随分違いますね。
稼働していた時の夕顔丸の写真を見る限り、
どう見ても石炭史料館の模型の方が忠実のような気がしますが、
史料館にある模型がなぜここまで、
実際の夕顔丸と違う造りにしてるのかは謎です。





模型の横には夕顔丸の操舵輪。
かなりの大きさがあります。
ちなみに「夕顔丸」という命名は、
船中八策が書かれた船、
土佐藩の汽船「夕顔」にちなんだものですね。





史料館の外には夕顔丸の予備錨も展示されています。





夕顔丸の乗船券。
軍艦島で働く人たちの中で、
職員や鉱員などは社割りで乗船出来ましたが、
食堂等の一般業者として島で働いた人たちは、
船賃も正規料金を払わなくてはなりませんでした。
軍艦島で食堂をされていた木元さんの、
「軍艦島には士農工商があって、
商人は船賃も正規料金、家賃も光熱も、
全部正規料金で払わなくてはならなかった」
というお話を思い出しました。

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